文化功労賞 や 文化勲章 など、数々の受賞をされた白川静氏が先日、亡くなられました。きっと日本一の漢字博士でしょう。追悼の意味で、本書を取り上げてみます。
本書は中学生以上を対象に、白川氏の後継者である、山本史也氏が書いた、漢字の成り立ちについての一冊です。よりみちパンセのシリーズに入っています。
当教室 でも漢字検定を実施しています。受験希望者は、英検に劣らず熱心で、その数も多く、親も教師も、生徒にはしっかり漢字を身に付けて欲しいと考えます。
そういう方にうってつけの一冊、と申し上げたいのですが、残念ながら、本書はとても普通の中学生の手に負えるとは思えません。
学校の勉強とは異次元の世界が広がっているからです。
中学生用で売り出されていますので、そのお薦めリストに入っていることが多いのですが、高校生どころか、大学の国文科でちょうど良いのではないかと思われるほど、歴史、文化において密度の高い一冊です。 白川先生と山本先生、お二人の本気度を痛切に感じてしまいます。
白川氏は、熱心な研究によって、従来の漢字解釈を根底から覆してしまった、まさに文化の功労者なのです。従って、その理論の根拠となるものは、中国の古典書物などであり、漢文ですから、易しいはずがないのです。
例えば、『人』 という漢字は、人と人が支えあっている形からできたのだ、と聞いたことがありませんか。私は、子供の頃、学校でも、ある偉いお坊さんからもそう習いました。
ところが、本書では、いくつか根拠を示したあとに “それでは人の尊厳を傷つける” として反論し、以下のように、解説します。
大変に長いので、抜粋しながら紹介します。本当は図での説明が必要ですが…
(出展などの部分は省きます)
■■■ 以下抜粋です ■■■
「人」の字形は、もとは、すこし首をすくめた人を横から見る形、で示されました。(中略)
もとより「人」は、崇高な存在として重んぜられていたわけではありません。かえって「人」は、神に試され、操作され、ときにはそのからだを傷つけられ、また神の意向のままに、たやすく生命を損ねてしまう場合さえあったのです。
たとえば甲骨文には、羊や牛とともに、「南人」 と呼ばれる南方の異族、「羌人」 と呼ばれる西方の異族の多数が捕獲され、生け贄として神にささげられたという内容の記事がしきりに見えます。
(中略) ひどく哀れな「人」の「物語」ではありますが、しかしそれから目をそらすことなく、あったがままの漢字の世界を語りつがねばなりません。
■■■ 抜粋以上です ■■■
省略しすぎて、ちょっと分かりにくいですね。すみません。
要するに…、
「人」の形を、勝手に二人が助け合うなどと、きれいごとで解釈せず、そのかたちは、殺される存在として、肩を落としている姿から来ている。種々の記録を見ればそれがわかる、
ということを、ゆがめないで、きちんと伝えておくことが大切だという解説なのです。
他にも「切り取られた耳」や「棄てられる子」など、もっと悲惨な話しが続きますし、これまでの象形文字や会意文字といった分類、学校で教えていた漢字の成り立ちなど、ことごとく覆されたという印象を持ちます。
まったく新しい世界に、驚きの連続で読了しましたが、こうした新発見、信憑性の高い新説を出し続けた白川氏が亡くなられたのは残念でなりません。立派な後継者がいらっしゃるようなので、中国の漢字文化と日本の文化の違いなどが、さらに具体的な形で解明され続けることを願います。
本書に限らず、貴重な本をたくさん遺していただきました。
謹んで、先生のご冥福をお祈りいたします。
神さまがくれた漢字たち 理論社 詳 細 |
http://tokkun.net/jump.htm
『神さまがくれた漢字たち』白川静(監修)山本史也(著)よりみちパン!セ
理論社:172P:1260円
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
別の日、「挨拶」という字を見た台湾人に「これは子供を叱って頭をペンッと叩くこと?」ときかれました。「挨」にそういう意味があるらしいです。漢字は奥が深いですね。
めったに漢字の本を置いておけないですね。
「real」:英語では現実という意味ですが、スペイン語では王室のという意味です。つまり、英語の「royal」です。(レアル・マドリードのレアルですね)
明治時代、漢字を廃止してアルファベット表\記にしようとか、フランス語や英語を公用語にしようという議論がありましたが、漢字も日本語も捨てなくてよかったと本当に思います。
そういえば、milestaさんの「挨拶」の話しもあぶないですね。だって、挨拶はとても大事だといつも声を大にしていっておりますが、漢字になると、会うたびに子どもを殴れ!と読まれる可能性がある(笑)?恐ろしい国ですね、Japanは。
そうすると、「Royal」の語源が「annual」(←スペルは正しい?)と同じくラテン語であることにも気づかれると思います。
スペイン語で「年」は「an~o」です。
英語がある程度ものになった段階で、スペイン語などラテン語から派生した言葉を学ぶことは、英語を深く学ぶ上で有効だと思われます。
生徒たちに、VIVAは偉そうなこと言ってるけど、知らないことばっかりだ!と教えていただいて、本当にありがたいです。タイムリーです!
スペイン語に興味をもっと持ってもらえたら最高です。
ありがとうございます。
白川博士は、東大卒ならず。
小生も私淑する門脇厚司学長の「筑波学院大學」さ、
聴講生でもいいから志願すべかと思っている。
兎も角、無事消光在罷候也です。蒼々
と私も思います。日本語じゃないとできない表現も、いっぱいありますしね。
そういえば拙ブログで「せつない」本を採り上げたら、英語に「せつない」はあるのでしょうかというコメントをいただきました。hurtとかpityが近いかもしれないけれど、「傷つく」「あわれ」というニュアンスでちょっと違うかな?と。良い訳はあるのでしょうか?
中国語とは、例にあげた熟語は全然違う意味でしたが、全く同じ熟語もあるし、ものによっては発音も同じなので、コミュニケーションの手助けにもなります。
以前ラテン語~英語へ少しずつ変わっていく例を発見して、どこにも発表の場がなかったので、ここに紹介させてください。(笑)
伊語 albicocca(アルビコッカ)
仏語 abricot(アブリコ)
英語 apricot(アプリコット)
こんなのいっぱいあるのでしょうが、私としては「わっ、面白い。」と感動でした。
それでどうしても本書を紹介したくなりました。
コメントありがとうございました。
少しずつ変わっていくんですか?へ~
伊語 albicocca(アルビコッカ)
仏語 abricot(アブリコ)
英語 apricot(アプリコット)
私も見つけました!
milesta
マイルスタ
マイルマスッタ
まいりました。