十勝の活性化を考える会

     
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作家 三島由紀夫の自決

2020-04-09 05:00:00 | 投稿

作家 三島由紀夫は、50年前の19701125日、東京にある陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の自衛隊員に対して、日本のあり方、クーデターを訴えた後、割腹自殺している(享年45歳)。

 この事件は東大全共闘と激論した1年半後で、現在、記録映画が放映されているが、是非はともかく、考えさせられることは計り知れない。人間にとって死は必定であるが、迎え方は千差万別である。

 例えば、三島の死と余命1年半を宣告されたガン患者との死を比べても、自死と選択の余地のない病死ではあるが、命の大切さの思いは、同じだったのではないだろうか。死を賭する「思い」は本人しか分からない。なお、我が国ではなんと年間2万人の人が自殺している。

 三島由紀夫の代表作である「金閣寺」や「憂国」などを読むと、彼は常に「生と死」のはざまにあり、いかに生きるべきかを考えていたように思う。だから、その流れのなかで、辞世の句を残して自決したのだろう。

 三島由紀夫の本を読むと、自決に至った思想の変遷が少し分かるような気もする。彼にとって、「全共闘」とは何であったかを知る由はない。

 ただ、学生運動や全共闘と同世代にある現在の若い人たちにとって、三島の死は、自分たちと同じ社会にいる団塊世代層の人たちが生きてきた日本を知る手がかりになるかも知れない。

 「十勝の活性化を考える会」会員

 

注) 三島事件

 

バルコニーで演説する三島由紀夫

場所

陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地

概要

三島由紀夫森田必勝ほかで成る民兵組織「楯の会」のメンバー5名が市ヶ谷駐屯地内の東部方面総監部を訪問し、益田兼利総監を拘束。幕僚らを斬りつけ、三島がバルコニーで自衛官に演説。その後、総監室で三島と森田が割腹自殺。

武器

日本刀短刀特殊警棒

死亡者

2人(三島由紀夫、森田必勝)

犯人

楯の会メンバー5人(三島由紀夫、森田必勝、小賀正義小川正洋古賀浩靖

 

三島事件とは、1970年(昭和45年)1125日に、作家三島由紀夫が、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に、割腹自殺をした事件である。

三島が隊長を務める「楯の会」のメンバーも事件に参加したことから、その団体の名前をとって楯の会事件(たてのかいじけん)とも呼ばれる。

 この事件は日本社会に大きな衝撃をもたらしただけではなく、日本国外でも速報ニュースとなり、国際的な名声を持つ作家の起こした異例な行動に一様に驚きを示した。

(中略)

 二十五年間に希望を一つ一つ失つて、もはや行き着く先が見えてしまつたやうな今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であつたかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使つてゐたら、もう少しどうにかなつてゐたのではないか。

私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。

 日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。

 — 三島由紀夫「果たし得てゐない約束私の中の二十五年

 (出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

 

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