集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

潜水夫研修よもやま物語(最終7話)

2015-11-02 20:13:51 | 兵隊の道・仕事の話
 ええと、もう面倒くさくなったので、今回でまとめて最終回にします。

 潜水夫研修の後半1ヶ月は、海洋実習といいまして、船で江田島南側の沖に行きます。
 そこでまずは船体をドルフィンで2周してアップ。その後MAX20mまでの垂直素潜り。私は根性がないので、MAX15mまでしか行けませんでした。
 その後は浮上時間を計算した真深度潜水、緊急浮上などを行うのですが…このへん、あまりたいした肉体的負荷がなかったせいか、何をしていたか記憶がカッポリ抜け落ちてます。
 よく覚えているのは最終日前日、35mの緊急浮上をしたあと気分が悪くなり、国立呉病院に運び込まれ、人生初の再圧治療を受けたことです。

 「再圧治療」とは何か。
 私が気持ち悪くなった水深35mの世界では、4.5気圧がかかっています。
 ボンベには空気が入っていますが、これを水深35mの世界で吸うことにより、地上の4.5倍のスピードで、体内に窒素が溶け込んできます。
 この状態で一気に1気圧の世界に浮上すると、ちょうど勢いよく振ったサイダー瓶の栓を抜くように、体内に溶け込んだ窒素が一気に気泡となり、体内でいろんな悪さをします。最悪の場合、血管内で気泡が血を止めてしまい、死んでしまうこともあります。これが俗に言う「潜水病」というやつで、それを治すためには事故時と同じ気圧を再度かけ、少しずつ時間をかけて圧を抜くことで、窒素を少しずつ解消する…という治療です。

 幸い私の場合、あの世で「こいつはいらない」と拒否されたようで、病院につくころには、ケロっとしていました。
 しかし一応治療は受けねばならず、2.5時間もの時間をかけた再圧治療が行われました。 
 なぜか、「この患者さんは週に2回再圧治療を受けないと、脳が壊死しちゃうの」とかいう触れ込みの、今にも死にそうな咳をしていた見ず知らずの患者さんと一緒に閉じ込められ、何をしていいのかわからず、自分のことは全くさておき、往生したことをよく覚えています。

 研修最終日は、映画「サルウミ」でチビノリダーが死んだ真深度潜水だの、長距離ドルフィンだのと様々なイベントがあったそうですが、私は当然潜水止め、また呉病院で診察を受けてました。夕方に同期らの道具を取りに、リヤカーをふたつ曳いて岸壁に行きましたが、悔しいとも、羨ましいとも思わず、「ああ、やっと終わったな」としか思いませんでした。

 最終日。研修の修了証書をもらい、当時の勤務地・大阪に戻りました。
 「おお、帰ってきたか。そういえばお前、前期の体力検定とレンジャー検定、まだしてなかったよな…」
 当時の職場は年に2回、体力検定と、綱上り・綱渡りをする「レンジャー検定」なるものが義務付けられていました。
 ええ~、潜水研修に言ってたんだからカンベンしろよ…と思ったのですが、当時の偉い人は、許してはくれませんでした_ノ乙(、ン、)_
 レンジャー検定当日は土砂降りの雨。ロープはたっぷりと雨を吸い、雨が流れ、登ることなど及びもつきませんが、やらされました。
 体力・レンジャーとも、人生ワーストの記録であったと書いておきます。

 潜水夫研修。私の人生にとってはとてもどうでもよく、でも、いろいろと面白い(最後はちょっと辛い)研修でした。
 

 
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3 コメント

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Unknown (還暦過ぎ武道オヤジ)
2015-11-03 21:58:06
何かコメントしないといけない気がして、いいにくいこと言っちゃいます。恥ずかしながら私は“陸の王者”にて泳ぎは苦手です。よって私の唯一のウィークポイントを次の代には引き継いでもらいたくなく、私の子供たちを小学生になった段階からお値打ちに利用出来る町民プールに週末、時間の許す限り連れて行き、私はプールで浸かるだけですが、子供たちは他の泳げる子を真似して、いつのまにかミズスマシノのように永遠に泳げるようになり狂喜したものでした。そして次男坊は某舞鶴の学校に入り、いとも簡単に“遠泳”もクリアし水陸両用のファイターになってくれました・・よかった、よかった・・・
余話です (周防平民珍山)
2015-11-04 20:03:46
 還暦過ぎ武道オヤジさま、いつもありがとうございます。人間誰しも、なにかのウィークポイントがあるものですね…私は実家から歩いて15歩のところに海があったので、必要に迫られて泳ぐようになったのですが、まさか潜水夫研修で、8キロを持って立ち泳ぎをするようになるとは思いませんでした。
 研修の余話としまして、研修終了時、ほかの研修生はみんな修行僧のように痩せて帰って行きましたが、私だけ2キロ太って帰りました。後半、肉体的負荷が少なかったことと、週末に実家でバカ食いをしていたことが原因と思いますが、大阪に帰ってキッチリ、そのツケを払わされました(泣)。
Unknown (還暦過ぎ武道オヤジ)
2015-11-06 22:37:46
悪乗りしてもう一言コメントします。実は私は広島生まれですが父親の転勤でほとんどが中京育ち!当然、野球はドラゴンズが一番!ドラゴンズがダメならカープが二番!・・今年は両方ともダメでした・・ガックリ!!親ごと中京に移ったため広島に帰る家はありませんが先祖代々のお墓があるため、年に一度は墓参りドライブを決行し、最近は年老いて弱った親戚の叔父叔母のお見舞いにいくのが年中行事です。主さんが治療を受けた国立呉病院の前身は確か“海軍病院”ではなかったかな?・・叔父を見舞いに行ったときそのような油絵が飾ってあったような・・海上自衛隊員らが堂々とセーラー服を着て闊歩出来る呉市は赤ども(バカ!)が存在しないまともな日本の都市ですな・・

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