ワタクシ儀、永年武道・格闘技をしておりますが、選手としては本当に無能でした。
情けない「選手時代」の、人様に言える成績?としては…柔道で高校時分に無差別級個人戦で山口県ベスト8に入ったことのほか、社会人になってから、自社の柔道全国大会でベスト4とベスト8がそれぞれ1回ずつ…という程度ですが、これらは私が強かったとか頑張ったとか、そういうことでは全くなく、この世の行きがかりで出た大会で、思いもよらずたまたまそういう成績が獲れた、という程度の認識。「勝ちに不思議の勝ちあり」の典型のようなものです。
ワタクシは生まれつき、「試合に勝ってうれしくなく、負けても悔しくない」という不思議な性格をしていたせいもあるのでしょうが、 試合に熱くなることが全くできず、その価値を見出せないまま、短い選手時代を終わらせたのでした。
ただ、世の中の武道・格闘技修行者の中には、ワタクシと全く違い、勝敗や試合の成績に異常な執念をもってこだわる人がいます。
高い緊張感の下、強い相手と技を競い合い、勝敗という明確過ぎるコントラストを決する「試合」というものに、自分から振るって出場される方の意識の高さと勇気には本当に敬服しますが…その道でメシを食べているプロの格闘選手や、その関係者が「勝ちにこだわる」のとは別に、単なるアマチュアであり、且つ、試合での勝ち負けが別段何に影響を及ぼすわけでもないのに、「勝った」と言っては無用に騒ぎ、「負けた」と言っては無駄に騒いで八つ当たりするといった人を、これまでけっこう見かけてきました。
あくまで私見なのですが、こういう行動を取る人は、他の自己実現の方法を知らず、試合の勝敗だけに自己のアイデンティティを閉じ込めてしまったか、あるいは自分が試合に向けて行った努力が、敗北によって全否定された気持ちになったため、このような行動をとるのではないか思われるのですが…試合の勝ち負けに極めて恬淡(無関心ともいう(;'∀'))であったワタクシ、すこぶる理解に苦しみます。
孫臏兵法・見威王篇にこのような一説があります。
「夫れ兵を楽しむ者は亡び、勝ちを利とする者は辱めらる。兵は楽しむ所に非ざるなり。」
(戦争において、戦闘行為自体を好み、相手との実戦を頻繁に求める者は身を滅ぼすし、それに勝つことだけが自分の価値を高めると考える者は、人からバカ扱いされる。戦争における戦闘行為を、自ら好んで求めてはならない。どうしてもやらなければならないとき、最小限に行うものである。)
武道・格闘技は、ゲームの勝ち負けだけを競う娯楽たるボールゲームと違い、競技スポーツの側面を持ちつつも、ひとたび鞘から抜き出せば、必ずどこかに禍根を残す、ある意味危険で残忍な性質を有するものです。
だからこそ生涯を賭けて研究し、練磨する価値があるわけであり、決して試合の勝敗をもてあそぶものではないのだ、と心得ております。
武道・格闘技に対し、他人がどんなフィロソフィーを持って取り組んでいるかなど、「日暮れて道遠し」なワタクシ、全く知ったこっちゃないのですが…上記をふまえ、とりあえずワタクシが武道・格闘技に取り組む指針は「様々な競技形態を知り、いずれの形態でも一定以上の技術水準を持つこと」「実戦に応用・転用できる技であること」「知識ゼロの人に技術を語れる知識とボキャブラリーを持つこと」であり、試合の勝ち負けについては、ジャンケンでの勝ち負け程度にしか考えておりません。はい。
情けない「選手時代」の、人様に言える成績?としては…柔道で高校時分に無差別級個人戦で山口県ベスト8に入ったことのほか、社会人になってから、自社の柔道全国大会でベスト4とベスト8がそれぞれ1回ずつ…という程度ですが、これらは私が強かったとか頑張ったとか、そういうことでは全くなく、この世の行きがかりで出た大会で、思いもよらずたまたまそういう成績が獲れた、という程度の認識。「勝ちに不思議の勝ちあり」の典型のようなものです。
ワタクシは生まれつき、「試合に勝ってうれしくなく、負けても悔しくない」という不思議な性格をしていたせいもあるのでしょうが、 試合に熱くなることが全くできず、その価値を見出せないまま、短い選手時代を終わらせたのでした。
ただ、世の中の武道・格闘技修行者の中には、ワタクシと全く違い、勝敗や試合の成績に異常な執念をもってこだわる人がいます。
高い緊張感の下、強い相手と技を競い合い、勝敗という明確過ぎるコントラストを決する「試合」というものに、自分から振るって出場される方の意識の高さと勇気には本当に敬服しますが…その道でメシを食べているプロの格闘選手や、その関係者が「勝ちにこだわる」のとは別に、単なるアマチュアであり、且つ、試合での勝ち負けが別段何に影響を及ぼすわけでもないのに、「勝った」と言っては無用に騒ぎ、「負けた」と言っては無駄に騒いで八つ当たりするといった人を、これまでけっこう見かけてきました。
あくまで私見なのですが、こういう行動を取る人は、他の自己実現の方法を知らず、試合の勝敗だけに自己のアイデンティティを閉じ込めてしまったか、あるいは自分が試合に向けて行った努力が、敗北によって全否定された気持ちになったため、このような行動をとるのではないか思われるのですが…試合の勝ち負けに極めて恬淡(無関心ともいう(;'∀'))であったワタクシ、すこぶる理解に苦しみます。
孫臏兵法・見威王篇にこのような一説があります。
「夫れ兵を楽しむ者は亡び、勝ちを利とする者は辱めらる。兵は楽しむ所に非ざるなり。」
(戦争において、戦闘行為自体を好み、相手との実戦を頻繁に求める者は身を滅ぼすし、それに勝つことだけが自分の価値を高めると考える者は、人からバカ扱いされる。戦争における戦闘行為を、自ら好んで求めてはならない。どうしてもやらなければならないとき、最小限に行うものである。)
武道・格闘技は、ゲームの勝ち負けだけを競う娯楽たるボールゲームと違い、競技スポーツの側面を持ちつつも、ひとたび鞘から抜き出せば、必ずどこかに禍根を残す、ある意味危険で残忍な性質を有するものです。
だからこそ生涯を賭けて研究し、練磨する価値があるわけであり、決して試合の勝敗をもてあそぶものではないのだ、と心得ております。
武道・格闘技に対し、他人がどんなフィロソフィーを持って取り組んでいるかなど、「日暮れて道遠し」なワタクシ、全く知ったこっちゃないのですが…上記をふまえ、とりあえずワタクシが武道・格闘技に取り組む指針は「様々な競技形態を知り、いずれの形態でも一定以上の技術水準を持つこと」「実戦に応用・転用できる技であること」「知識ゼロの人に技術を語れる知識とボキャブラリーを持つこと」であり、試合の勝ち負けについては、ジャンケンでの勝ち負け程度にしか考えておりません。はい。
ガチスパーリングが楽しいと思ったことは一度もなく、いつも恐怖と緊張で口の中がカラカラになります…それに比べると試合に出る人たちは本当にすごいと思います。
ただ試合のみが生きがいとなっていては何か違和感を覚えますね。
私の所属するジムの選手はプロ、アマともに勝敗に極端に一喜一憂することなく健全?だと思います。
健全?といえば…ジム内やジム主催の飲み会などで会員さんと話をするのですが、『実戦』を視野に入れている人と会ったことがありません。(苦笑f^_^;)
老骨武道オヤジさまは、柔道→空手という、ワタクシも全く同じ道を通った大先輩として、いつも様々なためになるお話を頂いており、ありがたい限りでございます。
試合の空手と実戦でも使える空手の両立とは、いつの時代も競技者のロマンを掻き立てるものでありつつ、実は二律背反するというものでもあり…悩ましい問題ですが、そこを両立されている姿勢に、非常に強い尊敬の念を抱いております。
四十路メタラーさま、ガチスパーのあの何とも言えないピリピリ感…いつやっても気持ちのいいものじゃないことは、私も全く同意見です。
また、試合成績に拘泥しないとても雰囲気のいいジム、大変いいことであると思います。
実戦に供与する格闘技…は、ふつうに格闘ライフを楽しんでおられる方は、やらなくてもいい、不要なものです(;^ω^)。
ワタクシは「やらなければならないから、仕方なくやっている」わけでして('◇')ゞ。
お二方とも、またよろしくお願いいたします!