トホホなおやじのから元気

母介護のため退職するも
家内の反対で地元に再就職
でも介護に会社の理解は得られず、
2016年介護離職した65歳

ピーナッツ

2017-11-21 09:24:31 | どーでもいい話
今朝のテレビ番組で、ピーナッツでものどにつまれば窒息するという話で思い出しました。

自分は医学部志望でした。しかし、父親は公務員。私大医学部に進学するほど、お金も理由もありません。

一浪して国立医学部を目指しましたが、二浪すると共通一次試験に移行する初年度にあたります。

捨てていた社会も古典も共通試験では試験科目になるため、二浪はできないと国立2期校だけ医学部を受験しました。

2期校の試験は当時3月21日頃で、1週間後に合否が判明します。

二浪はしないと決めていたので、2期校に受かればそこに入学、落ちれば滑り止めで合格していた学校に入学することになります。


滑り止めの入学式は東京で4月1日にあります。

合否発表の3月末ぎりぎりまで九州で待ちましたが、結果は不合格。

当時、既に東京の大学に通っていた姉が、急きょ学生課に出向いて、4月からの私の住居を決めてくれたのでした。



契約したアパートは、さすが学生課に残っていた案件で。

10世帯くらいの木造2階建てのアパートでそこそこ新しい築年数でしたが、すごい安普請で、隣人のおならが聞こえるほど。

自室でもおならをする時は、大きな音が出ないように努めてスカシ屁をしました。

部屋は4畳半の和室で、風呂なし、共同炊事場、共同トイレ。

女友達を連れ込んだ先輩のせいでアパート全体が揺れてびっくりしました。


住人の多くは同じ大学なので、新しい入居人のしかも新入生の歓迎会を、アパートの廊下で開催してくれました。

当時19歳でしたが、そこはスルーしてください。

学生なので金はありません。歓迎会のつまみは乾き物が主体で、私は柿の種をつまみにビールを飲み始めました。


ほどなく、ピーナッツがのどに引っかかってしまいました。

ビールで流し込もうとしても頑として動きません。

歓迎会で派手な咳払いをすることもできずに、なんとかしようともがきました。しかし残念ながら・・・


嘔吐神経を刺激してしまったのか、徐々に吐き気がしてきました。

このまま吐いたほうが楽になりそうだと判断し、宴会場である廊下に面した共同トイレで吐きました。

これが、生まれて初めての宴会での嘔吐でした。情けない~。

吐く音が廊下に響きわたったのか、以後ビールを勧められることはなくなり、2次会もなくお開きになりました。



後日、仲良くなった隣室の先輩と部屋飲みしたとき、

「ビール1,2杯で吐いたから、九州男児だけど飲めないのだろう」と思われたそうです。



このアパートで二十歳をむかえ、大家さんが鯛の塩焼きでお祝いしてくれましたが、結局ちょうど1年で引越しました。
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2 コメント

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医学部。 (豆柴)
2017-11-26 15:47:19
とほさんが医学部志望だったとはびっくりです。
秀才だったんですね。
どうりで細かい計算とか分析とか緻密なことが得意なわけですね。(関係ない?)
木造アパートでの生活は今になって思えば、良い思いででしょうね。
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豆柴さんへ (とほ)
2017-11-26 19:50:44
>秀才だったんですね。

いえいえ、勉強好きでなかったから、神童だったんです。ヾ(ーー )ォィォィ

>どうりで細かい計算とか分析とか緻密なことが得意

理系だからですかね。数学が得意だったけど、それ以上に文系科目、特に歴史がぜんぜんだめで。
記憶力が劣っていたから、医学部に行っててもダメだったかも。
物理も好きでしたが、化学は不得意だったし。
安普請って言葉が身をもって理解できました。
その後は卒業するまで、家賃はほとんど変わらない(=築年数の古い)鉄筋のアパートにしましたよ(笑)。
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