東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

三陸鉄道リアス線沿線歩き旅(4)

2021年09月16日 | 三陸鉄道リアス線 沿線歩き旅
津軽石駅―> 払川駅 営業キロ2.1Km
2021年9月7日(火曜日)

休憩なしで歩き続ける。



駅前には盛合家住宅がある、廻船問屋などで財を成したのだという。







津軽石川の「南部鼻曲り鮭」など三陸の海産物を江戸に運んで隆盛をなしたそうだ。

残念ながら東日本大震災の被害で一部の建物は解体されてしまったとのこと。


通りには江戸時代のものではないだろうが歴史を感じさせる建物も残っていた。



道端の石碑は文字が読めないほど風化が進んていた。



津軽石川沿いに国道45号線を南下していく。



天気予報通りに空は晴れて気温がぐんぐん上がる。
着ているものを一枚ずつ脱いでいく。







距離も近いので払川駅にはすぐに到着。









この駅の待合室もきれいに清掃されていた。




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三陸鉄道リアス線沿線歩き旅 (3)

2021年09月15日 | 三陸鉄道リアス線 沿線歩き旅

八木沢・宮古短大駅―> 津軽石駅 営業キロ5.4Km
2021年9月7日(火曜日)

八木沢駅から少し行くと右手にこんもりとした丘がある。





「八木沢神社」だった。







昔は神社の敷地はもっと広かったのだろうが、道路の拡張や住宅地になったりしてぽつんと取り残された格好になっている。



その道路わきにご神木だったと思われる木の根があるのだが、これが実に格好良いのだ。





木は枯れたのだろう、根の部分だけが残っているが力強い生命観の溢れる形だった。

その近くには庚申塔があった。



「文政五年」とか「文化六年」「寛政十年」という文字がくっきりと見える。







1800年代のものなのだが文字がくっきりと見えるというのも珍しいのではないかと思う。
特に「寛政十年」の碑は最近作ったかのような明瞭さだった。

雲はどこかへ消え去って青空が見えてきた。途端に気温がぐんぐん上がる。パーカーもシャツも脱いでTシャツ一枚にする。



八木沢川に沿って歩く、線路は海からかなり離れたところを通っているのだ。
川はまさに清流である、さらさらと水音が心地よい。





道は狭く人通りは無い。








緩い坂を下っていくと海が見えてきた。



だが海は堤防に隠れてしまう。



左手の丘に神社があった。
「金浜稲荷神社」だった。道路わきに石碑があって「東日本大津波」と刻んである。







死者28名とのこと、その隣には「チリ地震津波記念碑」が建っている。

神社への石段を見るとあそこにも小さな石碑がある。





行ってみると「東日本大震災津波到達地点」の碑だった。



その高さから見るとここの町は完全に水没したのだなとわかるのだった。



坂を下っていくと海側は堤防になっていて海は全く見えない。





堤防に登ってみた。



堤防の上は幅3メートルほどで歩けるようにになっている。



湾をぐるりと取り囲んでいてまるで万里の長城のようだ。



内陸側を見ると以前は住宅があっただろう場所は更地になっていて、住宅はすべて山側へ移ってしまったようだ。





堤防の上を歩いていくとサーファーの人たちだろうか談笑しているのが見えた。





今日は凪で海はおだやかである。


津軽石川の河口には水門が設けられている、堤防を造っても川の部分が開いていたら意味ないからなあ。







堤防から降りて国道45号線を歩く。
ここにも山側への階段が造ってあった、それにしても急な階段だなあ。







津軽石駅への案内板が見えてきた。







踏切のわきには大きな石碑が建っていた。



古来太平洋側も日本海側も海路が発達していたから江戸、大阪の文化が伝わるのも早かったに違いない。

津軽石駅に到着、この駅も無人駅だ。





プラットホームにあった鮭の彫刻。



待合室にも南部鼻曲り鮭の剝製やらぬいぐるみ?





この待合室もきれいだ、座布団まであってゆっくりくつろぎたくなるほど。









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三陸鉄道リアス線沿線を歩く旅 (2)

2021年09月14日 | 三陸鉄道リアス線 沿線歩き旅
磯鶏駅―> 八木沢・宮古短大駅 営業キロ 1.8Km
2021年9月7日(火曜日)

磯鶏駅にも津波浸水の表示があった。



建物は新しいようだから津波で壊れて建て直したのだろうな。

プラットホームへ出てみると線路の向かい側の公園にSLが展示してあった。







「SL公園」というのだそうで機関車は9600型の「9625」だ。
このことは全国の保存車両を研究している方のホームページで知った。
残念ながらフェンスで囲われているとのことだったので遠くから撮影しただけ。

待合室で10分ほど休憩する。
以前の歩き旅では歩き初めはハイペースにしていたのだが、歳を取ってしまい無理が効かなくなってしまった。
無理せず焦らずが老人の旅である。

線路沿いの道を南下する。
相変わらず踏切の写真を撮り、列車が来るとカメラを向ける。





三陸鉄道は旧国鉄から1981年(昭和56年)に第三セクターとして引継ぎ、1984年(昭和59年)に全線開業したのだった。
だが地方の鉄道はどこでも同じだが毎年赤字に悩まされてきた。

東日本大震災は海沿いを走るこの路線に大打撃を与えたし、令和元年東日本台風の被害もあった。
その苦難を乗り越え2020年に全線復旧し運行されているのだ。地元民としては応援せねばと思う。

山側には津波時の避難用の階段が作られている。





すすんで行くと「八木沢・宮古短大駅」に到着だ。







きれいに清掃されている待合室。



その待合室の窓枠に1円硬貨が重ねてあった。





ローマにある「トレビの泉」ではまた戻って来れるようにと泉にコインを投げ入れるのだが、この駅では「またこの駅に戻れるように」と窓枠に1円硬貨を重ねるのである、、、、というのは真っ赤なウソである。
なぜ、こんなことをするのかちょっと不思議。

セルフタイマーで写真を撮る。相変わらずダサイ恰好だなあ。




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三陸鉄道リアス線沿線を歩く旅 (1)

2021年09月11日 | 三陸鉄道リアス線 沿線歩き旅
三陸鉄道リアス線沿線を歩く旅 その1

相変わらず新型コロナウィルス感染(covid-19)は猛威を振るっている。
東京では新規感染者数が減少傾向だが地方での感染者数は減っているとは言えない状況だ。
わが岩手県も県独自の緊急事態宣言を出したままである。
県をまたぐ形での旅行の自粛を求められているのだ。

買い物を兼ねたウォーキングは週に1-2回のペースでしているのだが同じコースを歩くので面白みがない。
どこか歩き旅によいところはないだろうか。

三陸鉄道リアス線の宮古駅から釜石駅まで歩いてみたいなあ。

海も見たいし。

今年の夏も暑かった、猛暑日が続いたのだがとうとう海へは行かなかった。
9月に入って涼しくなってきたし、、出かけてみようか。


2021年9月7日(火曜日) 晴れ

宮古駅―> 磯鶏駅 営業キロ 2.0Km

朝5時に起きて車で宮古市へと向かう。
思いのほか寒い、今朝はこの秋一番の冷え込みで最低気温は11度だった。

盛岡市から宮古市への国道106号線は工事が終わり今年(2021年)3月に全線開通した。
この新しくなった国道を走るのは今日が初めてだ。

走ってみての印象は『全線トンネル』じゃないか! (かなりオーバー)なのだが実に快適である。



あの山越えの急カーブの連続が噓のように思える。
山裾をくねくねと曲がりながら大型車が来るとすれ違いのため止まって待たなければならなかった30年以上も昔の106号線を知っているものとしては感動ものである。
トンネルだらけで情緒が無いけれど、この快適さには代えられないのだった。
この新106号線になって盛岡市から宮古市までの移動時間は30分も短縮されたのだ。
特に冬季期間の移動は大幅にラクになるだろう、冬の区界峠越えはドライバーにとっては恐怖だったからなあ。

途中「道の駅かわい」で自宅から持ってきたパンと缶コーヒーで朝食にする。



宮古駅前の駐車場に車を停めて駅まで行くとちょうど午前8時だった。





通学の高校生の姿が目立つ。





マンホールの蓋には「はまぎく」の絵。



「はまぎく」は宮古市の花に指定されているのだ。



港町だから駅前には飲み屋が連なっている。







コロナ騒ぎがなければ夜は賑わうのだろうが、いまはどうなんだろうか。

こんどは別のデザインのマンホールの蓋があった。



「南部鼻曲がり鮭」が描いてある。

線路沿いに歩いて宮古橋を渡る。





右手に鉄橋が見えている。



わたしは東日本大震災後の2011年4月21日に宮古市から釜石市ま車で走ったことがある。

そのとき撮影した写真。





あの鉄橋は津波で落ちていたのだった。

町の中もこのような惨状であった。





橋を渡り終えるとごみ置き場に「義経北行きコース」の案内があったのだが、、



文字がかすれてしまっていて、ごみ置き場の看板に間違えられそうである。



源義経も「ずいぶん遠くへ来たもんだ」と思っているだろうな。

歩道橋の柱には「東日本大震災、津波浸水ここまで」の表示があった。





住宅の一階部分は完全に水没したのだとわかる。


次回の総裁選に不出馬を表明した菅総理のポスターがあった。



菅さんは残念な総理大臣だったなあ。
ある週刊誌で「菅総理のしたことはスマホ料金の値下げだけ。」という記事があったっけな。
あの生気のない目、原稿を棒読みするだけでさっぱり伝わらない話し方、質問には答えずすぐにキレるなど政治家としては失格だった。

安部前総理の路線を踏襲するというのもマズかったと思う。
自分の意見、方針というのがなかったのだろう、コロナ感染者の増加で右往左往してしまった感は否めない。
そのくせ感染者が増加している中オリンピックを強行するなど強情な面でマイナス評価になってしまった。

それにしても、、、以前にも書いたのだが野党の存在感の無さはどうだろう。
野党の連中は本気で政権を担おうという気が無いのではないかと思うのだ。
シャドーキャビネットを作り野党が連携し政策を打ち出していかなければならないのに全くやる気なしのようだし。

「与党になるといろいろマスコミや国民から叩かれるしね、このまま国会議員としてラクに暮らしたほうがいいや」なんて考えていやしないか!
と、つい野党を応援するつもりが怒鳴りつけたくなるのだった。

今日の天気予報は晴れなのだが、まだこの時間は曇り空で冷たい風が吹いている。



パーカーを脱ぐと寒いが着ると汗ばむという中途半端な天候だ。

少し行くと「幕軍無名戦士の墓」というのがあった。









幕末の戦いではここ宮古湾も戦場になったのだ。
なんと首の無い幕軍兵士の遺体が流れ着いたのだという。

磯鶏駅に到着。










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