東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

東海道本線全線全駅歩き旅 続編(72) 山崎駅 ―> 島本駅

2022年08月17日 | 東海道本線 京都駅から神戸駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(72)

2022年(R4)5月29日(日) 山崎駅 ―> 島本駅 JR営業キロ2.2Km

ウィスキー樽のベンチで15分ほど休む。
暑さでしんどい、休憩を多めに入れないと熱中症で倒れるかもしれない。

駅前のコンビニの前で若い外国人が数人休んでいた。





いま日本は観光客を受け入れていないからたぶん留学生だろうな。
彼らもこの暑さにうんざりしているのだろう。

ずいぶん前のことになるが学生アルバイトに卒業旅行について聞いたときのこと、
その学生に「いえ! 僕は完全な英語を話せるようになるまでは外国へは行きません」と返事をされて、これまた返答に困ったことがあった。
「ふーん、、完全な英語かあ」 完全な英語だろうが完全に英語を話すだろうがどちらでもよいけどね。
志は高いほうが良いとは思うが、はたして彼は完全な英語を話せるようになっただろうかと日本語さえもままならないわたしは思うのだ。



西国街道の狭い道をふうふう言いながら歩いていく。



こんなときは歩き旅を始めた自分がうらめしくなるのだった。





「ああ、あの電車に乗ればエアコンが・・・」





途中でサントリー山崎工場の前を通る。





酒を飲まないわたしには縁のない工場だ。

















島本駅前に公園がある。





大きな石碑があって「楠公父子決別之所」とあった。
その近くには石像もあり台座には「滅私奉公」とある。





滅私奉公は戦時中はよく使われていた言葉だ。
私を捨て公に尽くすということだが、戦時中は「国のため死ね」というような極端な意味で使われたと思う。

ずいぶん前のことだがタクシーに乗ったら運転手が話しかけてきた、
「お客さん、今の若いもんはダメだね。やっぱり戦争にならなきゃよくならんね。」と言うのだ。
わたしは「は?・・・」と返す言葉が出なかった。
彼の理論では、戦争が起きる → 若者が徴兵される → 軍事訓練でしごかれ規律正しくなる → 日本がよくなる、ということのようだ。
そんなことはないだろうと思う。
いまのロシア・プーチンが始めたウクライナとの戦争をみればわかることだ、略奪、暴行、破壊それが戦争であり、正しく規律ある戦争なんてありゃしないのだ。
かれらロシア兵も訓練でしごかれて戦場へと送られてきたはずだ。
滅私奉公は上に立つ者にとって都合の良い言葉だ。
公は国、社会ということだろうが、実際に使われるときは上司、上官という意味で使ってしまうのだから。

島本駅に着いた。



ここにも想定水深2.2mのプレートがある。



地図を見ると淀川から1.3キロメートルしかない。



そうかそれで傘がたくさん置いてあるのか(笑)
これは、善意の傘というものだった。





この時間帯は駅に人の姿はない。





暑さに負けてまだ午後3時前だというのに歩き旅はこの駅で中断だ。



電車で京都駅まで戻り、バスに乗り河原町五条で降りる。
五条大橋の近くにローソン100の店があるので買い物をする。





スーパーで買うよりこちらのほうが安いのだ。
ごぼうサラダが108円、チラシ寿司が214円、バナナ108円、サンドイッチも130円の安さにつられてたくさん買ってしまって節約といいがたい買い物になってしまったけど。
都会は安い店から高級店まで選択肢が多いから便利だね。



今日の最高気温は33.5度だった、さすがにへたばった。


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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(71) 長岡京駅 ―> 山崎駅

2022年08月17日 | 東海道本線 京都駅から神戸駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(71)

2022年(R4)5月29日(日) 長岡京駅 ―> 山崎駅 JR営業キロ4.0Km

駅前には恵解山古墳への案内があった。
ここも旅の計画を立てていた時に見ようと思っていたところだ。
以前古墳に関する本を読んでから古墳に興味を持つようになった。
岩手県にもあるらしいが古墳は関東以西、特に関西に集中している。

勝竜寺城公園も見ていくかな~。



細川ガラシャってこんなひょうきんな人だったのか(笑)





城の土塁跡がある神足神社もちょっとだけ見る。







進んでいくとお城が見えてきた。



中に入ると明智光秀と細川ガラシャの像があった。



かれらの時代は西洋との交流もあって華やかだったんだろうが、誰が天下を取るかで争っていた時代でもあった、文字通りの命懸けの世の中。









園内から出ると気温は31度にまでなっていた。



暑い、とにかく暑い。風が無いから余計に暑く感じる。





ここも地名が長いなあ。



京都や長岡京では道路が碁盤の目状態にしてあってわかりやすかった。
ま、わたしのようなものだとこのように整備されていても道に迷うだろうけど。

恵解山通りを進んでいくと恵解山古墳の入口だ。







古墳の内部は公園になっていてジョギングする人、犬の散歩をする人がいる。



まずは埴輪を見に行こう。
古墳の模型で分かるようにぐるっと三重に埴輪が並べられているのだ。





今はその一部が再現されているのだが、それでもかなりの数である。







なにしろ古墳は全長128メートルもあるのというのだ。



墳墓の周りはお堀がめぐらされていたというからかなり土地を使ったんだな。
ひとつの墓に一族を葬るというなら別だが、王や権力者ひとりに一基造っていたのだろうし。
このくらいの大きさの墳墓を大量に作ったら田畑がなくなってしまうのではないだろうか。

イースター島ではモアイを作るために木を切り倒し続けたために、島が人の住めない環境になり人口が急激に減少したという説がある。
このような墳墓を作るために農民が駆り出され、土地も奪われたのだとしたなら古墳文化は衰退しても不思議ではないなと思った次第。
埴輪が並ぶ園内のベンチで30分ほど休憩する。







大山崎町には天下分け目の天王山の看板がある。





豊臣秀吉は情報戦でも優れていたし決断が早かったのだと思う。
よく日本の会社は決断が遅いというが、下から稟議を上げて根回しをして、なんども会議をしたのにトップがノーというのでまたいちからやり直しなどというのは珍しくない。
わたしが勤めていたところでも朝から夕方まで会議をして「決まったことは次の会議の日程だけ」、、ということがしょっちゅうあった。

このお宅の壁にあるのは弥生時代の絵かな、すてきですなあ。



近くにはサントリーのビール工場があって、その前の道路がサントリー通りだった。



ここも想定浸水3.1メートル。





大雨、台風の時はゆっくり寝てられないだろうな。







日曜日だからツーリングをする人をときどき見かけた。







山崎駅まで来た。





思いのほか小さな駅舎だ。正面のアーチがいいね。









待合室にはウィスキーの樽を再利用したベンチがあった。










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