八木沢・宮古短大駅―> 津軽石駅 営業キロ5.4Km
2021年9月7日(火曜日)
八木沢駅から少し行くと右手にこんもりとした丘がある。
「八木沢神社」だった。
昔は神社の敷地はもっと広かったのだろうが、道路の拡張や住宅地になったりしてぽつんと取り残された格好になっている。
その道路わきにご神木だったと思われる木の根があるのだが、これが実に格好良いのだ。
木は枯れたのだろう、根の部分だけが残っているが力強い生命観の溢れる形だった。
その近くには庚申塔があった。
「文政五年」とか「文化六年」「寛政十年」という文字がくっきりと見える。
1800年代のものなのだが文字がくっきりと見えるというのも珍しいのではないかと思う。
特に「寛政十年」の碑は最近作ったかのような明瞭さだった。
雲はどこかへ消え去って青空が見えてきた。途端に気温がぐんぐん上がる。パーカーもシャツも脱いでTシャツ一枚にする。
八木沢川に沿って歩く、線路は海からかなり離れたところを通っているのだ。
川はまさに清流である、さらさらと水音が心地よい。
道は狭く人通りは無い。
緩い坂を下っていくと海が見えてきた。
だが海は堤防に隠れてしまう。
左手の丘に神社があった。
「金浜稲荷神社」だった。道路わきに石碑があって「東日本大津波」と刻んである。
死者28名とのこと、その隣には「チリ地震津波記念碑」が建っている。
神社への石段を見るとあそこにも小さな石碑がある。
行ってみると「東日本大震災津波到達地点」の碑だった。
その高さから見るとここの町は完全に水没したのだなとわかるのだった。
坂を下っていくと海側は堤防になっていて海は全く見えない。
堤防に登ってみた。
堤防の上は幅3メートルほどで歩けるようにになっている。
湾をぐるりと取り囲んでいてまるで万里の長城のようだ。
内陸側を見ると以前は住宅があっただろう場所は更地になっていて、住宅はすべて山側へ移ってしまったようだ。
堤防の上を歩いていくとサーファーの人たちだろうか談笑しているのが見えた。
今日は凪で海はおだやかである。
津軽石川の河口には水門が設けられている、堤防を造っても川の部分が開いていたら意味ないからなあ。
堤防から降りて国道45号線を歩く。
ここにも山側への階段が造ってあった、それにしても急な階段だなあ。
津軽石駅への案内板が見えてきた。
踏切のわきには大きな石碑が建っていた。
古来太平洋側も日本海側も海路が発達していたから江戸、大阪の文化が伝わるのも早かったに違いない。
津軽石駅に到着、この駅も無人駅だ。
プラットホームにあった鮭の彫刻。
待合室にも南部鼻曲り鮭の剝製やらぬいぐるみ?
この待合室もきれいだ、座布団まであってゆっくりくつろぎたくなるほど。