銅相場モーター.鉄スクラップ買取大阪高槻市アジア向けコンテナ単位直輸出&廃棄物処分のトーナイ 吉備の国 古代史 

リサイクル買取 アジア一円に屑直輸出 銅スクラップ鉄モーターなど雑品高価買取

藤原氏 北面の武士藤内藤原云々・・出雲へ行く時千年前だ 白河院時代 鉄銅古代史トーナイ 

2014-12-26 06:32:29 | 美作国 吉備国 古代史
自分の先祖の出自調べ で遊ぶ

他人様の資料から頂戴すると・・・

【『広瀬町史下巻 藤内氏伝記』より
天喜元年(1053)、白河院誕生の折、柳原大納言吉実は出雲大社へ御勅使としての途中、仁多郡比田という所に

悪魔がすみ村人が難儀していると聞き、供をしていた北面の武士 

藤内民部藤原信貞(とうないみんぶ・ふじはらのぶさだ)に

「汝参りこれを鎮めよ」と命じ

信貞は瞑目合掌し、昨夜夢に現れた神に「神力をもって化生を鎮めさせ給え」と祈念し、目を開くと古猿が現れて招いた。

猿に従って奥山へ五丁ばかり、 古猿指す穴の入り口に化生の者がいた。

弓に白羽の矢をつがえて放ち 更に祈念して二の矢を放つと、今度は胸に命中した。

化生は驚いて立ち上がり、信貞めがけて飛びかかってきた。

信貞は刀をぬいて三刀刺通し、これを退治した。
・・・・・・現在も藤内家に弓が家宝として残っている】

これは 島根県出雲に伝わる話しだ

---北面の武士---というのは 平安京 天皇家の屋敷の中の 北の付近で待機し 天皇を守るお役目だ と思う

なんか どうも 出雲の国に クサビを打ち込みに向って 何かを殿の命令殺したんだろう と想像できる



神力をもって と あるので 祈り系でもあったんだろう 『とうないみんぶ・ふじわらのぶさだ』

出雲の地区に この後 住んで かなり活躍をした形跡もある 城も建てたみたいだ

出雲の中に吉備系の 大吉備津日子を祀る 神社も作ったと思う

この書いた お方の文章の最後に

こう書いてある



・・・・【東比田地区には藤原や藤内また須藤や須貝も多くみられます。

平安末期に活躍した那須与一資隆は藤原道長の後裔で当初須藤を称している。

この須藤一族が藤内氏を頼って鎌倉より当地に赴いたのでしょう。】・・・・



なんか この文章を読めば 猿の神様にも 何かご縁が強いんか

そういえば この出雲への道に ワシの先祖の関係した 中山神社(みまさかの国 津山市)があって

この奥の山はだに 猿神社があるんだ 

現在でも どうも 苗字を変えて この島根県にお住まいのようだ その昔 出雲に行った とうない 

田辺さんと言うんだったか 正確には書けないが たぶん その一族もそうだと思う

出雲に 比田神社 てのが あるみたいだ 時間があれば また詳しく調べてみたい 平成のとうない誠

みまさかの国で 最低でも1300年間、五ほこたての祠を守るように 指示をうけた一家の者(一応 その長男)

ただ 明治以降は その中山神社(美作国一ノ宮)とも 疎遠にはなってしまっている立場 東内誠

しかし 中山神社よりも 古くからあったのが 中山太神宮 東内 だと ワシらの村は言っている

中山神社や 吉備津日子神社は どちらも 一宮で ど迫力の いにしえ からの 吉備のおおきな神社だよ~

吉備の瀬戸内のほうの 一宮の神社の代々の宮司さんも 大藤内や 連綿と継承してる



とにかく 弥生時代に海外から 来たんだと思うわ

それを渡来人 っていうても ええと思う

弥生時代 ってのも きちっと線引きがされてるんかな~ 解らないな~

それらが それまで先に居た 縄文人とも 混ざって 今の日本人があるんだろうね 

縄文人を捕獲して 弥生人は 奴隷にしたんやろうか? したか? 解らないよね~

そうなんや 王の墓 古墳があると言う事は 奴隷もおらなければ そんな大工事 できやしないとも空想するんじゃ・・・



出雲街道の みまさか 楢原の トウナイ は 聖武天皇の時代は 良かったみたいだ なんか よくして戴いたイメージを持ってる

そして 鉄の生産とか 絹とか 銅の精錬とかや 警護のお役目も頂戴したのかも 知れない

従順なんだよね~ ワシの先祖たち

そんで 律儀にも 今でも その祠を守れと言伝えられて 4つの祠を各家が守っているって現実なんじゃから 律儀な家だよ

自分 で 言うのも なんだけれどね しかし これを 何時まで続けるんだ? ワシの長男は継承するといってくれて、

自分の また 長男もつれてこの日曜日も 祠の掃除に帰省してた 


何がメリットあるんか 意味不明やけれども メリットはなくても 脳みその中で そないに 語りかけられては しないとは 言えない



まあ とにかく 忠君愛国や 

解らないし 矛盾も多いが 忠君愛国したら ええねん

そや 自分の殿が 行けといえば 突進して突っ走っていくしか 道はないんじゃな

そないに 腹を決めていたら 恐いものはないで

武士道 ってのも その辺の時代から 出てきたんかいな~ よくは知らないが そうだと思う

武士も 神道が大好きだった と 思うよ



今時でいえば 任侠道 も それに 通じるところがあるんだ しかし これは最近の新しい法律で厳しいらしいね

ワシの場合は 自分の会社は そんな感じの一体感がある 一家みたいに したいとは常に思ってる

犯罪をやるっていうんじゃないよ ルールに基づいて 商売もしながら なんか 一体感があるような そんなイメージや



ああ そうだ 日本を一家と考える思想やな

そないしないと 外敵も多いからさ 国力も そないに大きいとも 言えず 纏まらねば 他国にやられる

敗れて占領されれば 連綿と続いてきた1300年もの 長い歴史が壊されるぞ

ここでは あえて2600年の歴史とは 言わない 

藤原鎌足 藤原不比等から どや1300年とも言える



そや 藤原の先祖 実は ワシが今 夜に住んでいる 大阪府三島 高槻市の山頂から

畿内一円を 今でも 見渡してみてござるんだ

そこは 何処から見てるかと申せば、 旧三島郡 大阪府 高槻市奈佐原うえの 阿武山の山頂や



阪神高速守口線を 大阪市此花区梅町2丁目のトーナイ此花営業所から

高槻市西面南4丁目 近くに 三島鴨神社 のところに 東内誠が帰って来るときに このアブ山が見える



阿武山の山頂からの この畿内の平野部と 淀川一帯の景色が良く見える

そうやねん 1300年前に この方が 描かれた日本国のイメージに沿って進んできているんじゃ



日本の国は2つには 割れないように仕組んであるんじゃ

そんなら 藤原氏は渡来系か? 外人か? だって??

そんな事を言う奴は この国から 出て行ったらええんじゃ



日本人は 弥生時代から 混ざって混ざってきているワケじゃけん

渡来人というたら 全員渡来人じゃし・・・

http://tohnai.com/top_main.html

今日も 年末まで スクラップの金銀銅含有品 買いまくるバタ屋トーナイ 日本一円買取

こんな ヤバイブログを見ても ワシに スクラップの引き合いを下さる方も多くて感謝しています







トウナイ 藤内 大分県。

①職業。藤原氏の内舎人から。

②山梨県北杜市明野町上手藤内発祥。

猿舞を生業としていた土地。

藤原氏に「藤」の字あり。

※徳島県三好郡東みよし町西庄藤内に分布あり。



トウナイ 東内 岡山県、兵庫県、佐賀県。


トウナイ 唐内 岡山県美作市、広島県、大阪府。
岡山県美作市尾谷が本拠。同地が起源地。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日々3千日程連続で更新中 政... | トップ | 露プーチン/サウジ王族 ルー... »
最新の画像もっと見る

美作国 吉備国 古代史」カテゴリの最新記事