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この週 なんとか市場が落ち着いてくれる事を大吉備津日子命に御祈りする銅相場藤内トーナイ

2016-06-27 07:20:01 | 美作国 吉備国 古代史
数分先の為替も数日先の 為替も 全く読めない それは
神のみぞ知るところ バタ屋トーナイ銅相場
 
吉備津彦(日子)神社とは
 
朝日の宮と称され、吉備之国最古の大社で古代信仰太陽、月星、泉、磐座、巨木を仰ぎ、山は神体山にして巨大な磐座磐境を有し超太古時代は気比太神宮、吉備社、吉備津神社、吉備津宮、朝廷直属の一品一宮の社宮として朝廷は勿論、諸民にも崇められて来ました。
 

社殿が出来たのは、天吉備津彦命神去りました崇神天皇六十年で、御神紋は太陽と月の重なりあった金環色を表現した二重丸の中に、四葉木瓜(伊勢皇大神宮と同じ御神紋)が入り、又九七の桐は本州一宮、天御中主大神を始め造化三神国産みの大元の神々又国の崇祖神と仰ぐ天照皇大御神(古代当社では気比大明神、気比比賣之大神)を祀る社であることが示され、亦御神紋十六菊は天皇家直の男神(天皇皇子)の方々、五七の桐は直の女神の方々を祀る印とされていて、御祭神、由緒社格の深遠さを示しています。

 
昔、気比神宮 と言われていたことを伝承者が伝えていましたが、
古文書を松田氏の部下に焼かれる前までは、上記の社名があったと思います。
明治二十年項まで大守 
藤内トーナイ家が宮司をされ、

その後昔の分家延友の大守家が受け継ぎ明冶三十年項宮司をされ、当時は大社 吉備津宮吉備津神社

(太郎太殿)と呼ぱれていた。
 昭和天皇御即位国幣小社昇格の頃
現在の吉備津彦神社と呼ぱれるようになったもの


 

夏至の日は、伊勢二見ケ浦、夫婦磐又鳥居の中心より太陽が昇り、吉備津彦神社も正面鳥居より太陽が昇り幣殿の御鏡に朝日が差込むよう社が造られています
 

大吉備津日子命
相殿
吉備津彦命(吉備津武彦命)
孝霊孝元開化崇神各天皇
彦刺日方別命 天足彦国押人命
大倭迹々日百襲比賣命大倭迹々日稚屋比賣命
金山彦命(鉄の神) 大山咋命

 
中山太神宮 トーナイ 大吉備津日子命を祀る
みまさかの国 楢原の神宿 藤内/東内
大倭迹々日百襲比賣命とは 箸墓古墳 大神神社
 
とにかく 時代時代の神々が 入りこみ過ぎていて
何が なんだか 解らん 大阪港のトーナイ
 
吉備の宮と 気比神宮(福井県)と関係が深いことは間違いないと思える のだ・・・

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