タイトルは今年リリース30年を迎える渡辺美里さんのアルバム「ribbon 」の収録曲で大江千里さんが作曲した「10years」から取りました。
今日で正式にサザンオールスターズが無期限活動休止と日産スタジアム4日間公演が新聞で発表されました。
その時の広告は東京のいとこから03年に桑田さんが出演したCMの日本航空のクリアファイルとともにいただきました。
当時私は「意地でも日産スタジアムには行く」と決めていました。
結婚後新幹線に乗って遠出する余裕なんて全然なかったし、離婚して3年後に介護の仕事に就くまではパートか派遣社員ばかりで東京なんて夢のまた夢だったから。
そのころのブログには介護の仕事をしていることもありやたらと腰が痛い話を書いていたが、今は腰も今以上に痛いし、クロスするサポーターを膝につけないといけないくらい膝も痛い。
仕事では怒られてばかりだったけど、必死にもがいていた。
意地になっていた反面、横浜まで行かなければいけないということでライブを断念せざるを得なければいけないファンが大勢いたという悲しい現実も見ました。
チケットが取れたときは天にも昇るくらいの気持ちでした。
チケットが取れてからケータイが故障したり利用者さんを不注意から骨折させる事故を起こして自分を見失ったりというピンチもありました。
無事に休みを取ることもでき、東京に10年ぶりに行くことができました。前年にいとこが買った西新井のマンションはホテルみたいでした。
ライブに行く前にいとこの会社の親睦会でキリンビールの工場見学と中華街での食べ放題ランチに参加してから日産スタジアムに行きました。
ぎりぎりだったので写真がたくさん取れなかったのが心残りでした。
ライブは大興奮のうちに始まり、最後の曲になった時は複雑な気持ちでした。
急いで会場を出て、西新井に着いたのは23時30分近くでした。
翌日は浅草に行き、いとこの家で北京オリンピックの閉会式を見て、帰宅日はフジテレビのお台場冒険王を見てから東京駅に戻り、夜の新幹線で帰宅しました。
私の目標は介護福祉士になるということでしたが、心に大きな穴が開きました。
13年にサザンが復活するまで何度も介護の仕事をやめたいと思ったことも何回もあったし、介護福祉士の試験が合格するまでも精神的にきつかったです。桑田さんが食道がんだと知った時は絶望しました。
ツイッターを始めてサザ友さんが増えたのは10年でした。
11年に東日本大震災が起き、介護福祉士試験も合格しましたが、頑張る気力はありませんでした。
宮城ライブは「これは被災されたファンのためだから」とエントリーを断念し、その年の「みんなで元気になろうぜの会」はお金がなくて断念。
12年の「ILOVEYOU~now&forever 」で4年ぶりの桑田さんにライブが見れなかった思いを爆発していました。
翌年のデビュー35周年の胸熱ツアーも参加しました。発表前に原因不明の高熱に苦しんでいたので無理だと思っていました。
14年は無理だと思っていた横浜アリーナにも行け、翌年の葡萄ツアーも参加できました。
16年は2度目の横浜アリーナのためにお金を残していたらチケットが取れずに悔しい思いをし、人間不信になってしまいました。
昨年はかかりつけの歯科医の先生が理不尽な殺人事件で亡くなり、5月は母がステージ4の大腸がんで絶望しました。
母の病気もよくなり、11月の桑田さんのソロツアーも行くことができました。
今年はNHKホールのライブが発表されましたが、40周年ライブがどうなるかはわかりません。
私自身もおととしの年越しライブのチケットのことで今年を最後にサザンのファンクラブをやめることも検討していました。でも、やめてそれでいいのかという思いと、SNSで話ができなくなるのも嫌だと思い、今のままでいます。
SNSではチケットが取れると思い込んでいる意見も出ていますが、母のこともあり「いつまでライブに行けるんだろうか?」という不安との戦いでもあります。
最後に5年前の時に原因不明の高熱のこともあったので体には気を付けたいと思います。