スーパーもも姐さんはミスうちゅうかん

サザンファンの介護福祉士です。阪神の糸井選手と同じ誕生日なのでこのタイトルになりました。

どんなことがあっても自分を見失うな。見失ったら負け。

2017年12月09日 21時20分55秒 | もも姐さんの読んでくれてありがとう

前々から書こうと考えていたネタです。

 

話の内容が重いのであえてコメントは閉じました。

 

この話は最初好角家のツイ友さんにツイートした話がきっかけです。

 

白鵬が「貴乃花親方が出席するのなら巡業に行かない」といった話で自分の経験で「中学入学前にその中学で先生が生徒の陰湿な嫌がらせを苦に自殺し、そのことが保護者や生徒にきちんと説明(あの当時は校内暴力で学校が荒れていたから)していなくて、制服も買ってもらったし、仲のいい友達もいる中不安感を出して先生が自殺するような中学には行きたくないとは言わなかったという話をツイートしました。

 

当時住んでいたところは環状線が出来て道路の便が良くなったのと、畑だったところを道路にして多額のお金が入ったことで成金となった人が多く、そして新興住宅が増えたことで子供の知らないところで古い住民と新しい住民との間で人間関係がぎくしゃくしだしたのと、今でいうマウンティングやカーストもひどかったです。

 

そういったこともあって、岐大附属へのお受験と名古屋の私立はお金持ちが行くものということもあって、お金持ちの家であろうと貧乏な家であろうとよほどの事情がない限り小学校から持ち上がりでみんな同じ中学に行きます。

 

悲しいことに家庭での欲求不満をいじめで出したり、禁止事項が多くしつけの厳しい家庭に育って自分の意見が言えなかったり、ヤンキーや今問題となっている発達障害で先生との確執があった同級生もいました。

 

仮に中学受験をして名古屋の私立中学や岐大附属に行っても昔からの仲のいい友達は見つけることは出来ない。

 

現実に中学生になって、中1ギャップで勉強も部活も人間関係も躓きました。不登校寸前にもなりました。高校も私立でした。親も恨んだこともありました。

 

しかし、自分が間違った道に進まなかったのは自分自身強い心があったことと、ヤンキーになっても同情されないというの野もあったし、理解のある友達や先生の存在やアニメや音楽や親の存在もあったのかもしれません。

 

今度は高校に入学する前に岐阜の高校で先生の理不尽な体罰が原因で精神的に追い込まれた女子生徒が自殺したり、修学旅行先で生徒が殴られて亡くなったという事件があって人間不信になり、今度は「些細なことで生徒を殴る教師のいる高校には行きたくない」と精神的に気分が悪くなりました。

 

事実、入った高校も底辺校でヤンキーばっかりだったので3年間が黒歴史だったし地獄で早く自由になりたいと思いました。

 

社会人になってからその反動が出て、遊び狂ってしまい最終的には自分を見失いました。

 

カルビーをやめてからはもっとひどかったです。

 

結婚後貧乏生活を強いられた時は「やりたい放題をした罰が当たったのでは」と思いました。

 

今から15年前は派遣社員でテレビの組み立てをやっていて、自由がない環境で仕事をやっていて、トイレに行く時間も指定されていて苦痛でした。向こうの家族ともうまくいかず、最終的には精神的に追い詰められて離婚しました。

 

再就職しても仕事は限られるし、年下の上司に罵声を浴びせられることもしょっちゅうでした。その職場も1年半でやめさせられました。

 

そんな私の考えを変えるきっかけとなったのは10年前に介護の仕事を始めたことです。

 

何故ならそれしか仕事がなかったからです。

 

資格を取って再就職しても利用者さんとはうまくコミュニケーションは取れないし、おむつも交換できないし、うまく移乗介助できないし、着替えもうまく解除できないし、お風呂でもパニクられるし、何よりも利用者さんに接するのが怖かったです。

 

当時の職場は介護度の多い方が多かったので体力を使いましたが、今の職場は認知症の方が多く、いろんな方がいるのでその人の合わせなければいけなくて苦悩しました。

 

特にコミュニケーションがうまくいかなくて年下の上司にパワハラみたいなことをされて、話の分かる人に事情を話して事は解決したもの、その上司が上層部とトラブルを起こしてやめることになりました。

 

介護の仕事で学んだことは世の中は自分の思い通りにはいかないということ我慢した分自由な生活をしたいという考えをしてはいけないということです。

 

最初の職場は老人保健施設で、入職した2か月後にクリスマスも大晦日も家に帰りたくても帰宅することさえできない利用者さんがいるという残酷な現実を知りました。家に帰っても彼らの居場所はないからです。

 

認知症の利用者さんと接するうちに「世の中は自分の思い通りにはいかない」ということも学びました。

 

あと努力もしないのに不平不満を言ってはいけないということも。

 

それ以上に自分の考えを変えるきっかけは母の大腸がんでした。

 

5月にインフォームドコンセントでステージ4で手術をしなかったら余命8か月で、手術をしても2年が限界という残酷な現実を告げられました。絶望する私の隣で母は茫然としていました。しかしそんなことでは負けない強い心を私と両親と岡崎に住む弟夫婦は学びました。

 

中学高校時代の私は絶望しすぎて自分を見失ってしまったのかもしれません。特に中学生の時は「高校に行けないと一生落ちこぼれになる」と思い込んでいたからです。

 

でも、高校に行きたくても行けない人がいるということを知ったのは結婚してからでした。

 

母の入院中はそれどころではなく、一日一日が必死でした。

 

母の退院1か月後の7月に買い物で行ったモレラ岐阜の七夕飾りの短冊に書いた願いが通じたのは半年後で、転移した肺と肝臓のうち肝臓のがんが消え、肺のがんは様子見ということでクリスマスもお正月も笑顔で過ごすことができます。

 

最後にどんなことがあっても自分を見失ってはいけないし、見失ったら負けということです。あと、心が不安定だと何をやってもうまくいかないです。中3の時の担任に中3の時のクラスでいじめられなかったこともあり、「心が落ち着きましたね。」といわれたことも大きいです。

 

 

 

 

 

 

コメント   この記事についてブログを書く
« たまには違う景色を見るのも... | トップ | 名古屋から徳島まで新幹線と... »
最新の画像もっと見る

もも姐さんの読んでくれてありがとう」カテゴリの最新記事