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今、憲法を誰がなぜ「改定」しようとするのか(2)

2008年11月25日 | 国際・政治

「今、憲法を誰がなぜ『改定』しようとするのか」--今年8月31日に開催された「2008年憲法講座」(中央憲法会議および東京・千葉・埼玉・神奈川の都県憲法会議:主催)での吉岡吉典氏(日本共産党元参議院議員)の講演からご紹介します。(文責:サイト管理者)

■吉岡氏が掲げる第2点目の要因は、日本支配層の独自の「改憲」要求です。

日本の支配層の中にも、アメリカの対日要求に呼応しながら、彼らの念頭にある目的として、つまり戦後アメリカ占領軍が受け入れなかった「明治憲法的憲法」に戻そうとする勢力の思いがあったということです。

吉岡氏は、終戦時、そして戦後の日本の支配層の動向を次のように紹介します。
ご存知のように、日本はポツダム宣言を受諾し、国連憲章にもとづく対日降伏条件を受け入れて戦争を終結したことになっています。しかし、当時の日本の支配層には、それまでの軍国主義を一掃して民主主義を確立するという意思はこれっぽっちもなかったというのです。
それが証拠に、天皇の「終戦の詔勅(しょうちょく)」では、あのアジア太平洋戦争を「帝国の自存と東亜の安定」を請い願った戦争だったとか、「東亜の解放」の戦争だったとか言って、全く反省していないのです。ポツダム宣言は、天皇と天皇制を守りながら戦争を終える手段に過ぎなかった訳です。

また、吉岡氏は、戦後の日本支配層の動向も紹介しています。
例えば、日本の支配層は、戦後、アメリカがポツダム宣言の忠実な実行として対日民主化政策の数々を推し進めたときに、あの悪名高き治安維持法の廃止や特高警察の解体という民主化措置に反対の態度を取りましたし、労働法制などの民主化措置もしぶしぶ執行したということを紹介しています。

さらに、当時の日本支配層が、戦後の日本を、軍国主義を一掃して民主主義の国にしなければならないというような気が全くなかった最たるものとして、安保条約締結交渉の際、日本側が方針としてまとめた文書である外務省編纂の「日本外交文書」『平和条約』から次の一文を驚きをもって紹介しています。
「人権その他‥‥占領管理下でおこなわれた民主的諸改革を永久化するような規定は設けないでほしい」と--戦後の民主化はアメリカの占領が続いている限りのもので、講和条約によって独立した後には消えて元に戻す、というのが彼ら支配層の狙いだったというのです。

そして、その立場は、自民党結党50年を経た今までずっと現行憲法を「明治憲法的憲法」に戻そうとする執念から「自主憲法制定」を党是に掲げ、憲法九条を無力化し、アメリカと一緒に日本が世界のどこでも「戦争ができる国」にする「新憲法草案」という形で現れた訳で、中曽根康弘元首相の「戦後政治の総決算」とか、安部晋三元首相の「戦後レジーム(占領制度)からの脱却」というスローガンとなって引き継がれてきたと指摘しています。

【参考】『月刊 憲法会議』2008年11月号(通巻375号)、「2008年憲法講座」での吉岡吉典氏の講演「日米同盟の新段階と日本国憲法」から

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