湘南オンラインフレネ日誌

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母の不調を/6/2 ビッッグイシュー茅ヶ崎販売員Tさんの販売資格停止をめぐって

2010-06-06 11:28:11 | 引きこもり
2010/06/02 記
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2日の夜に書いている。母が手足のつりを訴えて、父の介護から身を引かせて、父の夜の紙パンツ交換を済ませたところだ。母は4日、神経眼科、9日北里大附東病院の神経内科にかかる。それぞれに異常が診断されても、私にはストレスが胃切除の体力の失せた身体にかかったことが原因に見える。母の身体のことと同時に、父の介護の体制が限界に来たということなのだった。

今夜は湘南あすなろ会の定例会があった。会の代表でありビッグイシュー販売員のTさんの販売資格を取り消した日だった。飲酒は、冬場の寒さに耐えるために必要という説があり、ひとの寂しさ、苦しさを紛らわせてくれるとか、ひとの本音の付き合いが生まれるという説がある。しかし活動が順調なとき、飲酒が問題にならないのは、その活動の中に自分のリアルさ、実感のなかにいたから、公私混同せずに膨らませる活きた領域があった。その飲酒に流されないもうひとつの価値が煤けてきたとき、飲酒が問題になる。だから飲酒が問題になるときは、それは飲酒の問題なのではなく、見通しを失った活動の問題なのだ。彼は誰かが作る活動を待ちその活動に乗って動く。住居生活者と異なる悪条件はある。しかし新しく作る活動は寄る辺がない。提案すれば、それは自分で切り開かなくてはならない。ここが難しい。抑圧されてきた者の活動は初めからの諦めとの戦いであり、同僚の傍観の孤立との戦いでもある。その状況を打破する契機がビッグイシューに込められていた。そのTさんが販売を通じて購入者と契約を取り結ぶ販売活動の意味を見失って、収入源の側面に話が歪んでいった経緯が、轍を踏むようなやりきれなさを感じさせた。

公私ともに、胸突き八丁にやってきた感を強く感じている。

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私の生業の巡回は休み続きになってしまった。幸いは母は昼間元気だ。足の痛みが母の外出をためらわせているが、走ったり、階段を無理して早く昇降したりしなければ、なんとかできる。問題は起床時と、夜の就寝の前後の気が緩んだときの激しい症状だった。この不調時、一日3回(深夜を除く)のうちの2回の父の紙パンツ交換が時間的に重なった。私が父の身辺介助をしている時、母は不調を押して食事のあと始末を賢明にやっている。母の両手は掌蹠膿疱症なので水仕事は手袋を付けて行うが、手首から水が入ってしまうので、水仕事は従来敬遠していた。それが一転して、てきぱきと手足の症状対策による中断をしながらも、食器洗いを続けている様子がストレスフルなのだ。母はこの1年半強で、体重が15kg弱減り、身長が10cm縮んだ。体力的にも限界が来ているのだ。

その母の支えてきた分の手間が私の仕事に加わった。父が排尿に立ち上がるたびに、転倒の危険回避にかけつけなければならない。父は頻尿であり、昼間4~5回。夜間3回は毎日対応しなくてはならない。8回を越える見守りでは介護者の外出もままならない。しかし父を施設が入所させてくれない。今回の介護度判定で介護度を上げてくれれば、ショートステイの日数を増やしたり、入所の順待ちの優先度を上げることができる。自営業や私のような不規則勤務の者は、家庭に介護の手があると判断され、優先度を下げられてしまう。入所順待ちの順とは緊急度の順であって、介護度3の場合は、繰り返し自分の前に介護度の高い方が割り込み、順は一向にして減らないという問題があった。私たちは父の前に曾祖母ら4人を送り出している。母の最低限の遺留分を確保すれば、父の有料医療老人ホームの権利を買うゆとりはないのが現実。

だからと言って介護をひとりで抱え込めば、仕事や社会活動のすべてが止まってしまう。そのいずれもが手間隙を底無し沼のように食うものだ。父の介護度判定会議は7日に行われる。せめて介護度を3から4に上げて欲しいと願っている。支援制度枠を広げてほしいのだ。あとは下手な鉄砲のように入所希望を数当たるだけなのだ。

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午前中海老名巡回を済ませて、帰り寒川図書館の書籍更新を済ませた。JRで回り込んで、平塚図書館の更新分を済ませて、戻る道の平塚駅で食材の買い物を済ませると、茅ヶ崎駅から駆け足で家に戻らなければならなかった。水曜日は父のデイサービスの日で、16時半には自宅待機し、一度父を迎え入れてベッドに寝かせるところまでやらなければならなかった。

父は異様に元気なそぶりを誇示していた。しかし、玄関から階段の上がり口までの数mに2回も身体が崩れ、階段ではひたすら急いで階段を、てきぱきと上ろうとし、あやうく段を踏み外しそうになって、私が力づくで阻止した。これが2回繰返された。明らかに歩行能力は落ちており、その分、父が静かになったともいえるのだが、なおさらにしくじりが爆発して、おしめを受容してくれないと、ベッド周りのシーツや毛布などの洗濯物が激増、見守りと家事で在宅介護は破綻する。

既に片手が全く動かせなくなり、食器が動いてしまうので箸が使えなくなって、大半の食事はフォークとスプーンで食べている。汁物はマグカップに変わった。今日、朝の送り出しの階段介助のヘルパーさんに、その社の介護用品カタログから、「滑り止めマット」を注文した。食器の下に敷くのだ。

父の立ち小便の手伝いをしながら、時間が気になってならなかった。あすなろ会の定例会は、このデイサービスの日と重なっている。会議の時間が19時から18時半始まりになった。父がベッドに付くのが実際17時。遅いおやつをだしたり、紙パンツ交換を済ませると17時半になってしまう。夕食の献立を母に引き継いで、この1時間の間にサポセンに到着する必要があった。立ち食いソバをかき込むゆとりがあるかないか、当日の資料を刷る暇があるかないかという状態になった。ところが皆早く時間前に到着しているので、話しかけられたら印刷のゆとりはなくなる。今回も心乱れている状態の中で、Tさんの重要な話をしなければならなかった。

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あすなろ会の定例会には、今回初参加のKさんが同席していた。肝心のTさんが来ない。どうしたものかと思っていると、いつもの調子で入ってきた。とりあえず話を始めていたKさんの紹介や、あすなろ会が地元ネットワーク企画への何らかの参加を拡げて行きたいと、実はTさんの件で、all or nohing の状態を避けるために前段を作っておきたかった。ところが私の小細工はOさんと判断が違っていた。大事なことは先に話すべきだということだった。こうしたもつれの議論があった後、Tさんの件に議題が移った。

ビッグイシュー販売員は、販売中酒気帯びであってはならない。この件では、私が1回確認しており、以前、会の連絡先のOさんの元に購入者からの抗議連絡が来ていた。反省文を書いて数ヶ月のブランク。その復活後の酒気帯び確認だった。更に定時定位置の販売が、以前とは全く異なる不規則短時間販売となって、彼と出会えないという話が私のところにも購入者からの話が来ていた。冊子仕入れ資金枯渇は相談できる体制にあった。そこで路上飲酒しているとの購入者さんの抗議が東京事務所に届くにいたって限界になった。彼は私生活の飲酒だったという。私も厳しい抑圧下にある野宿者の完全禁酒を求めようとは思わない。ただ購入した資金が自立資金に有効に使われるのではなく、酒代になっていると思う購入者の気持ちも否定できない。活動はお互いの交渉で成立しているのだから、客の気持ちを忘れてはならないのだ。彼がビッグイシューを自分の生活自立活動に生かすことを通じて、野宿者支援活動に参加していくスタイルを捨て、より重要な野宿者支援活動に活動を移すというなら、ビッグイシュー販売にけじめをつけるべきだった。

Tさんへの経過説明と異論を受け取る場面となったが、Tさんは覚悟していた。あっさりと了解し、Tさんは販売員資格を失った。

大きな見通しは、妄想でもなんでもない。日常活動を支える土台のようなものだ。Tさんは日常活動をよく知っている。ただその活動の中から、切り拓いていくものの発想が感じられない。その見通しをTさんとの活動の中で育てられなかった限界を痛感している。


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明日、出来るだけ老人ホームを巡回しないと空きの日がなくなりつつある。結論を出した日とTさんの販売離脱を考えるが、野宿者支援活動の会の戦略的な見通しとの兼ね合いで、私の手間隙のゆとりをどう捻出するかを考えると眠れなかった。頭上で父の足を擦る音が聞こえ、ポータブルトイレの蓋が激しく閉じた。午前4時10分、父をベッドに戻しに行ってきた。10時には茅ヶ崎養護学校の進路担当の先生との、引きこもり青年の相談があり、東部病院で私の健康診断の予約をしたあと、香川を回って寒川のホームからホーム巡回を始める。8時半には家をでなければならなかった。あと4時間である。


夜間傾聴:中止(私のコンディション上の問題。ふたり連絡あり。)


(校正2回目済み)

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