湘南オンラインフレネ日誌

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8/18 気仙地方に美容サービスを届けよう(パンフレットより)

2011-08-19 05:56:39 | 引きこもり
2011/08/18 記
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サポセンの呼びかけが、お盆が間に挟まって進行していないので、企画の第一案の「大船渡の美容師さん協働のお店『絆』の支援を通した美容サービス提供」を実現するための呼びかけパンフレットを作った。

東日本大震災の際、自営店を押し流されてしまった美容師さんたち7名(1名入れ替わり。人数は変わらず。)が、盛岡の同業者NPOの支援するを受けて仮店舗を開設している。大船渡市のはずれの海岸線にあり、悪条件が重なってお客が来ないで窮地に追い込まれている。

この話を聞いて、私はあることを考えていた。それは災害救援期から日常生活支援期(特に避難生活)への支援の質の移行は、課題だけでなく信頼を得るために、日常的な接触が必要となるので、現地訪問型の支援活動から現地滞在型または、地元活動支援型が前提になる。現地滞在型の活動が無理な場合、長期戦に向けた地元活動に協力しつつ、湘南の地で資金バックアップのような支援活動を生み出さなくてはならないが、問題は冬場、いっそう孤立化した生活が精神衛生上の問題を相変わらずの元気付け路線や、暖房衣料・毛布の調達だけで閉じてしまう傾向が強いために、時期の転換という発想がなかなか生まれない。美容サービスは湘南の同業者さんに仮説住宅まわりをすればいいということにすり替わってしまう。

支援の気持ちを届ける活動から一歩踏み出して、日常生活の一部の支援に踏み込む活動の必要性がなかなか通らない。茅ケ崎にも被災地産の生鮮食料品や酒などをフリーマーケットに乗せて支援しているが、給与所得・年金所得あるいは生活保護受給者には支援がなかなか届かないことへの危機感は薄い。ここをどう説得するのか、または新たな活動の賛同者をどう得るのかという部分が、動かないままでいる。被災地出発時、このことは想像がついていたが、いま被災地の経済復興の動きの地面が沈下している事態に手がける活動をどう作るか、そこに触れるものを「絆」に感じ、ここから、丁度ひげ根が茎にまとまるように、日常生活支援の流れを形作る有力な一線として、その意味合いを説いてみようと思った。

湘南の同業者組合の方々は、この「絆」仮店舗結成の際、支援活動をされており、気仙地方(大船渡市・陸前高田・住田町)に美容サービスを生み出していく活動への支援を考えてみてくださいと、お願いしている。市民活動畑としては、その活動を衆知したり、カンパ活動を支援したりすることと同時に、サービス提供活動を組んで、仮説住宅ごとの美容サービスを「絆」から買うことを始めたい。

その辺の事情をパンフレットにまとめ、活動を冬の前に実体化したいと願っている。パンフレットは市民活動関係者・議員・行政・公共施設・新聞社支局に撒く。チラシを作っているが、これは効果が薄くても何回か駅頭チラシを撒いていく。

日常生活支援は生活に寄り添うために、後方支援からは、ここからだけの活動というより、被災者との民間交流を組織していく他の活動も必要となる。すでにその細い糸的活動のペットレスキュー支援活動を細々と立ち上げている。もう一本のひげ根である。

まだ企画途中だが若者交流企画が次に控えている。これも太いひげ根。

まずは、パンフレットの本文を読んでもらおう。これに画像が入っていると想像していただきたい。



------ ここから -------

☆☆「岩手被災地の避難生活の方に 地元の美容サービスを!!~冬に向かう被災地、生活のサービスを届けよう!」☆☆

aug.2011 提案者:飛田英昭 連絡はブログのコメントへ。
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●はじめに

 三陸の被災地では、厳しい暑さの夏から駆け足で厳しい寒さの冬がやってきます。全壊や被曝避難のために仮設住宅や、いまだ残る避難所の生活をしている方々は、知り合いの少ない隣人と、これから数年間の避難生活を強いられています。衣類や物資、娯楽の提供は大事な支援ですが、この長丁場の避難生活を、孤立せず、少しでも心のゆとりの持てる生活として過ごすために、被災者の望みに適う対話的な生活支援が作れないでしょうか。


 ●三陸の被災地巡回から

 私は7月末に気仙地方(大船渡市・陸前高田市・住田町)をまわってきました。陸前高田市は、いまだがれきの残る、復興へとはまだまだいえない状態でした。自衛隊は長期の救援活動を終えて引き上げるところでしたが、全国の交通機動隊が破壊されたあちこちの信号の交差点で、交通整理をしていました。8月の中ごろになって、気仙地方3市町で4042戸、約1万2千人分の仮設住宅が完成しました。陸前高田市では避難所も一部残ります。これらの方々が失業保険の切れる正念場の9月を前に、入居がこれからも続きます。

私の訪ねた葬儀屋さんは開店休業状態でした。家族が被災し亡くなったのです。生と死をみつめてきた方でさえ、仕事する気持ちにならないのです。家族と仕事と財産を失ったり、生き延びるために出稼ぎや、高校生のお子さんを通学できる地域に別居させるなど、重荷を抱えたまま家族がばらばらの状態の方も数多く、いまだ4千人を越える行方不明の家族を抱える方は、気持ちの切換えすら困難な状態にあります。仮設は同じ集落の方を集める工夫をしていますが、希望と抽選制を取り、高齢者等の介護の必要な方をまとめる等の配置をするために、昔なじみの隣人はばらばらになっており、見知らぬ方と隣あわせで仮住まいする状態にあります。仮設住宅は学校や公園などの公共用地を利用する関係上、住宅地から離れた山林の中などに作られており、避難所のような公共の見守りが弱まります。このため独居高齢者の孤立が際立った問題になっていますが、若い者でも、じっとしていれば社会から孤立する環境が仮設の避難生活です。

 私たち非被災地の支援者に避難生活そのものに対し出来ることはないのだろうかと、ボランティアセンターや市議会事務局、朝市や商店会、新聞社支局を訪ねました。浮かび上がった大きな課題は、「見守り」と「医療」、「交通支援」でした。保健師さんや、民生委員さんだけではとても対応できない人数の避難生活者の方が、このまま厳冬の季節に入っていきます。だから私たち支援者の支援の形も変えていかなくてはなりません。震災や津波の自然災害の、生命の危険から脱する時期を過ぎ、災害の次は人のつながり、孤独と生活難という困難に向かうのです。どこから支援したらいいのだろうと思いました。街が復興してもこの方たちは取り残されかねないのです。この方たちに届く支援。その糸口を考えていました。(次ページへ)


<参考記事>
●「石巻・渡波避難530世帯の3割が失職」(8/3)
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/08/20110803t11019.htm
●「焦点/"仮設孤独死"宮城で2人/きめ細やかなケア必要」(7/16)
    http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110716_01.htm
●「焦点/宮城の災害ボランティアセンター/生活支援へ重点移行」(8/2)
    http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110802_01.htm
●「大船渡の仮設団地 北上市が支援員配置」(7/27)
    http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/20110727-OYT8T00150.htm
●「仮設高齢者の買い物代行 盛岡のNPO 被災者雇用、安否確認も」(7/31)
    http://yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/news/20110731-OYT8T00089.htm
●「焦点/石巻市 在宅被災者支援/食糧配給 見直し苦慮」(8/4)
    http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110804_01.htm
●「仮設で車を共同利用 買い物や通院も手軽に 石巻・流留」(8/1)
    http://www.kahoku.co.jp/news/2011/08/20110801t13021.htm

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●陸前高田・大船渡の朝市を訪ねて

私は朝市を行なっている自営業者の代表の方にお話を伺いました。店舗を津波で押し流されて、中にはローンを組んで新装開店したばかりのお店を破壊されて、それでも同業者の方どうし寄り合い、様々な活動を再開し始めていました。

私は出発前に毎日新聞岩手版で大船渡の開業美容師さん、特にその2世の若い方々7人が半壊したホテルの広間を借りて仮店舗を開業した話を知っていました。地元に来て地方紙・東海新報(気仙地方中心のエリア日刊紙)で所在地を知りました。ところがあまり地元の方がお店をご存じないのです。場所は丸森という大船渡のはずれの海岸線でした。
私は生鮮食料品の移動販売のお店も調べました。しかしそこでも、同業者さんの動きもお互いにつかんでいない状態だとわかりました。東海新報広告欄には、「店舗販売を休業して移動販売に切り替えましたが、車が壊れしばらく休業します」とあったり、仮店舗の電話番号が全部携帯電話だったりしているのです。つまり自力で立ち上がるのに必死で、地域の状況をつかむゆとりがないのです。

私は丸森の協働美容室「絆」(右図)を訪ねました。アポなしなのにHさんが実情を教えてくれました。6月に7人で盛岡の同業NPOの力を借りてお店を立ち上げたのですが、一日3~10人のお客様で、7人がとても食べていける状態ではないので、なんとかしたいとのこと。

路線バスの本数が少なく、街灯の無い荒れた海岸線を歩いて来る方は帰り道、暗くなると危険だし、海岸線は被災体験を思い起こして海が怖いのだとのこと。私は理・美容サービスは日常生活になくてはならないし、女性にとっては癒しになります。地元の方と組めれば、湘南から避難者の方々の、特に単身者見守りを兼ねたサービスを届けられると思っていました。Hさんたちは、自立再開を地元の方とのつながりの中に作り直していく強い気持ちを感じさせてくれました。


●美容サービスの実現へ(1)

私はHさんに、訪問サービスの有無を聞きました。現場では遠方から美容師さんがやってきて、すぐに帰っていくということの連続で、地元の同業者から開業の芽をつまないでほしいと申し入れがあり、一方保健所から、衛生管理のことがあるので、無断でサービスを入れるのは避けて欲しいと注意があったのだそうです。その衛生管理下の場所と日程で運営されているため、サービスが広がりにくいと判断し、待ちうけ店舗型のサービスをしているとのこと。現在は収入にならないので、同業者NPOから、寄付金から捻出したお給料をいただいて生活しているとのこと。


●美容サービスの実現へ(2)

問題は絞られてきました。マイクロバスなどの送迎手段があれば、現状を変えられること、さらには、仮設住宅には買い物・通院などに不可欠の車の「カーシェアリング(自家用車の共同使用)」制を提唱して、ご近所乗り合いで送迎するシステムを作っていくこと(注:『カーシェアリング』は石巻市で始まっています。)私たちは、その送迎や美容サービス実費、全国CMの費用の一部を応援カンパし、先々は地元業者さんを通じた美容サービスを買う形で避難者の方にサービスを届けるという枠組みを考え出しました。美容サービスを届ける活動として、災害基金に働きかけていく支援も出来るでしょう。地元活動と連携する支援、それがこれからの支援のスタイルとなるでしょう。現地には地元活動を応援にいくのです。

交通手段を確保することは、当事者さんと話しながら探っていきます。Hさんからは、当座、車から見える「支柱看板が欲しい」とのこと。湘南の同業者組合の方々も、この「絆」さんの仮店舗開設支援をしたことがあり、つたない私の提案を検討していただいています。

湘南から支援の輪を拡げませんか。まずは地元に芽のある気仙地方の「絆」の美容サービス提供活動から手がけ、生活支援の活動を生み出して行きませんか。


●**被災地の日常生活支援を始めよう ~まずは美容サービス支援から~**

 まずは茅ケ崎に美容サービス提供支援の活動を立ち上げたい。同業者組合の方々の活動と連携し、地域の支援の会を立ち上げたい。未だ飛田ひとりだが、ツイッターとチラシ配布を通じ複数名の有志を募ることから始める。気仙地方との連絡や、カンパ活動の口火を切っていく。

 この活動は、日常生活支援のモデルケースであり、「カーシェアリング」のようなタイムリーなコミュニティ作りの提唱と関連付けた、領域拡張性に富んだ活動だと思う。この活動から派生する諸活動を期待しここから始めて行きたい。

 活動の先に構想している支援体制の例を挙げておく。被災地は支援対策本部・ボラセン・関係NPOの個々に呼びかけていくことを継続していく。

------ ここまで --------




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