湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

香川・下宿屋の牧野さんを訪ねて#現状打開提案は活動の「上積み」なのだろうか

2006-06-24 05:49:43 | 引きこもり
 茅ケ崎の香川・下宿屋さんを訪ねた。YJS湘南作り頓挫のお詫びと今後の事について語るつもりでいた。昨日は食事会の日、そこならば牧野さんはいらっしゃるはずという考えと、参加される方たちとの語らいの貴重な場を中断することになるという臆する気持の狭間に立っていた。

 しかし、事務室の奥の部屋に通された時点で、私は語るべき言葉を失っていた。それはどこから己が言葉を発していくかの拠り所の違いが直感されたからだった。私が通されたのは事務室という日常の先端から遮断された牧野さんの思案の回廊だったからだ。思念の塊の受け渡しが準備されたといえばいいか。私は言葉の壁に再び出会わざるを得なかった。語れば通じるものではないものが、今伝えるべきものだったからだ。

 私は通じない言葉を抱えて10余年、閉ざした自分の拠点を後に他塾・他団体を彷徨ってきた。そこで見たものは子どもや青年の、矯正であったり競争を煽るものたちが、「フリー」とか「治療」という言葉で子どもや青年の言葉を奪う姿であり、シェルターの中に理想郷をつくろうとする姿だった。否応なしに自分は社会の中に生きている。その立脚点の上に活動を育てていく場を求めては、看板と違う塾や団体に齟齬を起こしていた。何人かの良心と出会うこともあったが、経営危機と主宰者の他界によって再びはぐれたり、政治勢力の価値観と異なっていたために排除されたりもしてきた。

 しかしそういう体験の中で一番重くのしかかったものは、見えない制約だった。ハンデキャップを抱えた青少年を受け入れる地元に根付いた東京の塾の場合、教員は授業時間外、子どもと町で出会い、親と親しいいわゆる地元の人間だった。少年野球チームを率いたり、親に追い出された子を家に招き、親との間に立ち和解させたりと、それは身近な大人たちだった。湘南から通勤する私は授業の場で身を開くことに専念したが、その地の距離感はいかんともし難かった。

 私はその塾の授業の中にひとつの誤解を見つけていた。熱心に教えれば通じるという誤解だった。わかり易さの背後には、あるレベル以上の相互信頼があり、その外周に科学的な判断や技術が拡がっている。それがぴたり、当人の心と情況課題にあったとき、まなびは共鳴していく。その塾は、軽度発達障がいのような認知の偏りを、一律普遍的なひとに還元してしまう過ちを包み込んでいた。ところがそのことは、素直に伝わっていかなかった。有限の通勤日授業時間帯を磨けば磨くほど、大人たちとの関係は悪化していった。授業は教員と生徒の相互で作るものだ。そこに別の流儀が割り込むために、生徒は板ばさみにあった。学習困難児とともに「子どもと歩く」という町の探索に出た授業や、休日利用の塾の泊り込み雑談などの企画(実は認知の偏りを包み込むプログラム)を進めたものの、それらは非日常を作り出すもの。普段から顔を突き合わせている教員とは違うことをしていることに、親は不信を抱いた。

 親に対して説明したものの論は宙に浮いた。面倒見のよい古参教員の書写反復練習を私が批判したことが、子どもから親に伝わっていた。識字困難な子への反復練習はストレスでしかない。しかし当時はまだ軽度発達障がいの情報が社会認知されていないがゆえに、非常識と判断されていた。この最中、私は交通事故を起こし長期入院で中断退職したのだが、日常の出会いが私の語りを遮断していることが、次々にその論議の中に出てきていた。私は客人、その受け入れがたい言葉を入院中復唱していた。

 この10数年間は門前払いを繰り返されてきたのだという思いがある。立場の違いを先方に伝えることほど虚しいことはない。しかし根付いて活動を拡げたい。そういう堂々巡りの思いが尾を引いている。今私は職業とは別に活動を継続するつもりで地域の中間支援者として提言を行ない活動を拡げてきた。しかし根無し草となった今、私は構想の質が現状打開の良策としてフィットすることを目指していく。しかしそれはボトムダウン型の活動でしかないのだ。夜間の傾聴もその塾の私を理解してくれた教員の個人的紹介の子たちだけというのが現状。

 私の主張の中に「シェルターから社会へ」という流れの必要性を説く部分がある。ここに私の事情が投影されていると読むのは時代を読まぬ過ちだ。だが立場の差の大きさは言葉を淀ませてしまう。あなたは時代状況をどう読むか。その応答を待つことほど虚しいことはない。しかし問いかけ続ける。

 牧野さんとのキャッチボールに諦めを感じたのは、今まさに書き綴っている行為の矛盾、通じない言葉を投げなければならないことが場として提供されたからだった。活動を媒介して知り合っていくことと、供述後の理解は違う。ならば訪問することによって事・通じさせる方策を持ち合わせていたのかと考える。

 7/22講演会のチラシやら、「わーく」紙発刊の呼び掛けを手渡し依頼しながら、溝を眺めていた。牧野さんから「手をつなぐ」次号の原稿をいただいたが、そこに描かれている内容は、「社会における『ひと』との関わりの中で育まれる『関係性の充足感』」が基礎であるということ。これはボトムダウン型の活動に制約されてきた私には、活動をしている諸団体にとって「上積み」の活動が私にとっては「架橋」・「場作り」のであるという矛盾に映った。共に泣き笑い、共に歩んでいくことは私の求めているものでありながら、私は溝を見ている。今、時代の流れの中で手を打たねばならないことはなにかということと、ひとの人生の交点の中に、生きていくことの深まりをひろげていくこととは位相が違う。私は前者を語り、牧野さんは後者を私に伝えた。

 私は「上積み」と見える余地のある活動をしてきたのだと限界を感じている。私は活動の環境を提案しているが、その提案が先にあるものと解釈されてしまう。「いま・ここ」は常に代謝している。そこにのしかかってきている影を払う環境を描こうとしている。「上積み」とか「転換」のプログラムを提案しているわけではない。ボトムダウンの場合、その構想が従来の活動とフィットする反芻改良が必要となる。「共通の絵」が描けないものかと思案する。この営みは結ぶことがないのだろうか。

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サポセン広報合同会議への出席。
茅ケ崎保健所への経過報告と構想具体化への協力要請。
茅ケ崎市青少年会館・茅ケ崎市立図書館へのチラシ配布。
「わーく」紙&関連HPのデザイナー確保>文教大へ。
リハビリテーション専門学校へのチラシ配布。
茅ケ崎養護学校へのチラシ配布。
個人宅2軒チラシ配布。
「わーく」編集会議会員制掲示板調整。


以上済み

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