湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

12/27 父の特養に荷物を回収に行き/茅ヶ崎市との協働事業提案のアセスメント

2013-12-28 05:01:20 | 地震津波災害ボランティア

2013/12/27 記
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夕方、父が生活していた特養に行き、父の衣類や生活用具等を引き上げてきた。市役所のアセスメントは、私が出した協働事業の件についてのものだった。行政と私の団体とのアセスだった。両者とも年末総ざらいの感、ため息とともに仕切り直しである。

特養に移ってから半年、それでも小型洗濯機の段ボール箱ひとつ分の荷物があった。タクシーを頼んで運んだが、寝具や下着等、レンタル衣類・紙おむつを除外しても、これほど生活を維持するには必要なのかと改めて思う。

特養の生活が終わるにあたって、特養のケアマネさんから最後の介護実施報告の記録承認と、預け備品返却承認の要請を受け、書類に捺印するのだが、その印鑑を私は準備していなかった。辻堂駅からバスで行く特養なので、電話連絡中、印鑑が必要と言われても、辻堂駅周辺のどこで印鑑を仕入れたらいいのかわからず、大慌てしてしまった。何とか入手できたが、段取りを知らないというのは、どうしようもないものだ。祖母の最後のとき、特養の清算は、特養の細かい買い物用に預けた農協口座解約をしたのだが、農協の紋切り型対応との激突に強い印象が残って、特養解約は、特養のケアマネさんが我が家を訪問してくれたために、書類のつまづきの印象がなかった。やはり特養の経営はそれぞれホームによって違っているという当たり前の事実だった。

父の担当者とケアマネさん、施設長の挨拶を受けたが、父の体力減衰を背景にした発病という健康管理への不信感が払拭できなかったため、彼らの言葉は胸に落ちなかった。争う場合、すぐに結論はでない。勝って私の家庭に何の利点があろうか。予想賠償金を受けても高齢者家庭に大きな意味を見出せなかった。むしろタクシーを待たせている料金が無駄にあがっていくことが気になるという「さもしい」心になっていた。

タクシーのボンネットが閉まらず、位置変えして、やっと閉ざして出発、家までの料金は平常の2倍になっていた。

小雨降る中の運び込みを終えて、そのままタクシーに乗り込み、急ぎ茅ヶ崎駅に戻った。葬儀社とのお返し等の最後の打ち合わせ調整の約束時間がぎりぎりに迫っていたからだった。

葬儀社との調整に間に合ったが、さあ、カタログ商品が若い方向けで高齢者向きではなく、調整は30分を超えた。ところがその後には、母の処方箋薬局から薬を引き上げてこなければならなかった。医者もその処方箋薬局も今日を最後に休みに入ってしまう。電話をいれて店じまいぎりぎりに飛び込む旨の連絡をいれて、定時に来ない路線バスに冷や汗をかきつつ、駆け抜けて帰宅した。

苛立ったら負けである。ともあれ今年最後の「扉をきちんと閉めた」、その一言の一日だったのだ。

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市役所のアセスは、市民自治推進課との対話だった。汎用医療個人情報QRカード検討会実施提案について、その評価を説明してくれる場だった。

これについては、評価は事前に文書で通知を受けているが、個人提案が関連活動・関連団体と出会いにつながり、次へとつながっていくシステムや場面が働いていない結果、立ち消えていく現状に手立てを求める意見をだした。

これは市行政だけにいうことではないが、助成金を出すが、活動の公共性の部分の積極採用という意思を打ち出して欲しいと行政に語った。民間側でもサポチガなどの中間支援団体の企画にしても、グループ討論の形式が目的化して、各グループから出た提案を全体に共有するプロセスが省みられない、新たな出会いをその提案から生み出していく意思が希薄であることは、その分野の乏しい現状が背景にある。つまり、新たな提案が次につながっていくためには、勿論公共性の評価選別が入るが、公開された意思的な育成の試みが必要になる。新たな人材代謝が見えない社会活動特に福祉的活動では、新たな活動の立ち上げは、在来組織の内側の活動以外は、地域に芽生える可能性は低い。

一例を災害ボランティアにしてみると、災害発生時の安全避難と外野的応援というか、スタイルが阪神淡路大震災から取り組みが全く変わっていない。活動経験が蓄積されていかないこと。訪問応援イベント・被災地物産購入・カンパ提供に支援が閉じているように思えてならない。そこで新たな質の活動や、議論や提案があったにも関わらず、再建復興活動状況の拡散衰退とともに立ち消えて、またステレオタイプな活動だけが繰り返されていくという事態がある。ここでもまた、経験の意識的蓄積継承と具現化といういわば中間支援のつなぎ触媒活動が大切であるという次の段階に入っている。

これが矮小な言い方をすれば、既存組織が身動きできる範囲に留まる活動以外は、よそ者活動は淘汰されてしまうという現実に、私は抗していきたいと市民自治推進課の方々に意思表明した。

またQRカードは、医療機関の協力という最小ユニットからスタートしていく活動である。この意味でユニット形成には市行政の協力(市立病院の協力)という、トップダウン型の性格を持つ活動だ。課題の内容が市単位のものではなく全国の課題であるから、1年間の協働事業では不足しており、提案は全国をカバーしているところに出すべきという審査論調の背後に、既得活動との衝突が見え隠れしているように思える。しかしその活動は国レベルから降りてきた活動の具現化であり、一方では個人から出た発案は、そのまま即、国政レベルに反映する道はありえない。最低ユニットの実験を踏まえて、育てていくこと抜きには、新たな提案は有効性を証明することはできない。だからその意見はおかしいと反論した。全国が共有する課題を改善する試みを地方自治体から検討していくことが、おかしいと思うことにはならない。

今後は、この提案は関連専門職との接点を持つ方向で、出口をまさぐっていくと告げた。

また私の活動が個人の活動から抜け出ていないとの指摘もあった。従来の活動が既存団体を背景にして、その団体がなしうることを前提に行政に補助を求めるという活動が主だった。私の組織は県内では年齢が私以上の、いわば団塊の世代以上の方が数名、オンライン上ならという条件を抜け出せないひきこもり青年が数名、市内は後期高齢者の人と段階の世代の方で構成されている。そういう小さな団体、特に茅ヶ崎市という枠では、実際社会交渉を行えるのは私だけという組織力に限界のある団体だ。これが前述の内側活動の方法に乗せることはできない。しかし、社会活動は、潜在ニーズを背景に、なんらかの契機で公開されたことが芽になって、提案した活動が拡がっていくということもゼロではない。しかし、その潜在ニーズがない場合は、いみじくも私が実証してしまった。累積6万枚(A5 size)の被災者支援のチラシ投函の反応のように、純粋反応0という厳しい現実がある。被災者の避難生活の現状という認識が共有されていないのだ。だから、個人提案が実態的な社会活動と変容遂げていくには、意図的な出会い活動が動いていなくてはならない。ここ茅ヶ崎は、政党・組織の人脈の契機から立ち上げられている活動が多く、その限界が今回の提案にも出ているのだと説明した。苦い、そして長期地元活動に接している者以外には見えない隠れた影のようなものだった。

しかし、私が今回の協働事業の立ち上げ提案は、QRカードの案が、何回かの提案と質の評価を受けての経過を受け、それが民間への広がりを生んでこなかった点を踏まえてのことだった。その原因は、病院とのユニットからのスタートという性格を前に、少しずつ理解者との活動を膨らませていく市民活動の常識からはずれるトップダウン型の性格ゆえに、この壁を越えるには、行政の協力という、あたかも卵が先かニワトリが先かというループに、はまるような条件を内包していたからだった。

QRカードの有効性のCMやら、医療関係者との接点作りを今後は進めていく。これは他の私たちの活動と平行して、持続追求していくことを市民自治推進課の方々に意思表示した。QRカードは私たちの活動のひとつに戻ってきた。しかし、私が言い続けてきたこと、「誰もいないからその活動は出来ないというのは嘘だ。誰かが軸にならなければ、いかなる活動も成り立たない。」ということだ。「そのために、お前は何をしてきたのだ」という問いかけに答えられない活動は命を持たない、そう思うのだ。

市民自治推進課の課長さんも同席してくださった。今後の懇話会という種まき活動のことを含んで、QRカードの今後について、意思表示をさせていただいた。アセスの件、了解しました。ありがとうございました。本当に必要なことを守っていけたらという提案、耳を貸していただき、感謝しています。


夜間傾聴:**子(**子からの喪中の葉書の件)

p.s.きょうの弔問者1名。

(校正3回目済み)

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