2024/02/12 記
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ハッカーさん、こんばんは。連休最終日、母はリハ。その間に、「茅ヶ崎市合理的配慮促進条例を考える会」主催シンポジウム(市役所分庁舎会議室)に参加してきました。こじんまりとした会。思うところもありました。
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今回の会は、翔の会と自閉症児者親の会+育成会の面々中心。ずらり並んだレポーターは、市内で障害者の就労や出会い実践されている方達。
テーマは、合理的配慮の地域事例。事例報告は企業就労というより、町のお店が就労体験することで、地域とつながる契機を提供しているというもの。親御さんには、日常生活体験に重なっている好反応。私には物足らない。
一巡して、参加者発言を求められた。
私には、合理的配慮条例促進という活動をとりまく霧のようなとりとめのなさが気になっていた。健常者跋扈の無理解な社会に対する人権擁立活動の歴史は長い。そのハーケンとして、共生社会への呼びかけとして、条例制定は意味を持つが、社会活動として何をどう成していくのか。人権意識啓発を漠然と続けていくことなのか。
とりとめのなさとは、意識啓発なる啓蒙活動の空転にある。合理的配慮を要する現場は「個別具体的」であり、直面する困難は、解決への手がかりが見つからない事態を伴っている。だから合理的配慮の活動は、ともに迷い、ともに解決を促す相談活動あるいは、その活動分野解決の熟達者仲介活動であり、そこに合理的配慮推進活動の現実的姿があること、そこに根を張る意識的活動が必要、啓蒙活動は核心ではないと、原則論発言をした。
「課題は個別具体的」という話は、活動に戦略をもつことで、なぜこの場で語られたのか気づいた方は、何人いただろうか。案の定、以後の発言は、私の発言を飛び越して、講演者の街のインクルージョン実践に立ち会った話や共感表明が続き、私の提案は消えていった。
私の発言は、もうひとつあった。健常者社会の中の困難は,案外身近な軽減策を伴っているということ。ただそれは、的確な相談協力者による手がかりを得た場合、明快な策に到達すると言う事例を紹介した。
転居先地域の投票所の室内が暗く、視覚障害には書き込み困難。明るいところに移ることが禁止された不合理。市議に直訴。次回の投票の際、蛍光灯スタンドと懐中電灯が準備された。現場責任者は訴えを受け止めず、だれに相談したらいいのか困った。
エレベーター、とくに公共施設のエレベーターボタンの階が見えない困難。ボタンを押した後、表示が点いても意味がない。統一表示方式ではないので混乱する。このときも訴える先がわからない。工事管理者表示はあっても、故障ではないからと空転。所有者にたどりつけない。また借用施設なので変更できないという応答。
ところが茅ヶ崎イトーヨーカ堂では、頻繁利用階にセロテープで貼り付けた目印がある。これだけで配列の手がかりがえられる。操作盤の交換のような大袈裟なことではなく、日々目印が傷まないか気遣う手間だけであり、配慮する意識を保つ例であること。
見えない配慮も気づいて欲しい。イトーヨーカ堂入り口の閉店したシェーキーズの曲がり角には、背の高い鉢植えが置いてあった。道と段差が同じ煉瓦色で、つまづき転倒が頻繁に起こった。鉢植えの木をおくことで転倒事故が減った。次の店がきづいてくれるかどうか。これも一方的ではあるが、配慮の事例。視覚障害者が見える事例。
つまり、合理的配慮のなすことの裾野は広いということだ。
だそくではあったが、なにをどうはじめるかの手がかりの口火を切ったつもりだったが、みごとに経験共有表明の発言に消えていった。何を狙った発言かが通じていないのだ。
(校正1回目済み)