湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

2/13 トンネルを抜けると、そこは真っ白だった

2024-02-14 14:00:00 | 地震津波災害ボランティア
2024/02/13 記
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ハッカーさん,おはようございます。明け方と昼間の温度差が堪えます。
書き込みの時間が寸断されてこまっています。

母と目の悪い私の二人家族。どちらかが健康を害すると破局がやってきます。今日はそんな話を包括のケアマネさんが持ち込んできました。今回は、そんな話がらです。
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突然、包括のケアマネさんの訪問を受けた。母の家事支援のヘルパーさんが交代したので、様子を見にきたのだ。

話し合っているうちに、私の失明時や、母の寝たきりになったときの介護の話題になった。

その目で、身体介助できるのかという話になった。母の今の介護度では特養入所資格がないし、介護度があがっても、施設は順待ちで、すぐには入れないから、在宅介護が必要になる。

失明したら、私も生活支援が必要になるから、今から介護度をとりますかと問われた。取れば使わねばならない。ただ作業援助とか読書代行補佐のサービスがない。

愚かかもしれないが、今の支え合いをできるだけがんばって続けたいのだとつたえた。
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昼過ぎ、夜間中学騒ぎがあった路上の@@さんに会いに、横浜労災病院に行った。午前中のケアマネさんと話したことで私は落ち込んでいるのかもしれない。@@さんから手を引けと横浜市のSWさんから言われていた、後はまかせろの意味だ。

病院についたが、様子がおかしい。癌の病状が進んだかと、ナースセンターに話を聞く。そんな患者さん、いませんよとの信じがたい話。事情を話して様子をあらためてきいた。転院していた。親族の方ではないから、それ以上は、お伝えできませんという。遅かった。切れてしまった。

無念さが募る。
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帰りの電車の中で携帯が鳴った。母からだった。鍵を開けても、ドアが固くて開かないと焦った声。家にいるように言ったのに出かけていた。声の調子が切羽詰まっていた。近くのスーパーに行き用を足せ、焦るとつまずくから注意…通話はここまでで、電話が切れた。

茅ヶ崎駅についてすぐ、母の携帯に電話。ドアが開かないからと、近くの喫茶で時間をつぶしていた。そこで待っているように指示。喫茶で夕食を済ませた。

マンションの部屋は気密性が高く、日によって気圧差がいたずらして玄関ドアが開かなくなる。

家に戻りドアを開けると、鍵が開いていた。物騒だから注意してくれと母に小言。うるさいなあと母。と、母が焦り出した。携帯を喫茶に置き忘れたのだ。やむなく、母を置いて、喫茶に戻り携帯を受け取ってきた。家に戻ると大きな音でTVがついており、母は寝床に潜り込んで狸寝入りをきめこんでいた。ホームドラマではあるまいし、これから頻繁に出会うシーンだと、覚悟を新たにした。大袈裟かもしれないが、破綻の端緒は日常的な出来事に始まる。天井に下がった刃の下に生きるなら、道を見極めなくてはと自省する。お茶を沸かし、母を呼ぶ。

(校正1回目済み)


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2/12 合理的配慮条例制定シンポに参加して

2024-02-14 04:01:00 | 地震津波災害ボランティア

2024/02/12 

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ハッカーさん、こんばんは。連休最終日、母はリハ。その間に、「茅ヶ崎市合理的配慮促進条例を考える会」主催シンポジウム(市役所分庁舎会議室)に参加してきました。こじんまりとした会。思うところもありました。

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今回の会は、翔の会と自閉症児者親の会+育成会の面々中心。ずらり並んだレポーターは、市内で障害者の就労や出会い実践されている方達。


テーマは、合理的配慮の地域事例。事例報告は企業就労というより、町のお店が就労体験することで、地域とつながる契機を提供しているというもの。親御さんには、日常生活体験に重なっている好反応。私には物足らない。


一巡して、参加者発言を求められた。


私には、合理的配慮条例促進という活動をとりまく霧のようなとりとめのなさが気になっていた。健常者跋扈の無理解な社会に対する人権擁立活動の歴史は長い。そのハーケンとして、共生社会への呼びかけとして、条例制定は意味を持つが、社会活動として何をどう成していくのか。人権意識啓発を漠然と続けていくことなのか。


とりとめのなさとは、意識啓発なる啓蒙活動の空転にある。合理的配慮を要する現場は「個別具体的」であり、直面する困難は、解決への手がかりが見つからない事態を伴っている。だから合理的配慮の活動は、ともに迷い、ともに解決を促す相談活動あるいは、その活動分野解決の熟達者仲介活動であり、そこに合理的配慮推進活動の現実的姿があること、そこに根を張る意識的活動が必要、啓蒙活動は核心ではないと、原則論発言をした。


「課題は個別具体的」という話は、活動に戦略をもつことで、なぜこの場で語られたのか気づいた方は、何人いただろうか。案の定、以後の発言は、私の発言を飛び越して、講演者の街のインクルージョン実践に立ち会った話や共感表明が続き、私の提案は消えていった。


私の発言は、もうひとつあった。健常者社会の中の困難は,案外身近な軽減策を伴っているということ。ただそれは、的確な相談協力者による手がかりを得た場合、明快な策に到達すると言う事例を紹介した。


転居先地域の投票所の室内が暗く、視覚障害には書き込み困難。明るいところに移ることが禁止された不合理。市議に直訴。次回の投票の際、蛍光灯スタンドと懐中電灯が準備された。現場責任者は訴えを受け止めず、だれに相談したらいいのか困った。


エレベーター、とくに公共施設のエレベーターボタンの階が見えない困難。ボタンを押した後、表示が点いても意味がない。統一表示方式ではないので混乱する。このときも訴える先がわからない。工事管理者表示はあっても、故障ではないからと空転。所有者にたどりつけない。また借用施設なので変更できないという応答。


ところが茅ヶ崎イトーヨーカ堂では、頻繁利用階にセロテープで貼り付けた目印がある。これだけで配列の手がかりがえられる。操作盤の交換のような大袈裟なことではなく、日々目印が傷まないか気遣う手間だけであり、配慮する意識を保つ例であること。


見えない配慮も気づいて欲しい。イトーヨーカ堂入り口の閉店したシェーキーズの曲がり角には、背の高い鉢植えが置いてあった。道と段差が同じ煉瓦色で、つまづき転倒が頻繁に起こった。鉢植えの木をおくことで転倒事故が減った。次の店がきづいてくれるかどうか。これも一方的ではあるが、配慮の事例。視覚障害者が見える事例。


つまり、合理的配慮のなすことの裾野は広いということだ。


だそくではあったが、なにをどうはじめるかの手がかりの口火を切ったつもりだったが、みごとに経験共有表明の発言に消えていった。何を狙った発言かが通じていないのだ。


(校正1回目済み)


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