湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

8/3 下高井戸で映画「道草」を観、「居場所カフェ シンポ」に参加してきました

2019-08-05 02:52:00 | 地震津波災害ボランティア
----8/3は、朝が早かったため、ダウンしていました。書き込みが遅れてすみませんでした。


2019/08/03 記
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8/24(土)14:00〜茅ヶ崎市役所コミュニティホールA・B会議室にて「翔の会」主催の「道草」の上映会がある。

しかし、同日14:30〜藤沢Fプレイス労働会館では、映画「沈黙」の上映&交流会があり、企画が重なっていた。日韓関係が問われている時期、海外を含む上映会の経過を朴寿南さんの話として聞いておきたい。

偶然、下高井戸シネマで「道草」の上映会が、「居場所カフェ・シンポ」の時間前にあると知り、さっそく観に行ってきた。

cf.
映画「道草」関係
https://michikusa-movie.com/

http://www.ks-cinema.com/movie/michikusa/

知的障がいを伴う自閉症の青年の自立生活によりそう支援者との日常を描いている。しかし、GHだろうか、団欒の中で、そして地域散歩の中で、彼らは鬱屈せずに生きている。柔らかな心が育っている。飾ることない日常の思いが溢れ出ている、安定して共感できる作品だ。

しかし、朝10時からということもあるだろうか、観客は当事者家族が大半。館内も空きがめだった。それゆえに、大笑いの場面はないが、共感の呼吸が直に伝わってきた。

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下高井戸は初めてだった。行きは小田急新宿から、帰りは豪徳寺・海老名経由という安価な道で往復できたのも、母の見守りを承諾して下さった@@さんのバックアップあればこそ、感謝している。

下高井戸が世田谷だというのがどうもしっくりしないのだが、赤堤の住所に、昔、数教協(AMI)の知人数学者の塾がここだったと気がついた。民家の昭和の建物に、あらゆる店がひしめいており、日大文理学部の講堂も時を感じさせた。ちんまりと昭和の街と大学が駅前に収まっている印象だ。

●「シンポジウム 居場所カフェが教育を変えていく」主催: 居場所カフェ立ち上げプロジェクト/日大文理学部教育行政学研究室

私は関西のドーナツトークの田中俊英氏の切れ味のよい記事の読者だったが、講演会参加がいつも都合がつかなかった。

話題の底流にある子どもの貧困の話は、東京南部の塾を通じて20数年前に、所得の構造的な格差が青少年の学びの関心の差の形で、彼らを二分していく強い傾向を感じていた。それ以前の課題は、受験競争による学びの質抜けという、親世代の立身出世主義の終焉が見せる枯れススキのような学習への異議申し立てという、世襲が危機に瀕する賃金労働中間層子弟の分岐が表に出ていた。学習を資格習得のための経文暗記に落とし込めるなという批判となって現れていた。いわば中間層の危機感が滲んでいた。

不登校引きこもりの課題もまた、受験競争の歪みが、学校教育の知の枯渇があり、競争が生むいじめや能力格差(これも歪んでいるのだが)が発端となっていた。親の離職や身体不調のような個々人の事情は、競争環境の生活の違う友人とは分かち合えないハンデとして、心に空洞を広げた結果のような形で、登場していた。終戦直後の生活困窮とは、困難の質が違っていた。

ところが、バブル崩壊以降、賃金労働者の世襲は上層の課題として階層の範囲が狭まり、教育の幻想は去り、望まぬ必要の重しの周辺を浮遊する青少年のもろさに、いじめが契機となって折れる現れのひとつとして、不登校・引きこもりが変化し始めていた。フリースクールが、実利的な性格を強めていく、自滅的な時代がやってきていることを、私は感じていた。

終身雇用制が廃止され、非正規雇用と中小企業請負系列化(自律性喪失)によって、中間下層が解体していく時代、親は子に語る言葉を失い、子どもが先を見ることをやめた。条件の悪い子がいじめ、同調し安全圏を得る子、それさえもできない条件の子の孤立という根本的な改善を生み出せない苦しみの時代の、放埓な笑いの時代の中で、生き延びていく力をどう活かしていくかという手探りを教育カウンセリングの中で考えていた。

しかしそれは、青少年の課題として切り出すことはできない。7人にひとりが給食費を払うことが出来なかったり、親の介護を迫られる子の存在など、30年前では絶対的貧困として語られてきた貧困の課題が、相対的貧困に包まれて青少年に立ち現れてきたことをどう超えていくのか、あっけらかんとした表層の中で、まずは訪問支援の個的事情に継続伴走する仕事をしてきたとき、田中さんのガヤトリ・スピヴァグの「サバルタンは語ることが出来るか」の紹介が入り、ぞくりとした。それ以来の注目人物だったので、今回の集まりに注目していたのだが、それは空振りに終わった。

壇上のゲストは、互いの活動立ち上げの経過と、出会いの回想を語ることで時が過ぎた。学校教員の生徒に対する自己評価の高さと裏腹な、生徒の生活実態への無頓著の閉塞した学校空間に「居場所カフェ」を生む価値について、石井氏とともに、語って欲しかった。利用する生徒たちが解き放たれたものとは何かを語って欲しかった。

ちなみに田中氏が湯浅誠氏の「子ども食堂」礼賛に疑義を挟んだとき、私もまた「食堂」に参加する親子の背後に、噂の残酷さと恥がゆえに、沈黙している者がおり、フードバンクは
わかるが、「子ども食堂」は、知り合いの参加者がいれはいいが、善意圧があれば、それは「仲良し食事会」に変質していくだろうと考えていた。その怪しさを抱えている件も、田中氏は喝破していた。

またパノラマの石井正宏氏は、学校教員と民間支援者との違いは、学校教員が3〜4年生徒と関わるのに対して、民間支援者は、高校卒業後も長期伴走していくところにあるとしたところが納得が行ったが、さらには「居場所カフェ」には、「ななめの関係」も、活かせる場だとおもっていた。

これは前述した孤立の時代の内発性への信頼ろんぎへと繋がっていく、可能性の大きな話だ。そして「居場所カフェ」が、親と家庭と社会には「カウンターカルチャー」でもあると感じていた。

夜間傾聴: ひとり
(校正1回目済み)





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