2013/10/20 記
--------------
茅ヶ崎市との協働事業提案のプレゼンに向けて、準備を進めている。事前質問があって、事業予定や活動経歴、協働実現の見通しなどを聞かれて、SCF結成(2005)からの活動の通表を作っていた。
結構いろいろなことをやってきたと思う。しかし、組織に所属している方との協力は、結局は最終判断が組織の流れに、無意識に身を委ねるために、そのネットワークの中では自由なことが、外側の者には前提条件が違うために立ち入れない。その齟齬を積み重ねてきたのだとも思う。その乖離の破れ目が、ひと目でわかるような大事な内容の企画だ。予測して打つ企画は、みごとに空転している。
私は自分の活動を「社会活動」と呼ぶが「市民活動」とはいわない。現にさまざまな階級階層業界地域の利害がからまっている世界で、独立普遍の「市民」という人格を想定するのは、嘘が混じっていると思う。それは「等価交換としての労働」をいうに等しい。ひとはさまざまな不公平の中に生きている。
だから、実際は組織という営みの小宇宙があって、個人はその中に溶けている。その宇宙のバンアレン帯のような緩衝帯を抜けなければ、対話は宙に溶けていく。そんな感覚を改めて思った。やってきた大きな流れに、過ちはない。
また災害ボランティアでは、個人決意による現地滞在型の活動には参加できない弱点と、外野の投げ銭型善行を失礼と感じる私は、被災者の方々に語りかけたとき、語るあなたは如何なる人なのかという疑問のなかにある、どんな解決力をみやげにしてくれますかという問いに、足元のゆらぎを感じてしまう。その言いよどみが不審を呼び起こす矛盾。苦い思いがそこここにわきあがる。悔しさとともに。
また、今後の見通しは、建前賛成、各論躊躇、エンジンのないトロッコのような感じだ。要援護者が特に恩恵を受けると予測されるQR医療情報カードは、被災時のお守りのようなものなので、大震災の予兆を共有できなければ、まとまることがない。そうした負の思いの噴出の作業だった。細い可能性を追って、重要な道を拓いている胸突き八丁である。
-----
サポセンの「よるカフェ」企画の「スマホ」、提出資料が出来上がった。見てのお楽しみだ。
ペットレスキュー支援通信、配布時間のゆとりが取れない。困った。
橋本に行く。塾に引きこもり高校生が来る。ずいぶんふけた高校生だ。塾長の色目。堪忍してください、担当にゆとりなし。
夜間傾聴:塾長(お静かに)
(校正1回目済み)