真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

自己確立と共同創造3

2013年03月17日 20時32分31秒 | 自己確立と共同創造

宇宙の理」2012年4月号
昼下がりのコーヒーブレイク より

自己確立と共同創造3 
前生のおもいで(志摩川友重著 とびら要約と所感)


「役割」という言葉を私は良く使います。
人は自分の宇宙を持っていて、それぞれが役割として複数の舞台に参加しています。
人生というストーリーの中では当然、御法度が渦巻き、それを大いに発揮する役割を持った人が存在します。
みんな役割です。
良いとか悪いとかいうことは一つもありません。
悪事を演じる役割、憎まれる役割(憎まれ役)、それは私たちに私たちの影として投影されたものなのです。

「その暴力・攻撃は神のわざであると思え」
「それは神の愛ともいえる」
「殺されても憎むな」
「それを自然(神)の愛として感謝できるようにしておけ」
「だからといって無闇やたらと犠牲になれというのではないぞ」
「犠牲の道よりも調和の道のほうがはるかに尊い」
「神もそれを望んでいるはずだ」
「この理を知った者は、これを同様に知った仲間が他人から乱暴されていたとしても助けてはいけない」
「これを助けることは神の愛に反抗することになる」
「本人の成長進化を妨害することになる」
「それは本人に対してひじょうに失礼な行為となる」
「もしそれを黙ってみていられないのならば、その人の痛み・苦しみを共に分かち合え」
「なお、この理を知った上でなお他人に乱暴・攻撃を加えた者は、たとえ後で反省をしたとしても一切許されない」
「永遠に地獄の業火(ごうか)に焼かれて苦しむものと思え」
「他人に為した行為は必ず自分に戻ってくるものであるが、その戻ってくることを期待して行為してはならない」


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これはなかなか納得のいかない考えかも知りませんが、まだストーリーの途中です。
時代背景、石切り・石組みをする人のための授業であることや、彼らの役割や、先生が言うように善悪は人知を超えていることなど、全体をお読みになってご判断してください。
ただ言えることは、情けはいけないということです。
その辺の見極めが何とも難しい。
何かをしようとして分からないことがあった時、人にやり方だけ聞いて自分で助けを借りずにトライしようとしているのに、それに答えないでやってあげてしまう人を時々見受けますが、これは明らかなお節介です。
成長へのサポートになっていないのです。

「自分に返ってくることは一切期待をするな」
「思ってもいけない」
「期待をするということは、自分と他人との間に大きく線を引くということである」
「自分を特別扱いするということである」
「自分のことだけ考えるということである」
「そのような者には、石を扱うことはできない」
「何も期待してはいけない」「石のことについても何も期待してはいけない」

私にはもちろん石切りはできませんが、期待をするということは未来に生きているということです。
そしてそれは考えているということです。
石を切るということは思考が止まっていないとできないことは、みなさんも容易に判るでしょう。

期待は不安と表裏。
期待は「ギブ&テイク」の想念だから、お金を作り、分離を作ります。
ユートピアは「ギブ&ギブ」の世界。

万人が与え続ければ、結果として万人が今の100倍与えられ続けます。

「善悪についても考えてはいけない」
「真の善悪とは人知を超えるものである」
「善悪について考えるだけでも愚かな期待が入ってくる」
「何の期待もしてはいけない」
「思ってもいけない」
「心に何の期待も入れてはいけないぞ」
「純粋になれ」
「自然(神)に対して素直になれ」
「心に身体に自然(神)を満たし、自分自身が管(くだ)となってそのエネルギーを放出しろ」
「自分自身のエネルギーを放出するのではないぞ」「気をつけろ」
「自分自身を使って自然(神)のエネルギーを通すのだぞ」
「ここを間違うのではないぞ」「絶対に忘れるんじゃあないぞ」


気功一つとってもそうですが、エネルギーは天からやってきます。
またここでいう真の善悪とは、私のいうところの「正しいことと間違ったこと」。
一般で言う善悪とは思考の中で人間が決めたことです。
赤を黄色と決めればそうなります。
自由自在に善悪は人間が定義づけたものです。人間の意思が入ったものです。

しかし正しいことは人間の意思が入りません。
正しいことは直観的に真理としてやってきますが、正しいことは人間には判りません。

正しく生きたければ、正しいか正しくないか(二元の世界)を判断せずに、一つの流れ(一元の世界)に乗って生きること。

「問いかけは良いが、疑問はもってはいけない」
「問いかけをするときには、真剣に内なる自分に問いかけろ」
「絶対に疑いの心をもってはいけない」
「自然な状態でその解答が返ってくる」


心が、魂である真我の世界、そしてその先の本当の自分(全体意識)を疑ってはいけません。
それでは正しい答えは降りてきません。

「盲信は身も心も滅ぼすぞ」
「盲信は心の調和の乱れが一つの原因だともいえる」
「普段の生活の心構えがしっかりしていないところから心の不調和が生じる」
「だからといって毎日規則正しくしろ・・、というのではないぞ」
「規則正しい生活を続けることによって、自分自身を狭い枠に閉じ込め、自分の神聖を眠らせてしまうことがあるぞ」
「規則正しい生活に縛られると、それにより惰性と盲信を生み出し、進むべき道を踏み外すことにもなるぞ」


盲信は頑なな人生そのもの。
盲信は「今」の無き生き方。過去と未来を限定し、制限し、条件付け、本当の自分と神を否定した生き方。
盲信は自己確立とは真逆の世界。盲信は理性なき世界。凝り固まった閉ざされた世界。

「心の調和とは自然(神)との調和から生まれ、自然(神)との調和は石組みを制作する上で絶対に不可欠なものである」



「これらと調和するためにはいったいどのようにしたら良いのか」
「それはこれから毎日の生活の中で実際に体験し、自分で学んでいかなければならない」
「くれぐれも言っておくが、石組みを作るということに絶対に心を捕われないようにしておきなさい」


 最初は今までの固定化した生活観を取り壊すことから始まり、毎日授業ではボーとすることを学ばされたとのこと。ユートピアは神と一体になった世界です。以前も書きましたが心とは魂寄りではなく肉体に近いものです。洗心によって心を透明にして、体全体で神の意思(真理)を受け取り体現することが大切です。

 この文書からは、人の癒しにしろ、人の奇蹟にしろ、すべては天の協力があってこそ実現しているなのであり、それを為したからといって、決して自惚れてはいけないということがよく分ります。
 それにしても「無になる」ということは、やはりそれなりの努力と継続が必要なのですね。
 この文書、本当に学ぶところが多いです。

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