ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

沈黙のひと

2015年09月16日 | 文学

 昨夜、小池真理子の長編「沈黙のひと」を読了しました。

沈黙のひと (文春文庫)
小池 真理子
文藝春秋

 小池真理子というと、わりと色っぽい小説が多いイメージですが、今作は老いさらばえて死んでいった父親を恋う娘の物語でした。

 50代、独身、バツ1、編集者の娘。
 この娘が幼い頃、父親はよそに女を作り、妻子を捨てたのでした。
 そうでありながら、定期的に棄てたはずの妻と娘に会いに来る不思議な男。
 元妻も、当たり前のように受け入れるのです。

 父親は新しい妻との間に二人の娘をつくり、そのうえ浮気もする、女にだらしない男です。

 物語は父親が亡くなって後、異母妹らと遺品整理をするところから始まります。
 そこで、娘は古くなって動かない父親愛用のワープロを持ち帰ります。

 パーキンソン病を患い、言葉を発することが出来なくなった父は、ワープロを駆使して手紙を書いたり日記のようなメモを残したりします。
 娘はワープロに残されたデータを復原し、在りし日の父の思いを知ろうとするのです。

 やがて父親の病状は進み、キイ・ボードを叩く力すら失い、文字盤の文字を示すことすら手が震えて不可能になり、沈黙のなか、最後の日々を過ごすのです。

 それでも、介護士にページをめくってもらって、趣味が短歌のため、万葉集などを読んで知的活動にいそしむ父。
 意思表示の方法を失っても、認知症になったわけではないですから、内面では激しい精神の運動があったと思われます。

 しっかりした意識を持ちながら沈黙を守らざるを得ない日々がどういうものなのか、今の私には想像もつきません。
 それでも生に執着する姿こそ、人間本来の欲望なのかもしれません。

 ワープロに残された手紙やメモから、娘は老いてなお旺盛に人を恋うる父の姿を垣間見せられます。

 老人ホームでも色恋沙汰は尽きないと言いますから、人間いくつになっても達観することなど無いのが普通なのかもしれません。

 私の父は、長患いすることなく、呆気なく亡くなってしまいましたから、肉親の長患いという憂き目にあったことがありません。

 しかし時代は少子高齢化。
 これから長患いする老人は増えても、それを介護する肉親は減っていくのでしょうね。
 まして今、生涯独身率は上がるばかり。
 増えすぎたお一人様の老後はどうなるのでしょうか。

 そういう私も、独身ではありませんが、子がありません。
 どちらが先に亡くなるかは分かりませんが、生き残ったほうはお一人様で最後を迎えるほかありません。

 興味深く、また切ない物語ではありましたが、なんだか身につまされるようで、先々が不安に感じられました。

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衰える

2015年09月15日 | その他

 横綱、白鳳が初日から2連敗して休場することになったそうですね。

 北の湖にしても、千代の富士にしても、貴乃花にしても、大横綱と呼ばれた人々といえど、衰え始めると呆気ないほど早く引退に追い込まれるものです。
 白鳳は歴代横綱のなかでもダントツの優勝回数を誇り、目標喪失のような状態で、気力を維持するのは難しいでしょう。
 気力が萎えると力が出ないのも理の当然。

 「平家物語」の冒頭の一節、盛者必衰の理をあらわす、という文句を思い出します。

平家物語 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)
角川書店
角川書店

 野球にしてもサッカーにしてもボクシングにしても、どれだけ活躍し、強かった人も、加齢により、衰えていきます。
 政治家をみていても、我が世の春を謳歌した竹下登も呆気なく逝ってしまいましたし、90代後半で、今も時折テレビで見かける中曽根康弘もすっかり衰えました。

 アスリートや政治家がそうかどうかは異論のあることと思いますが、俳優などは、衰え行く姿をさらすこともまた、重要な役割なのではないかと思います。

 身近なところでは、祖父母や両親が子や孫に衰え行く姿を見せることで、人は必ず死ぬこと、死に際しては程度の差はあれ必ず苦しむことを教えるのも、人生の先達の義務と言えるでしょう。

 私は20年ほど前に祖母を、3年半ほど前に父を無くしました。
 それはいずれも身を切られるような辛い体験でしたし、火葬場でお骨を拾う時は大変な衝撃を受けたものです。
 そして衝撃と同時に、人生というものに白けた気分を味わったことも事実です。
 どのような人生を歩もうと、出世しようとしまいと、幸福な生活をおくろうと不幸であろうと、結局は骨になって冷たい石の下に埋められるのだ、という諦念みたいな、白けた感じです。

 私は46歳で、まだ元気ではありますが、老眼を自覚したり、疲労しやすくなったりと、緩やかに衰え始めたことを実感しています。

 山田風太郎でしたか、老いるということは、昨日出来たことが今日出来なくなるのではない、さっき出来たことが今出来なくなるのだ、という意味のことを言っていたように記憶しています。
 そこまでの急激な衰えは感じたことがありませんが、長生きすればそれを経験することは必定なのでしょうね。

 まこと、人が生きるということは苦しいものです。

 白鳳関、おそらくは遠からず引退もしくは廃業ということになるのでしょうが、異国の地でよく頑張りましたと、労をねぎらいたいものです。


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刑死の明日に、迫る夜温(ぬく)し

2015年09月14日 | 文学

 私が一貫して死刑制度廃止を願っていることは、このブログに何度も書きました。
 なんとなれば、この世に生きとし生ける者は、死から逃れる術を持たず、すべての生き物が死刑囚とも言え、いずれ来る死を早めることが刑罰になるとは思えないからです。

 まして宅間守のように早期の死刑執行を望んでいる者を殺してしまうのは、本人の希望を叶えてやることになります。
 それよりは、終身獄中に置いて、反省と贖罪を促すことが、刑罰として相応しいと思えてなりません。

 死刑囚の中には、永山則夫のように、獄中で小説を書いて豊かな文学的才能を発揮した者もいます。

無知の涙 (河出文庫)
永山則夫
河出書房新社

 彼が日本ペンクラブに入会したいと言い出した時、ペンクラブは喧々諤々の騒ぎになり、結局入会を認めませんでしたね。
 文学者の集まりと雖も社会を構成する団体である以上、犯罪者を入れることは出来ない、という意見と、文学は人間の恥部や悪をも描くものであり、犯罪者だからと言って入会を認めなければ、文学の死を意味するという意見が激しく対立したことを覚えています。

 それはさておき。

 死刑囚の歌人に、島秋人と言う人がいます。
 強盗殺人の罪により、33歳の若さで刑死した人です。
 この人、拙いながらも、心を打つ秀歌を残しました。

遺愛集 (東京美術選書)
島 秋人
東京美術

 特に死の前夜読んだ短歌は、涙無しには読めません。

 この澄める  こころ在るとは  識らず来て  刑死の明日に  迫る夜温 (ぬく) し
 
 切ないですねぇ。

 一種の辞世ということになるのでしょうか。

 明日死刑が執行されるという恐怖の夜を、温(ぬく)しと詠めるまでになるには、どれほどの葛藤があったことでしょう。
 窪田空穂が彼を手紙で指導し、励ましたと伝えられます。

 窪田空穂は、次のような言葉を残しています。

 我は神の造ったもの、精霊の宿る神殿で、限りなく重んずべきものである。

 全人類が尊重されるべき精霊の宿る神殿であるならば、死刑囚もまた、そうでなければなりません。
 怖ろしい犯罪者で、生かしておくことは出来ないほど憎い所業に及んだ者であっても、神ならぬ身の人間が、いずれは朽ちると決まっている精霊の宿る神殿を破壊して良いはずがありません。

 もちろん、大勢の人間が生きる社会において、重大なルール違反である犯罪を犯した者は、必ず、刑罰を受けなければなりません。
 そうでなければ、社会はやったもん勝ちになり、瓦解してしまうでしょう。

 しかしそのことと、泣こうが喚こうが無理やり引っ張って行って首を絞めて殺してしまうということの間には、大きな乖離があるように思います。

 殺人鬼であろうと、国家は命を奪わないという了解が、広く日本国民の間に広がってくれれば、と願います。
 現段階では、日本国民の8割くらいが死刑制度を支持しているそうですから、道は遠いですが。   

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怠け者

2015年09月13日 | 文学

 昨日久しぶりに晴れたかと思えば、今日は早くも雨降り。
 秋の長雨とは言いますが、いい加減にしてほしいものです。

 今日は朝湯につかって朝飯を食った後は、テレビを観たり小説を読んだりしてのんびりと過ごしています。
 昼は近所の蕎麦屋でとろろそばを食しました。

 その後しばし昼寝して、少しだけ、明日のプレゼンの資料を読み返したりしました。
 怠け者の私が日曜日にわずかとは言え仕事の資料に目を通すとは。
 明日は西からお日様が昇るかもしれません。

 なまけもの なまけてあれば こおひいの ゆるきゆげさへも たへがたきかな

 北原白秋の短歌です。
 全編平仮名、珈琲さえも平仮名。
 読みにくいったら無いですが、いかにも怠け者な感じは漂います。

北原白秋歌集 (岩波文庫)
高野 公彦
岩波書店

 私の夢は専業主夫になって、家事さえも手を抜いて怠け者の暮らしをおくることですが、私と同居人と共働きだからこそ、どうにか経済的にやっていけているのも事実で、同居人1人の稼ぎでは、あっという間に貧窮することは目に見えています。

 まぁ、夢なんて、叶えるものではなく、ただひたすら憧れているから楽しいのかもしれませんねぇ。 


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メランコリー、ロサ会館

2015年09月12日 | 散歩・旅行

  じつに久しぶりの晴れた週末に恵まれました。
 休日恒例の朝湯につかった後、散歩に出かけました。

 どこに行こうかなと思案して、先般仕事で訪れた目白の町並みが面白そうだと考えて、首都高速を護国寺インター目指して走り出しました。
 千葉市の自宅から車を走らせること50分、目白駅近くの時間貸し駐車場に車を停めました。

 目白には徳川黎明会なる西洋のお城のような建物があり、びっくり。
 持参のiPad miniで調べたところ、名古屋で徳川美術館などを運営する旧尾張徳川家が運営する財団の総務担当部署が入っている建物だそうです。
 なるほど、立派なわけです。

 軽井沢の別荘地のような緑豊かで豪邸が立ち並ぶ一角を抜け、しばしぶらぶら。

 目白庭園という小さな日本庭園が無料で解放されていました。
 小さいながら滝や池があり、錦鯉が泳いでいて、都内であることを忘れさせてくれます。

 ガストで昼食をとってから、なんとなく、池袋方面へと歩き出しました。
 ほどなく、立教大学に到着。
 近頃の私学がそうであるように、立派なタワービルが建っています。
 私が知る立教大学とはおよそ異なる風情でした。

 立教通りを抜けると、池袋西口の繁華街に懐かしい建物を見つけました。

 ロサ会館です。

 天井が低くて薄汚れた雑居ビルは、まさに昭和の風情。

 ここには映画館が二つあって、私が学生のころは、5~6百円で2本立ての古い名画が観られる名画座でした。
 20年ほど前まではこの手の名画座が都内各地にありました。
 飯田橋の佳作座、八重洲のスター座、池袋の文芸座などで、ロサ会館のシネマ・ロサもその一つ。
 名画座からロードショー館に変わってはいましたが、そのたたずまいは昔のまま。
 ロサ会館にはその他にも、洋食屋など、往時と変わらぬ店が入り、タイム・スリップしたかのような感慨に襲われました。

 学生のころ、たっぷりある時間を持て余して、1人で映画を観たり古本屋を回ったりしたことを思い出します。
 サークル活動もせず、バイトもしなかった私には、時間が無限にあるように感じられたものです。
 しかしそれは、無限ではなく、夢幻に過ぎなかったことを、数年後に就職して思い知らされることになるとは、その時は想像もしなかったのですから呑気なものです。

 なんとなく、「それから」の主人公のように、学校を出ても、ぷらぷらしていられるような気がしていたのです。

それから (新潮文庫)
夏目 漱石
新潮社

 

それから [DVD]
松田優作,藤谷美和子,小林薫,風間杜夫,中村嘉葎雄
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)

 今思えば愚かなことです。

 当時の私は、耽美的で幻想的な文学や映画、美術にどっぷりとはまり、現実の何たるかを知らず、ただなんとなく、自分はひとかどの人物であるという少年らしい幻の自覚のなかで珍妙な世界を作り上げ、そこにたった独りで生きていたとしか言い様がありません。

 そして40代も半ばを越えてなお、その残滓のような物が、現実にしか生きられなくなった私を苦しめます。

 ロサ会館を後にすると、そこにはまさしく現代の池袋が私を待ち構えていました。

 メランコリーに浸りながら、しかし私は現実をしっかりと生きているのだという自負を持ちつつ、山手線で目白に戻り、帰宅の途についたのでした。

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中くらい

2015年09月11日 | 仕事

 金曜日の仕事を終えました。
 来週のスケジュールを思うと、目出度さも中くらいなりおらが秋、と言った気分です。 
 小林一茶のパクリですが。

 それでも、多少はほっとした気分にはなります。

 切ない2日間の週末、せいぜい楽しみたいものです。
 今週末は久しぶりに天候に恵まれるようですし。


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路(ルウ)

2015年09月10日 | 文学

 今日は午後から目白で競争的資金獲得のための勉強会。
 直行直帰を許されているので、朝はのんびりです。

 昨夜、吉田修一の「路(ルウ)」という小説を読了しました。

路 (文春文庫)
吉田 修一
文藝春秋

 吉田修一といえば、芥川賞受賞作の「パーク・ライフ」など、巧みな心理描写で人生を描き出す作家というイメージを持っていました。

パーク・ライフ (文春文庫)
吉田 修一
文藝春秋

 「路(ルウ)」は台湾新幹線の受注から完成までの10年近い日々を描いた長編で、読み始めた当初、奮闘するサラリーマンの物語なのかなと思い、やや退屈な感を覚えました。
 しかし読み進むうち、そこはさすがに吉田修一と思い知らされました。

 新幹線を売り込む商社に勤める若い女性と、台湾人で日本の建築会社に勤める男との淡い恋、女性の日本人の恋人の鬱病発症、台湾で生まれ育ち、戦後日本に引き上げた老人の鬱屈、台湾人同士の恋物語などが重層的に綴られ、大団円に向かってそれぞれの人生が交差していく、感動的で切ない叙事詩に仕上がっており、非常な感銘を受けました。

 変形的なメリー・ゴーラウンド方式の手法を採った作品で、私は圧倒されました。

 私は優れた小説を読むと嫉妬に駆られる悪い癖を持っていますが、嫉妬さえ吹き飛ばす力強い物語で、きっとこれから何度も読み返すことになるだろうと思っています。

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相変わらず

2015年09月09日 | 仕事

 相変わらず忙しい一日でした。
 
 明日は目白で競争的資金獲得のための勉強会。
 明後日はそれを受けて職場内での勉強会。
 翌週月曜日にはさらにそれらの説明会があります。

 プレゼンテーションは苦手ではありませんが、準備不足の感は否めません。
 今日ももう一頑張り。

 私の精神は悲鳴を上げているようで、いつまでもつか不安です。


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限界

2015年09月08日 | その他

  今日も疲れました。
 そろそろ限界かなと思っています。

 


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落ち込む

2015年09月07日 | 精神障害

 どうもこのところ、精神状態が不安定なようです。
 加齢により堪え性が無くなったようで、仕事がはかどらず、何事も後手後手にまわっています。

 そのせいか、職場にいる間、ひどく気持ちが沈み、体の動きも緩慢で、頭もうまく働きません。
 参ります。

 こんな調子で出勤を続けられるか自信がありません。
 
 最後の病気休職から復帰して5年半出勤を積み上げてきたので、ここで中断するのは断腸の思いですが、いよいよ心と体が悲鳴を上げたら、どうしようも無いと思います。
 とりあえず、次の診察で主治医に相談してみようと思います。  


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わずかな酒

2015年09月06日 | その他

 平日は週末を心待ちにし、あと何日と指折り数えるのを常としていますが、週末はじつに呆気ないほど素早く過ぎてしまうもので、もう日曜日の夕方を迎えました。

 仏教では、人間が生きることは思いどおりにはいかない、苦しみの連続であると捉えるようですが、全くそのとおりです。

 世の中には、あらゆることが自分の思いどおりになる、という稀有な存在もいるのでしょうが、それはごく一部で、多くの人はおのれと現実に折り合いをつけて、妥協しながら生きているものと思います。
 そうでなければ、そもそも生きることなど出来ないでしょう。

 そういうものだと諦めても、苦しみから逃れられるはずもなく、苦しみの中に安息を得ようと自分に言い聞かせたところで、俗人の私にそれが叶うはずもありません。

 しかし客観的に考えれば、この時代の日本に生まれ育っただけでも、相当に幸運なことであることは確かで、食うものや寝る場所に困ることも無く、上に述べたようなことは贅沢な愚痴なのだろうという自覚くらいは持っています。

 そう思っても愚痴っぽくなってしまう日曜日の夕方。
 私もまだまだ修練が足りないようです。

 せめてはわずかの酒に慰めを得るより他ありますまい。
 


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好天

2015年09月05日 | 散歩・旅行

 久しぶりに好天に恵まれました。

 昨日は来週月曜日の監査準備のため、駆けずり回りました。
 朝1本、午後3時に1本、職場の自動販売機で買ったレッドブルを飲みました。
 一時的ではありますが、けっこう元気になるのです。
 一体どんな成分が入っているのでしょうか?

レッドブル(Red Bull) エナジードリンク 185ml×24本(1ケース)
レッドブル
レッドブル

 今朝は6時半に起床し、一週間の疲れをいやすべくゆっくりと朝湯につかりました。
 入浴後、半裸姿で朝飯。
 白飯と納豆、生卵、糠漬けです。

 その後月に1度の眼科の診察。
 就寝前に一滴さすだけの目薬が効いているようで、緑内障は進行していない様子。

 昼は珍しくステーキハウスに行きました。
 180グラムものサーロインステーキとサラダ、ライスをいただきました。
 たいして良い肉ではありませんでしたが、まぁ、こんなものでしょう。

 その足で、日頃の運動不足を解消すべく、千葉市中心部を2時間ほども散歩して、すっかり疲れてしまいましたが、労働による疲労とは異なり、爽やかな気分です。

 晴れた土曜日くらい、ふらふらと歩きたいですからねぇ。

 晩は房総名物、なめろう(アジの味噌たたき)とヤリイカの刺身で一杯やる予定です。

 まずまずの土曜日と言えるでしょう。


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へとへと

2015年09月03日 | その他

 今日はなんだか忙しくて、へとへとになりました。
 1時間程度の残業で、これほど疲れるとは、若い頃には想像もつかない事態です。
 20代の頃は、3時間程度残業した後に飲みに行ったりスポーツクラブに行ったりしたものですが、今では信じられない体力です。
 スポーツ選手でも、40代ともなれば大抵引退しますもんね。
 嫌になります。

 


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ひろくさびしき

2015年09月02日 | 文学

 業務多忙だと憂鬱になるのは、何も私が精神障害を患っているからだけではありますまい。
 誰だって忙しいのは嫌でしょう。
 多忙のなかにこそやり甲斐があると言っても、それは限度があります。

 暇なのも時間が経たなくて苦痛です。
 真、人というものはわがままに出来ているようです。 


 
一つ 身にとどまりて天地(あめつち)の ひろくさびしき 中にし息(いき)す

 窪田空穂の和歌です。

窪田空穂歌集 (岩波文庫)
大岡 信
岩波書店

 命の器でしかない肉体を詠って壮大です。
 その壮大さを思う時、私はおのれの小さな感情に恥じ入るばかりです。 

 小さな肉体に閉じ込められて世の片隅で生きるしかない私たち。
 私たちはその宿命を呪いながらも、呪うばかりではなく、幸福を求めずにはいられません。

 そのような人類全体、いや生命全体を貫くどうしようもない運命を嘆かずにいられない精神とは、如何なる構造になっているのでしょうね。

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衰え

2015年09月01日 | その他

 今日から同居人が職場復帰しました。
 初日で、ひどく疲労したとかで、15時に早退しました。
 少しづつ正常化していけばよいでしょう。

 9月は各種調書、イベントが目白押しのため、珍しく残業です。
 残業をしている最中は、変な脳内物質が出ているのか、あまり疲労を感じませんが、家に帰りつくとどっと疲れます。
 気力・体力ともに大分衰えていると実感します。

 昔は深夜残業も厭わなかったものですが。

 加齢による衰えはいかんとも為しがたいものですねぇ。


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