昨夜、小池真理子の長編「沈黙のひと」を読了しました。
沈黙のひと (文春文庫) | |
小池 真理子 | |
文藝春秋 |
小池真理子というと、わりと色っぽい小説が多いイメージですが、今作は老いさらばえて死んでいった父親を恋う娘の物語でした。
50代、独身、バツ1、編集者の娘。
この娘が幼い頃、父親はよそに女を作り、妻子を捨てたのでした。
そうでありながら、定期的に棄てたはずの妻と娘に会いに来る不思議な男。
元妻も、当たり前のように受け入れるのです。
父親は新しい妻との間に二人の娘をつくり、そのうえ浮気もする、女にだらしない男です。
物語は父親が亡くなって後、異母妹らと遺品整理をするところから始まります。
そこで、娘は古くなって動かない父親愛用のワープロを持ち帰ります。
パーキンソン病を患い、言葉を発することが出来なくなった父は、ワープロを駆使して手紙を書いたり日記のようなメモを残したりします。
娘はワープロに残されたデータを復原し、在りし日の父の思いを知ろうとするのです。
やがて父親の病状は進み、キイ・ボードを叩く力すら失い、文字盤の文字を示すことすら手が震えて不可能になり、沈黙のなか、最後の日々を過ごすのです。
それでも、介護士にページをめくってもらって、趣味が短歌のため、万葉集などを読んで知的活動にいそしむ父。
意思表示の方法を失っても、認知症になったわけではないですから、内面では激しい精神の運動があったと思われます。
しっかりした意識を持ちながら沈黙を守らざるを得ない日々がどういうものなのか、今の私には想像もつきません。
それでも生に執着する姿こそ、人間本来の欲望なのかもしれません。
ワープロに残された手紙やメモから、娘は老いてなお旺盛に人を恋うる父の姿を垣間見せられます。
老人ホームでも色恋沙汰は尽きないと言いますから、人間いくつになっても達観することなど無いのが普通なのかもしれません。
私の父は、長患いすることなく、呆気なく亡くなってしまいましたから、肉親の長患いという憂き目にあったことがありません。
しかし時代は少子高齢化。
これから長患いする老人は増えても、それを介護する肉親は減っていくのでしょうね。
まして今、生涯独身率は上がるばかり。
増えすぎたお一人様の老後はどうなるのでしょうか。
そういう私も、独身ではありませんが、子がありません。
どちらが先に亡くなるかは分かりませんが、生き残ったほうはお一人様で最後を迎えるほかありません。
興味深く、また切ない物語ではありましたが、なんだか身につまされるようで、先々が不安に感じられました。