ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

診察

2012年12月29日 | 精神障害

 今日は今年最後の診察でした。

 父の死とそれに伴う20キロもの体重減、研究教育職員を巻き込んでの担当替え騒動、トップを拒否しての永年勤続表彰、NHK番組への出演と、今年も色々ありました。
 そんな中、精神の平衡を保ち、よくここまで乗り切りましたと、主治医は褒めてくれました。

 精神科医のなかには、上から目線の命令口調で診察をする人もいるそうですから、私の主治医は人情のわかる名医だと思います。

 診察の頻度も隔週から三週間おきに減りました。
 快方に向かっているというより、ほぼ寛解したと言ってよいでしょう。
 もちろん、薬を服用したうえでのことですが。

 血圧の高い人が一生降圧剤を飲むように、腎臓が悪い人が一生透析を受けるように、私は一生精神病薬を飲み続ければよいと思っています。
 そのほうがずっと楽に生きられます。

 世の中には、明らかに精神に変調をきたしているのに、頑なに精神科にかかることを拒む人がいます。
 精神障害者自らが精神障害者を差別しているんでしょうね。
 悲しいことです。

 また、精神科に受診したはいいけれど、服薬に罪悪感を持つ人もいます。
 これも自分で自分を差別している例でしょう。
 ちょっと調子が良くなったからと、勝手に服薬を止めてしまったり。
 それでひどく悪化させた人を何人も知っています。
 薬は医師の処方どおり飲んでこそ効果を発揮します。

 逆に処方以上の量を大量に飲むオーバー・ドラッグを繰り返し、入院してしまった人も知っています。 

 抗うつ剤も抗不安薬も気分安定剤もメジャー・トランキライザーも、基本的には症状を抑える対症療法で、根本治療とは言えません。

 しかし頭痛がひどければ根本治療ではなくてもとりあえず痛み止めを飲んで日常生活を維持しようとするのは当然のことです。

 精神障害も同じこと。

 しんどい、苦しい状態を我慢していては悪化するばかり。
 とりあえず薬を飲んで楽になり、楽になったら日常生活をこなせるようになり、それを続けるうちに薬の量は減り、寛解に近づく、というのが現代の精神療法です。
 根本的に治してしまう治療法など存在せず、それは現代医学の限界ですが、だからといってオール・オア・ナッシングのように対症療法を拒絶することは馬鹿げているし、もったいないことです。
 小さな薬何錠かで劇的に楽になるのですから。

 薬でもカウンセリングでも社会資源でも、自分が楽になるためにはなんだって利用するのが賢い選択だと思います。

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