今日は啓蟄らしく、首都圏は陽射しが強く、気温も15度くらいまで上がっているようです。
まるっきり春ですねぇ。
一年前の3月5日はどんよりと曇り、凍てつく寒い日でした。
昨年の3月5日の午前1時過ぎ、父は浅草寺病院で静かに息を引き取ったのでした。
前日、私は病室に父を見舞いました。
もう手の施しようがないということで、モルヒネで痛みをとり、朦朧とした意識のなかで、見舞った私に、「ありがとう、悪いな」とだけ、言いました。
それが私が聞いた父の最後の言葉になりました。
今日は午前中、休暇を取って実家の寺に墓参りに出かけました。
ここ数日、檀家や法縁の坊さんなどがお参りのために引きもきらず、ありがたいながら母は疲労しているようでした。
庫裏にある仏壇で手を合わせ、さらに本堂で手を合わせ、最後に歴代住職の墓と私の家の墓にお参りしました。
命日は一つの区切り。
貴重な休暇を使ってお参りする価値は十分ありましょう。
一年というのは短いようで長いものです。
私の体重は22キロ落ちました。
しかし元々が痩せ型だったため、抗うつ薬の副作用か、太っていたのはせいぜい三年くらい。
みな元に戻ったとしか思っていないようでした。
仕事でも担当替えに伴うごたごたがあり、職場でも心労多い一年でありました。
しかしそれでも、私はメンタルをやられることもなく、日々、職務に精励しており、主治医はそのことを賞賛してくれます。
良い医者です。
父の魂は死後一年を経て、転生したのでしょうか。
あるいは涅槃に到ったでしょうか。
あるいはまた、地獄で鬼を相手に待遇改善運動でもやっているでしょうか。
父にはそれがお似合いのような気がします。
常に戦い続けた人でしたから。
13歳で父親を亡くし、寺の命運をかけて寺を守るために戦い、住職となってからは寺域の整備のために戦い、宗門では宗務のトップにまで上りつめ、そこにいたるまでには様ざまな権力闘争を勝ち抜いたことでしょう。
宗務総長を引退してからは、今度は地元の無駄な大規模土木工事の反対運動の先頭に立ち、東京都や江戸川区を相手に戦いました。
その事業は今、凍結されています。
のんびりと旅行したり、好きな西行の史跡をめぐったり、と言った老後を思い描いていたようですが、かなわぬ夢と終ってしまいました。
父が生前、どのような魂の漂流を続けたのか、知る由もありませんが、少なくとも外面的には、魂の漂流などとは無縁で、現世の仕事で戦い続けたように見えます。
戦い続けながら、その魂がいかなる変転を経たのか、それが知りたいと思います。
私は中年に到るもまるで思春期の子どものように魂の漂流を続け、現実社会と折り合いをつけるのが困難なまま、しかしその困難をやっつけて禄を食んでいます。
現実社会で出世した父もまた、生き辛さを感じながら、魂は激しく漂流しながら、現世と無理に折り合いをつけてその生涯をおくったものと想像します。
父の想像を絶する魂の漂流に思いをいたす時、出世した人だとか、運が良い人だったとか、通り一遍なお悔やみを述べる檀家や坊さんが、腹立たしくて仕方ありません。
亡父の冥福を祈ります。