今日、同居人は独り暮らしの義母の家に行ったため、私は独り。
たまにはそれも良いのですが、このところ毎週です。
82歳を迎えて衰えた義母の世話をやくためです。
義母はこの世を悲観するようになりました。
東京大空襲で母と妹を失い、中年に至って、わずか18歳の娘を難病で失いました。
そして義父の死。
自分は世界一不幸だ、みたいなことを言うようになりました。
義母の主治医である内科の先生は老人性のうつを疑っています。
義母は絶対に認めません。
また、デイ・サービスに行くことを勧めても、他人と話をしたり、幼稚園児のような遊びをさせられることを毛嫌いしています。
そこは義母の矜持なんだろうと思います。
今、義母は私たち夫婦に最後の教育を施しているかのごとくです。
すなわち、老いていく姿を見せるという。
私の実父は衰え行く姿を見せる前に、亡くなってしまいました。
格好つけでしたから、老醜をさらすことを嫌い、そのとおりになりました。
義母の姿を見て、老いるということに、恐怖を感じるとともに、早目に施設に入ったほうが良いという気持ちになります。
義母曰く、生きているだけで大変、だそうで、それは見ていれば分かります。
不老不死は絶対にかなわない、しかし人類永遠の憧れ。
老いていく苦しみや悲しみ、さらには死に行く恐怖。
義母を見ていて、そんなことを考えさせられます。
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