ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

さみしい、よろしい

2018年02月23日 | 文学

 その昔、テレビCMで、「亭主元気で留守がいい」というコピーが流行ったことがあります。
 また、私の同僚や先輩でも、妻が留守の休日は最高だ、と公言して憚らない人がいます。

 そういうの、気持ちは分かりますが、あくまでも、一時的に一人の時間を楽しめるということであって、ずうっと一人でいるわけではない、ということが条件になっています。

 ずうっと一人だと、退屈するような気がします。

 孤独を感じさせる文学者はたくさんいますが、まず、頭に浮かぶのは、自由律の俳人、種田山頭火と尾崎放哉でしょうねぇ。

 山頭火に以下のような句があります。

 やっぱり一人はさみしい枯草

 やっぱり一人がよろしい雑草

 山頭火にとって、一人はよろしくてさみしいものだったようです。

山頭火句集 (ちくま文庫)
村上 護
筑摩書房

 山頭火という人、一度は妻子を持ちながら、中年に至って妻子を捨て、無一文の乞食となって、行乞の旅を続けながら句作を続けた人です。
 同じ自由律の俳人で、ほぼ同時代に生きた尾崎放哉は、一度は保険会社の重役にまでなりながら、世を捨て、田舎の寺の庵などで静かに暮らしました。

 動の山頭火、静の放哉、などと言われます。

 共通しているのは、自由律の俳人だったというだけでなく、大酒のみであったことと、孤独な生活を送ったことです。

尾崎放哉全句集 (ちくま文庫)
村上 護
筑摩書房

 二人は同時代人で、面識こそありませんでしたが、雑誌などで互いの存在を意識しており、放哉が、

 咳をしても一人

 
と詠めば、山頭火は、

 鴉鳴いてわたしも一人

 
と応えるような仲でした。


 私は若い頃、都会での隠遁的生活、ということに漠然と憧れを抱いていました。
 完全な隠遁は不可能ですから、生きるために最低限必要な給料をもらえる職を得て、都会の片隅で一人ひっそりと生きる、という。

 今の時代、隠遁には都会が相応しいと思います。
 隣近所の付き合いもないし、人に紛れていれば、目立つこともありません。
 それに、山中の庵では不便で仕方ありません。

 それは現代社会で出来る、山頭火や放哉のような隠遁的生活の方法であろうと思ったのです。

 一般的に気楽だと言われる木端役人になって、千葉市という衛星都市で一人暮らしを始めた時は、理想の暮らしなのかな、と思いましたが、あにはからんや。
 もらい事故のような仕儀で入籍してしまい、また、気楽であったはずの仕事も、小泉改革により地獄を見せられて、精神障害を発症してしまいました。

 うまくいかないものですね。

 今さら離婚するのも面倒くさいし、一人暮らしも寂しいし、仕事は配属される部署によって天国だったり地獄だったりで、あなた任せにせざるを得ないし。

 山頭火や放哉にしたって、おそらく当時、ごく一部の自由律俳句の愛好者以外から見れば、ただの乞食、人生の落伍者に見えたでしょう。

 現代を生きる私で言えば、仕事を辞めて離婚して、6畳一間のアパートに移り住んでアルバイト生活を送る、みたいな覚悟が必要だったのではないでしょうか。

 今の私に、そんな覚悟はありません。

 ただ漠然とした憧れは、今も熾火のように私の胸中深くに潜んでいます。
 
 さみしい、よろしい生活への憧れは、生涯持ち続けるのでしょうね。


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