ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

無い

2014年07月22日 | 思想・学問

 三連休あけの出勤、だるいですねぇ。
 三度の飯を食うためとはいえ、つまらぬことに時間を費やしているものです。

 そう思うと、私は大乗仏教の唯識論を思います。

阿頼耶識の発見―よくわかる唯識入門 (幻冬舎新書)
横山 紘一
幻冬舎

 

 大乗仏教では、この世に実態のある物は存在せず、ただ様々な関係性を心が認識しているだけだと説きます。
 そういう意味では、西洋の唯心論と似ています。

唯心論と唯物論 (岩波文庫)
船山 信一
岩波書店

 しかし唯心論と決定的に異なる点があります。

 唯心論では、少なくとも心の存在だけは確かだと認識しますが、唯識では、心もまた幻のような存在であり、最終的には心の存在すら実態の無いものとして否定されるからです。

 するとこの世に実態のある物は何一つ存在せず、ただ関係性によって成り立つ縁起とその結果が幻のように漂っているのが、私たちが認識している世界だということになります。

 このことを深く理解し、体得するならば、その人は何も存在しない無の一つとなり、アラヤ識と呼ばれる生命の奥底を激流のように流れる意識が変化を起こし、ついには悟りを開く、というわけです。

 唯識論は極めて難解かつ長大で、私が書いたことはごく表面的な理解に過ぎず、また独学ゆえの誤解もありましょう。
 しかしその核となる部分は概ねこんな感じじゃないかと思います。

 論理の遊びのような気もしますが、私は唯識論に惹かれ、そうであればこそ、飯を食うための仕事もまた幻であると感じ、身が入らないという悪循環に陥ることになります。

 その点、江戸時代に流行った心学は、正直であることを説き、勤勉に与えられた役割を果たすべしという易しい教えで、こっちのほうが現実で幸福になれるでしょうねぇ。

石門心学と近代―思想史学からの近接―
森田 健司
八千代出版

 浄土門が説く他力本願も、難しいことは言わずひたすら阿弥陀仏にすがれというのですから、話は簡単です。

他力本願のすすめ (朝日新書)
水月昭道
朝日新聞出版

 まぁ、難しい宗教の論理は話半分に聞いて、目の前の仕事に精を出すしか、凡夫に出来ることはないんでしょうねぇ。

 有るのか無いのか知りませんが、浮世を憂き世と歎じた先人の心は、たしかに有るような気がします。

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