かつて一世を風靡した芸術運動に、シュールレアリスムがあります。
「シュールレアリスム宣言」を著し、この運動の法王とまで呼ばれたアンドレ・ブルトンは、自動記述による小説執筆に挑み、一部好事家からたいへんな評価を受けました。
シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫) | |
Andre Breton,巖谷 國士 | |
岩波書店 |
自動記述とは、構想を練ったりすることなく、ただ、原稿用紙に向かい、思いのままに文章を書きつけるという手法で、私はこの技法に大いに疑問を持っています。
正直、自己満足のように思えます。
読者を楽しませるという意識が希薄なような。
自動記述とは意味が異なりますが、私はしばらく夢日記をつけていたことがあります。
枕元にノートとペンを置いておき、目覚めるや見た夢の内容をできるだけ詳細に書き付けるのです。
これはその後、私を恐怖に陥れることになります。
日に日に夢の記憶が鮮明になり、目覚めているのか夢の中にいるのか、判然としなくなる、という危険な状態に落ち込んだのです。
ために、夢日記は半年を経ずして中断することになります。
しかしその経験は、怖ろしいものであると同時に、どこか甘美な、麻薬のような快楽をも、もたらしました。
おそらく脳内麻薬の一部が放出されていたのではないかと思います。
ナチュラル・ハイともナチュラル・トリップとも言える状態とでも表現すればよいでしょうか。
アンドレ・ブルトンがあみ出した自動記述というものが、どのような精神状態で行われたのかは寡聞にして知りません。
しかしもしかしたら、私が経験した、夢日記と、それに伴う意識の覚醒とも混濁ともつかぬ状態で行われたのかもしれませんね。
もしそうなら、自動記述なるものを試してみたいような気もします。
ただ、酔って書いた文章や、ハイな状態で書いた文章が、醒めた目で読むと読むに堪えない代物であるのと同様、私がそんな技法を使ったところで、大したものは出来ないだろうという予感はあります。
正直、アンドレ・ブルトンの小説は私には退屈でしたし。
昨夜書棚を整理していて、もう20年以上前に読んだアンドレ・ブルトンの「ナジャ」が出てきて、中年になった今なら面白く読めるかと思い、ぱらぱらとめくりましたが、やっぱり退屈でしたので、久しぶりにシュールレアリスムについて思い出してみたところです。
ナジャ (岩波文庫) | |
巖谷 國士 | |
岩波書店 |