先ごろ富士山が世界文化遺産に推薦され、鎌倉が推薦されなかった、との報にふれました。
富士山周辺の自治体は世界遺産登録が悲願だったところ、登山者のマナーが悪いとかなんとかで、なかなか推薦されませんでしたね。
このほど推薦が決まったことは、関係者には嬉しいことでしょう。
でも私は、なんだか釈然としません。
世界遺産に登録されようとされまいと、富士の高嶺が世界一美しいお山であることに変りありますまい。
タイヤ屋がお節介にも飲食店に星を付けるミシュラン・ガイドのような胡散臭さを感じます。
ミシュラン・ガイドと言えば、わが国には東京・横浜・湘南版と京都・大阪・神戸・奈良版がありますが、ミシュランの高慢ちきな連中の鼻をあかしたことがあります。
すなわち、客層が変ることを怖れた飲食店が、続々とミシュラン・ガイドへの掲載を拒否したというのです。
欧米では、ミシュラン・ガイドに名前が載るということは、料理人にとってこの上ない名誉であり、掲載されれば一年以上先まで予約が一杯になることから、掲載を拒否するなんて狂気の沙汰としか思えないそうです。
しかるに、東京の料理人も関西の料理人も、食通ぶった外国人観光客で溢れかえり、店を贔屓にしてくれているお得意さんが安心して美食を楽しめなくなることと、味が落ちることを怖れ、断然掲載を拒否する、という気骨を見せる料理人が続出したことは、日本人として甚だ愉快です。
美食は自分の舌で探し求めるもので、他人の舌なんて関係ありません。
100人中99人がまずいと言っても、私が旨いと思えばそれは旨いのです。
他人の味覚など信用してはなりません。
そういう意味では、食事を味わうということは、芸術作品やエンターテイメントを楽しむことと似ています。
おのれ一人の好悪がすべてなのです。
世界遺産も同じこと。
自分が感動できるような自然や歴史的建築物でありさえすれば、それが世界遺産に登録されていようといまいと関係ありません。
おのれ一人の審美眼を磨き、それに絶対的自信を持つことが重要です。
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