今日は雨。
雨に閉じ込められて、魚屋と八百屋に行った以外家でごろごろしていました。
そんな風に過ごしていると、知らず、過去のことが想起されます。
思えば子供の頃から躁鬱気質だったような気がします。
ほんの幼い頃を除いて。
12歳くらいから、時折訪れる激しい高揚感と、なんとなく憂鬱な日が続く日常を繰り返していました。
ただその頃は、己の心理状態に目を向けることが無かったため、とくだん苦しいとは思いませんでした。
幸せな時代です。
15歳くらいから落ち込みと高揚が激しくなりました。
その時初めて、自分の精神は異常なのではないかと感じ、風邪薬や鼻炎カプセルの副作用で心が落ち着くことを経験的に知り、体調が悪くないのにそれらを飲むことが増えました。
それでもまだ精神科を訪れようとは思いませんでした。
高校・大学時代をそんな風にしてやり過ごしていました。
今思えば圧倒的に暇で、それほど追い詰められることが無かったため、まぁまぁ平穏だったのかと思います。
就職して3年目に最初のうつの波が押し寄せました。
とにかく不安で憂鬱で仕方ないのです。
その年の秋、初めて精神科を訪れました。
精神科の敷居は高く、クリニックの前まで行って入ることが出来ず、そのまま引き返してしまったこともあります。
それでも勇を鼓して精神科を受診し、初めて抗うつ薬というものを処方されました。
ドグマチールと言うマイルドな抗うつ薬です。
その当時は薬の知識が無かったので、ドグマチールがどんな薬なのかは知らず、処方されたままに飲み始めました。
すると圧倒的な力で薬が作用し、不安感も憂鬱感も吹っ飛んでしまいました。
これで救われる、と思いました。
その後何度か小さなうつ波はあったものの、軽躁状態が続きました。
それは10年にも及び、もう二度と精神的に不安定になることは無いと思っていました。
しかし、36歳の頃小泉改革によって、勤めていた国立の学術研究機関が法人化されることになり、全ての規程、規則、申し合わせなどの決まり事を見直すことになり、当時財務畑の筆頭主任であった私は、単式簿記から複式簿記への転換、各種規程の見直しに奔走することになり、筆頭主任という面倒な肩書のため、上からも下からも責められ、ついには頼みのドグマチールも薬効を感じなくなり、病気休職へと追い込まれました。
休職したり出勤したりを3年ほども繰り返し、ようやく寛解に至った時点で、私は人生を斜めに見るようになっていました。
休職期間中に激躁に襲われ、徹夜で愚にも付かない駄文を書き散らしたり、性的逸脱行動に走ったりしました。
病名はうつ病から双極性障害(昔で言う躁鬱病)に変わり、飲む薬も抗うつ薬から気分安定剤へと変わりました。
注意願いたいのは、精神安定剤ではなく、気分安定剤だと言うことです。
精神安定剤は抗不安薬とも呼ばれ、不安を抑える薬です。
気分安定剤は躁状態の出現を抑えることを主眼とし、気分が落ち着くことでうつ状態にも効くという面倒くさい薬です。
結果、躁状態が現れることは無くなりましたが、いつも軽いうつ状態が続くということになりました。
患者にとって躁状態は万能感や多幸感に包まれた気持ちの良いものです。
激躁になると生活が破綻してしまうのでまずいですが、軽躁状態がもっとも良いと私は思っています。
しかし精神科医によると、双極性障害は軽くうつっぽい状態が最も良いと言います。
それほど躁転は危険ということでしょう。
その状態に落ち着いたのが40歳くらいの時でしょうか。
以来、抗うつ薬ではなく、気分安定剤での治療ということになり、軽躁状態になることは無く、もちろん激躁も無く、なんとなく憂鬱な気分のまま15年も過ごしてしまいました。
それが6月に二つの役職を兼務することになり、激務のせいか軽いうつから本格的なうつへと悪化しつつあります。
昔のことをおさらいするように、うつ状態が悪化しているように感じます。
こうなると、おそらくは近いうちに出勤出来なくなるような気がします。
現に主治医からは休養を勧められてもいます。
しかし朝はきちんと起きられるし、憂鬱感から仕事は効率が悪くなりましたが、まだ働けないと言うほどではないので、今も出勤を続けています。
何より、4週間に一度通院していますので、それほど悪化していません。
今、過去を振り返って思うのは、つまらぬ人生を歩んできたと言うこと。
安定した職に就いているため、マンションを購入し、車を何台も買い換え、買い物の際はよほど高い物でない限り値札を見ることもありません。
子宝には恵まれませんでしたが、今も関係が良好な伴侶を得ることもできました。
世間的に見て、まぁまぁの生活を送れていることは確かだと分かってはいます
しかしそのことがイコール幸福で充実した生活と言うことにはなりません。
もちろん、貧乏では幸福にはなれないと思いますが、私が求めていたのはもっと時間に融通が利き、創造的な仕事に就くことでした。
そんなことはごくわずかな限られた天才にだけ許されることだというのは分かっています。
かつて根拠の無い自信を持っていた少年期から青年期の自分が、今となっては懐かしくもあり、愛おしくもあります。
色々なことを諦めるのが凡人の人生なのだとしたら、私は凡人の王なのかもしれません。
かつて「アマデウス」で描かれた宮廷音楽家のサリエリがモーツァルトの才能に嫉妬し、老いて自分を平凡の王と嘆いたことを思い出します。
雨中の休日、すっかり愚痴っぽくなってしまいました。
出来なくなることが増えること、過去を悔いるようになること、私にはそれこそが加齢による衰えだとしか思えません。
損な気質に生まれついてしまいました。