昨夜、寝付けず、何をするというわけでもなく、徹夜してしまいました。
白々と夜が明けて、仕方がない、顔を洗って髭を剃るかと鏡をみたら、そこには、世にも美しい、天使と見まごうばかりの美少年が映っていました。
目を固くつぶって頭を振り、そっと目を開けると、そこには、世にも醜い怪物のような中年男が映っていました。
深く、ため息をつきました。
もちろん、後者が今の私。
前者は、40年も前の私でしょうか。
あるいはそうであってほしかった少年の私。
天使のような美少年も怪物も、いずれもこの世には存在しない、あるいは存在してはいけない魔性の化け物なのかもしれません。
私はこれまで、たとえ精神病を発症しても、社会規範から一歩もそれることなく、まっとうに生きてきたと思っています。
それなのに、私は私が怖いのです。
私はかつて、父親譲りの気高さとか誇りとかいったものを、誰よりも強く持っていると思っていました。
しかしそれは妖かしに過ぎなかったようです。
私は気高くもなければ誇り高くもなかったのです。
まっとうに生きれば生きるほど、私は私のつま先から頭まで、すべてが怖ろしい、唾棄すべき、邪悪な存在であると感じるようになりました。
それが私の真実。
誰もが目をそむけたくなる真実という恐怖の核のごとき物に、私は気付いてしまいました。
あるいはそれは中年から初老に向かう者が背負っている宿命なのかもしれません。
それだけ生きれば、人間、いや、生物というのは本来邪悪なものだと予感を覚えるはずです。
もし神様が作ったというのなら、それは失敗作か、あるいは神様はよほど意地悪か、どちらかでしょうね。
夢とか希望とかいうものは失せて、面倒くさい責任を持たされて、世の中の在り様も分かってきて、そこにいたって初めて、自分は邪悪な存在でありながら、天使のような美しさをひっそりと隠し持っていると気付く、という。
もう一度、鏡を凝視すると、そこには見慣れた、疲れた中年男が映っているだけで、天使も怪物も消え失せていました。
徹夜で朦朧とした頭が、一瞬、私に、見てはいけない、あるいは見ることが出来ないはずの、本当を見せたのかもしれません。
美しくありたいという小さな願望を持った、しかし邪悪でしかない私という怪物。
その怪物が暴走を始めやしないかと、私自身が怖ろしくて仕方ないのです。