今日は同居人の実家に行きました。
仏壇に手を合わせるためです。
同居人の実家は車で10分ほど。
て言うか、マンションを購入するに際して、わざわざ同居人の実家近くの物件を求めたのです。
行こうと思えばいつでも行けますが、つい無沙汰してしまいます。
80歳にして初めての一人暮らしを強いられた義母。
何事も億劫になったらしく、家が散らかっていました。
「生きてるだけで精一杯」というのが、近頃の義母の口癖です。
大げさにも聞こえますが、偽らざる心境なのでしょうね。
しかし義母は、要支援1をもらっていますが、他人が家に入ってくるのが嫌だとかで、一切の支援を受けていません。
なんとなく気持ちは分かります。
足が弱くなり、両手にストックを持って歩いていますが、運転免許を返上した身であれば、買い物もままならない状態です。
生協の宅配を利用していて、毎週大量の食材を購入しているようです。
生協で購入した食物で、旨い物があれば、余計に購入して同居人が立ち寄った時などに、我が家にくれたりします。
母親なんですねぇ。
同居人は千葉市生まれの千葉市育ち。
しかし義母は、もともと東京は両国あたりの生まれ育ち。
東京大空襲をまともにくらっています。
それがトラウマのようになっているらしく、お見合い相手は田舎の人が良いと言って、福島出身の義父と結婚しました。
新婚当初は水戸に住んでいたと聞きますが、義父が都内に転勤になって、都内に住むことを嫌った義母の意向もあり、わざわざ通勤に不便な千葉市に家を買ったそうです。
義父はよく30年以上、遠くの都心部まで毎日通ったものだと思います。
私には無理です。
義父と義母は年がら年中じゃれあうように喧嘩をしていました。
初めて見た時には驚きましたが、あれが愛情表現だったのでしょうね。
義母はもともと明るい人でしたが、一人暮らしが寂しいのか、「私ほど不幸な人はいない」とか、「こんな晩年になるとは思っていなかった」などということを頻繁に言うようになったそうです。
同居人は毎日1時間も実家に電話をするのですが、その際などに、そういったネガティブな発言を繰り返すのだとか。
かと言って、私たちと同居する気はさらさら無いようで、いくら誘っても、乗ってきません。
いよいよ動けなくなったら施設に入れてくれと言われています。
娘夫婦の世話になることを潔しとしないようです。
30年後、今の義母と同じくらいの年齢になって、しかも一人暮らしになったら、義母の気持ちが分かるのかもしれません。