ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

義母

2021年08月13日 | その他

 今日は同居人の実家に行きました。
 仏壇に手を合わせるためです。
 同居人の実家は車で10分ほど。
 て言うか、マンションを購入するに際して、わざわざ同居人の実家近くの物件を求めたのです。
 行こうと思えばいつでも行けますが、つい無沙汰してしまいます。 

 80歳にして初めての一人暮らしを強いられた義母。
 何事も億劫になったらしく、家が散らかっていました。
 「生きてるだけで精一杯」というのが、近頃の義母の口癖です。

 大げさにも聞こえますが、偽らざる心境なのでしょうね。
 しかし義母は、要支援1をもらっていますが、他人が家に入ってくるのが嫌だとかで、一切の支援を受けていません。
 なんとなく気持ちは分かります。

 足が弱くなり、両手にストックを持って歩いていますが、運転免許を返上した身であれば、買い物もままならない状態です。
 生協の宅配を利用していて、毎週大量の食材を購入しているようです。

 生協で購入した食物で、旨い物があれば、余計に購入して同居人が立ち寄った時などに、我が家にくれたりします。
 母親なんですねぇ。

 同居人は千葉市生まれの千葉市育ち。
 しかし義母は、もともと東京は両国あたりの生まれ育ち。
 東京大空襲をまともにくらっています。

 それがトラウマのようになっているらしく、お見合い相手は田舎の人が良いと言って、福島出身の義父と結婚しました。

 新婚当初は水戸に住んでいたと聞きますが、義父が都内に転勤になって、都内に住むことを嫌った義母の意向もあり、わざわざ通勤に不便な千葉市に家を買ったそうです。
 義父はよく30年以上、遠くの都心部まで毎日通ったものだと思います。

 私には無理です。

 義父と義母は年がら年中じゃれあうように喧嘩をしていました。
 初めて見た時には驚きましたが、あれが愛情表現だったのでしょうね。

 義母はもともと明るい人でしたが、一人暮らしが寂しいのか、「私ほど不幸な人はいない」とか、「こんな晩年になるとは思っていなかった」などということを頻繁に言うようになったそうです。
 同居人は毎日1時間も実家に電話をするのですが、その際などに、そういったネガティブな発言を繰り返すのだとか。
 かと言って、私たちと同居する気はさらさら無いようで、いくら誘っても、乗ってきません。
 いよいよ動けなくなったら施設に入れてくれと言われています。
 娘夫婦の世話になることを潔しとしないようです。

 30年後、今の義母と同じくらいの年齢になって、しかも一人暮らしになったら、義母の気持ちが分かるのかもしれません。 


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