今朝の新聞に、政府が移民の大量受け入れを検討し始めた、という記事がありました。
少子高齢化に伴う労働人口の激減に対応するため、年間20万人もの移民を受け入れようかという話です。
当然、単純労働の担い手も含まれています。
とうとう劇薬に手をつけようという魂胆のようです。
かつて、国債の発行に踏み切ったように。
国債の発行は法律で禁止されており、長い間発行されませんでしたが、昭和40年代に、例外的に発行できるとされていた規定を悪用し、今では国家予算の半分くらいを国債収入が占めるという惨憺たる有様になってしまいました。
私は、移民の受け入れには絶対に反対です。
米国のように移民で成り立つ国ならいざ知らず、わが国はあまりにも長い間同質性の高い社会で生きてきました。
西欧は今、およそ30年前に始めた移民受け入れによる社会の軋轢に苦しんでいます。
それに学ぶべきです。
移民は当然日本国籍を与えられ、日本人となるわけですが、外国出身者は根本的な物事の考え方がネイティブの日本人とは異なります。
現在の西欧で見られるように、独自のコミュニティーを形成して国民に同化せず、しかし国籍は与えられているので権利義務は同じであるため、権利を主張します。
わが国にも、何種類もの異なる考えを持ったコミュニティーが出現し、国家内国家のようなものさえ生まれかねません。
お人よしの日本人など、ひとたまりもありません。
郷に入らば郷に従え、という考えは、日本人以外にはなかなか通用しないでしょう。
もしわが国の人口が激減し、国が衰退するなら、それは甘んじて受け入れる他ないでしょう。
少子高齢化対策を根気強く続ける必要は当然ありますが。
わが国の国柄が変わってしまうようなたいへん大きな問題だと言わざるを得ません。
検討する必要も熟慮する必要もありはしません。
移民の大量受け入れなど、論外です。
先月28日に続いて、またもや会議のため京都日帰り出張に行くことになりました。
ただし、前回は午前1本、午後1本の2本の会議に出席だったのが、今日は午後1本だけ。
朝は普段よりもゆっくりできます。
しかしなんで、座っているだけなのに、長距離の移動は疲労するのでしょうね。
天気予報を見たら、首都圏はわりあい暖かいですが、京都は寒いようです。
調子狂っちゃいますねぇ。