初夏の陽気に恵まれながらも、屈託を抱えた私は、それをしばし吹き飛ばすため、散歩に出かけました。
どこへ行こうかと考え、なぜか、東京藝術大学が頭に浮かびました。
なぜでしょうか。
行ってみれば分かること。
私は不思議な予感を感じつつ、都営大江戸線の上野御徒町駅で降りて、上野公園を突っ切り、東京藝術大学にたどり着きました。
東京藝術大学の売店で、なぜ私がここを目指したのかが、判明しました。
あまりにも美しい半月の絵が、売られていたのです。
描いたのは東京藝術大学OBの山岡忠曠という若い絵描き。
1985年生まれと言いますから、やっと30歳。
まだこれからの人です。
こういう経験は三度目で、一人はギュスターブ・モロー、もう一人はやなぎみわです。
ギュスターブ・モローはとうの昔に亡くなっているので新作を楽しむことはできません。
しかし、やなぎみわと山岡忠曠はこれから制作されるであろう美術を待つ楽しみがあります。
で、その絵、5万円ちょっとで売っていたのですが、とりあえずボーナスが出るまで待とうと思い、今日は購入を断念しました。
それほど小さな絵ではなかったので、車で来たほうが良かろうという気持ちもありました。
その後少々興奮気味にお寺だらけの谷中から根津のあたりをぶらついて、帰宅の途につきました。
小説家にしても絵描きにしても音楽家にしても、一瞬にして気に入るということが、ごくまれにありますね。
屈託を抱えていたはずが、そんな僥倖に恵まれた、幸せな一日となりました。
寄らば大樹の陰、と申します。
大きな組織にいれば安泰ということでしょうか。
このたび新党改革の舛添議員が、次の参議院議員選挙に立候補せず、政界を引退すると発表しましたね。
民主党ブームが吹き荒れ、自民党は壊滅すると言われた3年前、泥船から逃げ出すように自民党から脱し、新党改革に走りました。
しかし、みんなの党や維新の会のように党勢を拡大することができず、かといって安倍自民党に復党することもままならず、このたびの引退となりました。
今更ですが、我慢して自民党に残っていれば、枢要なポストで処遇され、総裁候補の1人になっていたかもしれないのに、早まりましたねぇ。
政治学者という人はたくさんいて、好き放題発言していますが、この人は自ら政治家となって主張を現実のものとすべく頑張ったわけで、それは立派なことだと思います。
しかし悲しいかな、政治家と政治学者は別物だと気付いてしまったようです。
例えば鈴木宗男議員は、逮捕されて刑務所にぶちこまれても、刑務所内でもっとも人気がある食事を配る役に就くなど、どんな環境にあっても権力に近づこうとする本能を持った、根っからの政治家に見えます。
安倍総理にしたって、一度は体調を崩して退陣しながら、虎視眈々と2度目の総理を狙い、しかも見事それを射止めるという離れ業を成し遂げ、今、アベノミクスは世界から注目されています。
人にはそれぞれ向き不向きがありますから、自分が得意な方法で世間を渡っていけば良いのですが、舛添議員は厚生労働大臣などで優れた手腕を発揮しただけに、残念です。
あの時、寄らば大樹の陰、と野党となった自民党で隠忍自重していれば、と想像せずにはいられません。
これから再びタレント学者としてテレビなどで遊んで暮らすのでしょうが、きっとそのほうが気楽で良いと思っちゃったんでしょうねぇ。