ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

長期病気休暇中の先輩、いよいよ復帰に向けて出勤訓練開始

2013年06月06日 | 精神障害

 うつ病で長く休んでいた先輩が、今日から出勤訓練を始めました。

 とりあえず勤務時間に合わせて、朝、8時30分までに職場の前まで来て、そのまま帰るという日々を、2週間ほど続け、うまくいったら今度は半日勤務をしばらく続けて様子を見、少しづつ勤務時間を長くしていこうということのようです。

 ソフト・ランディングをめざし、ゆっくりと、完全復帰を目指すようです。

 私も4年前、そんなことをしました。

 幸い私はその後順調に出勤を続け、今ではむしろ他の職員よりも多い仕事を任されています。
 それというのも、ここは踏ん張り所だと思うと、私は異常な集中力を発揮し、誰もが舌を巻くようなスピードで仕事を仕上げるからです。

 しかしそれは、じつは病気のせい。
 抗躁剤で抑えている躁状態が、わずかの時間、訪れるのです。
 躁状態に陥ると、脳がフル回転し、通常ではありえない能力を発揮してしまうのです。

 田中角栄や、偽メール事件で自殺した民主党の永田元議員も私と同じ病気だったと伝えられます。

 ただし、脳が異常な働きをしている以上、躁状態が長く続けば、必ず、脳は激しい疲労に襲われ、今度は立ち上がれないような元気の無い状態になり、これがうつ状態です。

 これを繰り返すのが双極性障害ですが、私の場合、抗躁状態が良く効いているため、仕事上やむ得ず躁状態に陥って異常なスピードで仕事をこなすことがあっても、その状態は長くは続かず、したがってうつ状態に陥ることもありません。

 これは働くうえでなかなか便利な状況で、それが故に私の評価は高まるばかりです。

 一方、出勤訓練を始めた先輩は、ここ15年ばかり、ちょっと出勤してはまた休むということを繰り返しており、これはひとえに重いうつ病であるにも関わらず、少し良くなったからと言って、その都度復職するからではないかと邪推しています。

 この先輩、過去15年で1年続けて出勤したことは一度しかありません。
 先輩には妻子もおり、そう簡単に退職することも出来ず、必死で長く働けるようになろうと、もがいているものと思われます。

 同病相哀れむの言葉どおり、先輩の心中を思うとき、私は同情の涙を禁じ得ません。

 しかし、表立っては言いませんが、酒席などでは、先輩を責める陰口を時折耳にします。

 確かに、事業を遂行するために雇われている職員が、そもそも出勤しないのでは、周りに負担をかけるし、そう言いたくなる気持ちも分からないではありません。

 しかし、例えば胃潰瘍とか十二指腸潰瘍で休んでいる人に、そういう陰口をたたくでしょうか。
 それはやはり、精神障碍者に対する差別意識が、根強く残っているのだとしか思えません。

 この4年ばかり、私は人並み以上に多くの仕事をこなし、人事担当の管理職から、来年度には昇任させる、ということをにおわすような発言を受けました。
 それでも、一般的な年齢よりも、ざっと7年遅れの昇任になります。

 随分遠回りし、多くの後輩が私より上の職階に上がり、今の私の直接の上司は5歳も年下です。
 その上司はずいぶん私に遠慮し、尊重してくれます。
 それはしかし当たり前のこと。
 経験も知識も判断も調整も交渉術も、私の足下にも及ばないわけですから。

 私はそれらのことにとくだん不満を持っていません。

 人生の要諦は、いかに幸福感をもって生きられるかだと思います。

 仕事命で、出世が生きがいみたいな人はともかく、私は、仕事はきちんとこなすにしても、仕事で自己実現を果たそうとは思っていませんし、そもそもあまりにくだらなくてつまらぬ仕事で自己実現を果たそうとするのは不可能なことです。

 先輩が出勤訓練を始めたと聞いて、私はかつて苦しんだ精神障害を思い出し、泥沼の状態から何度も抜け出そうとし、その都度失敗を重ねてきた先輩が、今度こそ順調に職場復帰を果たしてくれることを願ってやみません。



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猪木、ボンバイエ!

2013年06月06日 | 社会・政治

 アントニオ猪木が今夏の参議院選挙に維新の会から出馬すると発表しました。



 70歳を迎えた元プロレスラーは、今も元気注入などといって他人の顔を張り、張られた人は元気をもらった、なんて喜んでいますね。

 このたびは、80歳の暴走老人、石原慎太郎の誘いに乗ったもののようですが、元々アントニオ猪木は参議院議員を務めていました。

 たしか平成元年から5~6年間くらいでしたでしょうか、江本孟紀と二人だけの国会議員を擁するスポーツ平和党という党の党首として。

 正直、政界ではキワモノ扱いだったようですが、どういうつてを頼ったのか、独自に北朝鮮とのパイプを築き、訪朝したりなんかしていましたね。


 私が少年時代はこの人のプロレスラーとしての円熟期でした。

 マサ齋藤ハルク・ホーガン、もとは弟子だった長州力藤波辰巳らと熱戦を繰り広げ、さらにはプロレス最強を唱え、ボクサーのモハメッド・アリや空手家で熊殺しの異名をとるウィリー・ウィリアムズらと異種格闘技戦を戦い、少年の私は憧れの眼差しで熱戦をテレビ観戦したものです。

 一流選手と戦っても勝てなくなった頃、参議院議員になって、世間を驚かせました。

 70歳になって、再び国政を目指すとは思っていませんでしたが、最近の橋下大阪市長の慰安婦をめぐる不適切発言などで急速に人気が下降している維新の会にしてみれば、藁にもすがる思いでアントニオ猪木に声をかけたものと思われます。

 しかし、この人の思想傾向というのはよくわかりません。
 スポーツ平和党時代は、今は無き民社党と友党関係にあったと記憶していますので、右寄りの革新と言えるのかもしれませんが、それもなんだか分かりません。

 アントニオ猪木と言えば、「イノキ、ボンバイエ」という軽快なテーマに乗って登場してくるのを常としていましたが、これ、穏やかではない言葉です。

 ボンバイエとは、アフリカはコンゴの言葉で、Boma Yeをもじったもの。
 そしてその意味するところは、殺しちまえ、といったほどのこと。
 元々コンゴの人々が英雄、モハメッド・アリが試合に勝利した時、興奮して叫んだとかで、それを借用したようです。

 こういう人気者を担ぎ出すあたり、維新の会の終わりの始まりのような気がしてなりません。

 私は橋下大阪市長という人が大阪府知事になって大阪都構想をぶち上げ始めた最初の頃から、胡散臭い人だと思い、維新の会を毛嫌いしてきました。

 時代の変革期にある時に必ず現れるトリック・スターなのだと思っています。

 今、安倍政権が生まれ、戦後レジームからの脱却を高らかに謳い、中国の台頭と米国の相対的な衰退という文脈の中、わが国は主要先進国の一国として生き残りをかけ、様々な改革を断行しようとしています。

 そういう時代の空気が、トリック・スターを求め、機を見るに敏な橋下徹が、時流に乗ったということかと思われます。

 トリック・スターは、文化的英雄であると同時に悪しき破壊者であり、あるいは賢者であり悪者など、法や秩序からみれば一貫性を欠いた矛盾する役割が属性である、とされています。

トリックスター (晶文全書)
山口 昌男,山口 昌男,皆河 宗一,高橋英夫,河合隼雄
晶文社

 そしてトリック・スターは、えてして哀れな末路をたどるものです。

 わが国においては、素戔男尊(スサノオノミコト)などがそれに当たるとされていますね。

 アントニオ猪木「ボンバイエ!」と焚きつけるとしたら、案外それは親分でありトリック・スターである、あの胡散臭い弁護士に対するものであるような気がしてなりません。


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鎌倉新仏教

2013年06月06日 | 思想・学問

 私が日蓮宗の寺で生まれ育ったことは、このブログで何度か紹介しました。

 それで、不思議に思っていることがあります。
 日本版ルネッサンスと言うべき鎌倉新仏教の様々な宗派がありますが、日蓮宗だけが、宗祖の名前を冠していること。

 なんとなく個人崇拝みたいで、嫌な名前だなぁと思ってきました。

 また、教理についてもそうです。

 道元禅師が開いた曹洞宗は、座禅と公案によって、自力で涅槃にいたろうとするもので、大乗仏教華やかなわが国において、珍しく上座部仏教的な色合いを感じます。
 あくまで自力ということが最大の特徴でしょう。

 一方、法然上人が開いた浄土宗は、多くの人は自力で涅槃にいたる厳しい修行には耐えられず、また出家しなくても涅槃に至る道を探り、阿弥陀仏の本願にすがり、他力=阿弥陀仏の力によって、広く衆生を救おうとしました。

 さらに法然上人の弟子の親鸞上人にいたると、自らを煩悩具足の凡夫と呼び、半聖半俗と称して、少なくとも建前はご法度だった妻帯に踏み切り、しかも宗門のトップを世襲とするという、今のわが国の寺院で多く見られる形態の先がけとなりました。

 この浄土真宗は他力という考えを徹底させ、南無阿弥陀仏と唱える行為ですら、自力で行っているのではなく、阿弥陀仏の力によって唱えさせられているのだという、絶対他力という概念を打ち建て、文字も読めないような一般庶民でも絶対他力によって救われるのだと説き、爆発的な勢いで信者を獲得していきました。

 日蓮宗においてはどうでしょうか。

 法華経を第一に置くことと、わりと政治的な行動や過激な行動に出ることで知られていますが、正直、日蓮上人が学んだ比叡山の天台法華と、何がどう違うのかよく分かりません。

 ただ、天台宗は法華経も浄土教も禅も密教も何でもやる総合仏教というイメージがあり、日蓮宗は法華経一本やりというイメージがあるので、法華者といえば通常日蓮信徒を指すようです。

 また、法華経というお経は素人目に見ると、何が良いんだかよくわかりません。

 例え話と、法華経は素晴らしいという自画自賛が続いたと思うと、2仏並座のようなSFめいた記述があり、面喰います。

 江戸時代、27歳の白隠禅師が、世に名高い法華経とはいかなるものかと思ってわくわくしながら読んだところ、くだらんと思い、何十年も法華経を読むことはなかったそうです。
 それが老境に至って、再び法華経を読んだ時、その素晴らしさに気付き、感涙したと聞き及びます。

 今の私は、27歳の白隠禅師みたいなものかもしれません。

 日本文化があらゆる面で仏教的価値観から強い影響を受けてきたことは間違いありません。
 古典文学にしても、能などの舞台芸術にしても、美術にしても。

 しかし仏教ほど、教理の体系づけが曖昧で、全体を俯瞰して理解することが困難な宗教も珍しいでしょう。
 それでいてキリスト教やイスラム教のように殺し合いの言い訳に使われたことが無いという特異な宗教でもあります。

 あまり自由な時間はありませんが、仏教に関しては、生涯勉強し続けなければならないようです。


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