西暦658年の12月13日、有間皇子が謀反の疑いをかけられて処刑されました。
享年19歳。
従兄の中大兄皇子に命を狙われていることを知り、精神を病んだふりまでして命長らえようとしましたが、中大兄皇子の意を汲んだ蘇我赤兄に謀反を唆され、中途半端な回答をしたことが命取りになりました。
中大兄皇子から尋問された折、「天と赤兄と知らむ、我もはら解らず」と、悔しい胸のうちを一言だけ述べたそうです。
「万葉集」に、皇子が亡くなる前の歌が二首載っています。
いは代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む
願いかなって無事であったなら、また帰って来てこの松を見よう、というほどの意ですが、刑場に連れて行かれる途中で詠んだ歌と知れば、哀切極まりないものです。
家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
これも切ないですねぇ。
家で食事をする時は食器に飯を盛るが、旅の途中なので椎の葉に盛る 、という、なんていうことのない歌のようですが、その旅が死地に向かうものなんですからねぇ。
昔の皇族は戦国大名のように、身内同士で血で血を洗う戦いを続けていたのですねぇ。
今の平和を祈る天皇というイメージは、今上陛下からですね。
昭和陛下には先の大戦の大物というイメージがどうしても付きまといますからねぇ。
有間皇子ももう少し後の、戦は武士に任せて皇族や貴族は和歌を詠んだり蹴鞠をしたりしていれば良かった時代に生まれていれば、多くの秀歌を残したでしょうに。
残念ですねぇ。
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