ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

感じる

2011年12月09日 | 文学

 学生の頃、所属していた浪漫文学研究会の宴会で、教授と助手がつまらぬ論争を繰り広げるのを耳にしました。

 助手は、文学研究者は感じることを止め、自然科学者のような醒めた態度で文学作品にあたるべきだ、との論を繰り広げました。

 それに対し教授は、感じることを止めたら文学研究は不可能であるし、そもそも感じることを止めるなどということは、人間には不可能であり、人間精神への冒涜である、と諭しました。

 しかし助手は持論を曲げず、物語作者とその享受者に感じることを任せ、研究者は感じるべきではない、と言い張りました。

 これは実におもしろい論争でした。

 助手が言うことも分からないではありません。
 若き研究者が、研究の神髄を真理の追究にあると考え、そのためには感情が邪魔になる、というわけですから。
 それに対し、和歌から日本民俗、近現代文学まで広く研究する教授は、それは文学の神髄から外れる、と考えたのでしょう。

 教授は我々学部学生一人一人に意見を求めました。

 私は、料理を味合わずしてその見た目や栄養素だけを研究するのは不可能である、と応えました。
 多くの学生も教授の論に賛成しました。

 その半年後、助手は北海道の某女子短期大学に助教授として赴任しましたが、その宴会の後、同じ話が蒸し返されることはありませんでした。

 今になって思うのは、当時の助手の論もまた、正論ではなかったか、ということです。
 自然科学者のような醒めた態度は、どのような分野の研究にも必要だと考えるからです。

 しかし幸いにして、私は研究者ではありません。
 思い切り物語を享受して、感じることを許されています。
 研究者などを目指さなくて本当に良かったと思います。

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小さい

2011年12月09日 | 社会・政治

 安倍元総理、女性を祖とする宮家の創設を、
「縦糸を男系で紡いできた皇室の長い歴史と伝統の根本原理が崩れていく危険性がある。安易に決められたのでは大変なことになる」
 と、表明したそうです。

 小さいですねぇ。

 私はどちらかと言えば伝統を重んじる保守的なタイプですが、保守主義というのはなんでもかんでも昔どおりというものではなく、核となる伝統は維持しつつ、時代の要請によって変えるべきところは変えていく柔軟性を持っていなければならないと考えています。
 
 このブログで何度も述べたとおり、皇室が生き残ってきたのは、時代に合わせて皇室自らが変化してきたからでありましょう。

 そして、現代。
 現代はそもそも血統に価値を置くことを否定しています。
 高貴な血統というものが存在するならば、当然、卑賎な血統が存在しなければならないことになります。
 したがって皇位継承は血統を重視すべきではないでしょう。

 私は選挙やくじ引きで天皇を決めるか、皇室を廃止するか、どちらかしかないと思っています。

 あるいは生身の人間ではなく、木偶人形を天皇にして崇めたって良いのではないかと思います。
 石や鏡をご神体として崇めるようなものです。

 まして女系は認めないなんて、時代錯誤も甚だしいというものです。
 底にあるのは、女性を卑賎な存在ととらえる差別意識に他なりません。
 しかし皇室の祖とされる天照大神は、そもそも女神です。
 大親分が女神なのに、女系は認めないとは嗤わせます。

 大体皇室なんぞ存在してもしなくても大した影響はありません。
 大した影響があると考えるのは、幻想に過ぎません。

 私は安倍元総理の外交・安保政策を支持するものですが、皇室に関することや、選択的夫婦別姓に関しては、むしろ社民党の政策を支持しています。

 ここはいっちょう私が新しい政党を立ち上げて、時代の要請に応える保守主義を世に広める必要がありそうです。
 
 あ、でもそんな器じゃないか。

 この小さなブログで、意見を述べ続ける他なさそうです。

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