ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

プレカリアート

2011年12月06日 | 社会・政治

  precariat (不安定な)+ Proletariat(労働者)プレカリアート運動というものが近頃起こっているらしいですねぇ。

 1990年代、冷戦が米国側の勝利で終わった後、世界は米国型自由主義を至高の価値と見るグローバリゼーションの荒波に襲われました。
 わが国も例外ではなく、小泉政権によって国民は自助努力による自己責任を求められ、恐るべき格差社会が生み出されました。

 結果として、雇用の安定しない非正規労働者が激増し、やっと2006年頃から、生きさせろ、という驚愕のスローガンを掲げる運動が始まったというわけです。

 現在もそうですが、この運動が始まる以前、非正規労働者は努力不足によってもしくは自己選択にってなったものであり、ましてニートや引きこもりは自分がだらしないからだ、とされました。
 もちろんそういう面が否定できないことは確かです。

 しかしこれだけ巨大な人数が社会的弱者とされ、わけても30代半ばに達しようとするロスト・ジェネレーションがいまだに社会の底辺を彷徨うありさまは、もはや自己責任の一言では済まされない、社会問題であると考えざるを得ません。

 そこで必然的に起きてきたのが、プレカリアート運動というわけです。
 この運動、なかなかとらえにくい様相を持っています。
 憲法で保障された生存権を主張するのは当然ですが、なぜか生存には平和が必要だということで、平和運動としての一面も持っています。
 そうすると当然、プロの平和運動家が生存権を主張しているだけの人々を洗脳していくという副産物をも生み出しました。

 文学運動としては、ニートや引きこもりの人々が自分の生活や思いを気色悪い自己憐憫をもって語る、という、私から見ればアンチ文学運動とでも言う他ない方向性をもって、進んでいます。

 一昔前だと、負け犬とか負け組と呼ばれ、ダメ連とか、働いたら負け、とか言う自虐的なパフォーマンスを繰り広げていた連中が、アンチ新自由主義を掲げて組織だった動きを始めたと考えれば分かりやすいかもしれません。

 これら現代の新自由主義に反対する運動が今後どんな動きを見せるのか、注意深く観察する必要があるでしょう。

 それにしても「女工哀史」の昔から、単純労働者は苦痛に満ちた労働条件に耐えてきたのですねぇ。

 私も他人事ではありません。

プレカリアートの憂鬱
雨宮 処凛
講談社
プレカリアート―デジタル日雇い世代の不安な生き方 (新書y)
雨宮 処凛
洋泉社
女工哀史 (岩波文庫 青 135-1)
細井 和喜蔵
岩波書店

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大師匠

2011年12月06日 | お笑い

 昨夜某中華料理店で夕食をしたためたのですが、そこにじつに素敵なお婆様がいらっしゃいました。

 レジ前にどっかと座り、二人の女子高生アルバイトに様々な指示を飛ばしています。
 多分耳がお悪いのでしょう、信じられないような大音量の指示でした。

 二階で宴会を開いていたようで、それにまつわる指示。

「今日はねぇ、飲み放題じゃないんだよ。だから酔っぱらってきたなと思ったら、じゃんじゃんビール持ってっちゃいな。飲み放題の時は注文を受けてから時間を置いて持っていくんだよ。いいかい、世の中は何だってあべこべにできてるんだからね。熱燗なんて言われたらねぇ、あっついお湯に少うしお酒混ぜればいいんだよ。どうせ酔っぱらってるんだからわかりゃしないよ。それからねぇ、あんた達若いんだからにっこり笑って『お客さん、すいませんが運んでもらえますか』って言うんだよ。二時間も三時間もまともに働いたら持たないよ。楽しなきゃ駄目なんだよ」

 私は塩味の五目そばをすすりながら、この素晴らしい人生哲学に感嘆の念を禁じ得ませんでした。
 しかし爆笑は堅く禁じました。
 鼻から熱い中華めんをこぼしてはいけませんから。

 二階の宴会客には聞こえていないでしょうが、一階の個人客には丸聞こえです。
 私が宴会の幹事を命じられたなら、是非この店にしようと思いました。
 肝臓にも胃にもやさしい熱燗をだしてくれるであろうからです。

 そしてまた、一階の個人客が、きくらげの炒めを頼んだ時のこと。
 女子高生が、
「きくらげお願いします」
 と言ったところ、厨房に向かってすかさず、
「くらげぇ」
 と、怒鳴ったのです。
 女子高生が慌てて、
「くらげじゃなくてくらげです。、です」
 と、訂正したところ、耳を疑うような返事が返ってきました。
「きくらげなんてねぇ、そば屋のニシンそばみたいなもんなんだよ。誰も頼まないけど格好悪いからお品書きに載せてるだけなんだ。くらげだよ、くらげ」
 女子高生は黙ってしまいました。
 頼んだ客はおしゃべりに夢中になっています。
 で、くらげを持っていくと、
「なんだこれ、のくらげじゃねぇか、俺が頼んだなぁのくらげだよ」
 と言ってはみたものの、かわゆい女子高生の困った顔に免じて、
「まぁいいや。これ食うよ」
 と言ってあっさり引き下がってしまいました。

 以前この中華料理店の向かいのそば屋で、本鴨せいろを注文したところ、
「すいません、本鴨終わっちゃったんです、鴨せいろならできますけど」
 と言われたことがあります。
 そりゃあせいろじゃなくてせいろだろ、と思いっきり突っ込みたくなるのを堪えて、ざるそばを食ったことがあります。

 素敵な飲食店街ですねぇ。

 私は今後、中華料理店のお婆様を大師匠、そば屋のおかみさんを師匠と呼んで贔屓にすることに決めました。

 これからも素敵な人生哲学や言い訳を期待していますよぉ。

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ストーカー One Hour Photo

2011年12月06日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 昨夜は久しぶりに掘り出し物に当たりました。

 「ストーカー」です。

 タイトルは邦題で、原題は「One Hour Photo」です。
 「ストーカー」だと狂気じみたストーカーとその恐怖、みたいなイメージですが、そういう内容ではありません。
 独身で友達も恋人もいない、孤独な初老の男の哀しみを描いた映画です。
 名作と言ってもいいでしょう。
 脚本、演出がしっかりしているのはもちろん、主演のロビン・ウィリアムズがじつに良い味を出しています。

  One Hour Photoというのは、直訳すると一時間で写真を、ということですが、ここでは大型スーパーなどにあるDPEショップを指しています。

 大型スーパーのDPEショップに勤めるサイ。
 彼は確かな現像技術で、デジカメ全盛の世にあって、フィルム写真を扱っています。
 彼はお得意客の一人、美人妻のニーナに密かに想いを寄せており、ニーナが結婚してサイの店に来るようになって以来、もう10年もニーナが持ってくる幸せな家族の写真をこっそり焼き増しし、自宅の壁に張っています。
 しかし彼が夢想しているのはニーナを寝取ることではありません。
 ニーナの家族と親しくなって、ニーナの子どもから実の伯父のように慕われ、ニーナ一家と笑顔で写真を撮ること。

 切ないですねぇ。

 旦那から奪おうというのではなく、旦那もろともお付き合いがしたいなんてねぇ。

 しかしある時、旦那の不倫相手が持ってきたフィルムにより、旦那がニーナを裏切っていることを知ります。
 旦那と不倫相手を激しく憎み、ニーナと子どもに同情するサイ。
 それはやがて狂気を帯び、周到に旦那を懲らしめようと決意します。

 誰も死なない、誰も肉体的には傷つかない、サイ一人が悩み苦しみ、小さな罪を犯す。
 取るに足らない罪ですが、それはサイを精神的に破壊することになります。

  サイコ・サスペンスという分類になるのでしょうが、文芸作品と言ったほうが良いかも知れません。 
 緊張感のある映像で、ぐいぐい魅せます。
 
 是非ご覧ください。

ストーカー [DVD]
ロビン・ウィリアムズ,コニー・ニールセン,ミシェル・ヴァルタン
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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