ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

勝てない賭け

2011年11月30日 | 社会・政治

  5年前、日本マクドナルドが定年制を廃止し、当時大きな話題になりました。

 すなわち、年金支給年齢が引き上げられたことに対する対応であるとともに、働く意欲のある人を年齢だけで退職させるのは不合理だ、という意見を現実的に行ったものであり、概ね好意的に受け入れられました。

 しかし、このたび日本マクドナルドは来年1月から60歳定年制を復活させる、と発表しました。
 定年制廃止の時と違ってたいしたニュースにはならず、ひっそりとしたものです。

 しかし、これは重要な示唆に富んでいます。

 日本マクドナルドは定年制廃止に伴う最大のデメリットとして、年配の社員が若手の育成よりも自身の成果を上げることに力を注ぎ、年配社員が持っている経験やノウハウを若手に伝えることがなくなってしまったことを挙げています。
 よく外資系の企業などでは、新人や転職して入社してきた者に対し、前からいる社員が仕事を教えない、という噂を耳にします。
 下手に仕事を教えて自分の仕事が無くなり、クビにされたら困る、という心理が働くようです。

 元をただせば年功序列を廃し、実力主義で成果を上げようとした定年制廃止。
 見事に外れたようです。

 わが国は戦後長期に渡って多くの会社や役所が年功序列の人事と賃金体系を採ってきました。
 これは、誰でも真面目に働けばそこそこ出世もし、賃金も上がる、という合理的な制度であると同時に、有能なのに若いというだけで出世も賃金アップもしない、という不合理な制度でもあります。
 ただ、圧倒的多数の人は凡庸であることを考えれば、凡人に優しく、多数者に優しい制度であるといえます。
 年とともに賃金が上がると思えばこそ、結婚もし、金のかかる出産・育児もし、長期ローンを組んで住宅を購入しようという意欲も湧いたわけです。

 しかし今、日本の雇用形態は様変わりし、金のかかる正社員を少数に押さえ、安価な労働力を求めて非正規雇用が激増しています。
 日本マクドナルドの定年制復活は、この文脈でとらえなければなりません。
 つまり日本マクドナルドが主張するデメリットもさることながら、高給の正社員を60歳過ぎてまで雇っていられるか、ということでしょう。
 
 成果主義や実力主義よりも、安価な労働力が欲しいという会社の言い分はよくわかります。
 私が経営者でもそうするでしょう。

 そして数少ない正社員は荷重なストレスに耐えながら絶対に勝てない賭けとでも言うべき年金の掛け金を払い続け、非正規社員はリストラの恐怖に怯え、将来への展望を開けないというわけで、わが国の若者が将来を悲観したり、団塊の世代を恨んだりするのも故なしとしません。

 では私たち現役世代はどうすれば良いんでしょうね。

 建前をいえば、職場では真面目に働き、家庭での責任を果たし、地域社会での役割も担い、選挙権を行使することによって政治に参画していく、という以外にありません。

 しかし正直なところ、私はいつまでも勝てない賭けを続けるのはうんざりです。
 
 もう6代も前になる小泉劇場がなつかしくすら感じます。
 小泉元総理が行った政策の是非はともかく、なんとなく日本社会が明るい方向へ向き始めたような気分を味あわせてくれました。
 今の大阪維新の会も閉塞感の打破にこそブームの理由があるのでしょう。

 私はもはや、破れかぶれのように狂気じみたナショナリズムや、○○主義運動、過激な宗教活動への渇望を抑えることが困難です。

 建前よりも、このモヤモヤを吹き飛ばしてくれる過激なカリスマを待っています。
 それが現れたのなら、私はその理屈や教えは抜きにして、その過激さを愛でたいと思っています。

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○○の娘

2011年11月30日 | 文学

  スターリンの一人娘、ラナさんが85歳で亡くなったそうですね。
 16歳の時の初恋の相手は10年間も流罪に処せられたとか。
 その後旧ソ連で三度結婚、いずれも離婚または死別しました。
 三度目の夫の母国であるインドに夫の遺灰を返すため渡ったとき、旧ソ連のパスポートを燃やし、亡命を宣言、米国籍を取得しました。
 時に冷戦真っただ中の1967年。
 堂々と共産主義を批判し、スターリンやクレムリンの実情を描いた著書はベストセラーになりました。

 米国では、ある者からは共産主義の悪魔、スターリンの娘と罵られ、またある者からは共産主義の悪魔から逃げ出した英雄と称えられ、どちらにしてもスターリンの娘という呪縛から逃れることはできませんでした。

 
晩年のラナさんです。



 
父、スターリンに抱かれるラナさんです。

 
○○の娘というと思いだすのは、
更級日記」の作者、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)ですねぇ。
 本名は伝わっていません。
 日本では著名な女性でも
○○の娘とか、××の母、としか伝わっていない人がけっこういるんですよねぇ。

 スターリンの娘とは何の関係もありませんが。

 「更級日記」というと、「源氏物語」に夢中になる様が、次のように記されています。

 はしるはしる、わづかに見つつ、心も得ず心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人もまじらず、几帳の内にうち伏して、引き出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ。 
 昼は日ぐらし、夜は目の覚めたるかぎり、灯を近くともして、これを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは、そらに覚え浮かぶを、いみじきことに思ふに、夢にいと清げなる僧の、黄なる地の袈裟着たるが来て、「法華経五の巻をとく習へ。」と言ふと見れど、人にも語らず、習はむとも思ひかけず。
 物語のことをのみ心にしめて、我はこのごろわろきぞかし、さかりにならば、かたちもかぎりなくよく、髪もいみじく長くなりなむ、光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめ、と思ひける心、まづいとはかなくあさまし。

 
平たく言えば、

「心をわくわくさせながら昼も夜も夢中で『源氏物語』を読んでいるが、夢のなかで坊主に早く『法華経 五巻』を学びなさいと言われたが、そんなことは知らん、物語に夢中で、自分もいつかは夕顔のような美人になれるかなぁなんて思っていた頃は我ながらあきれる思いだ」

 というほどの意味でしょうか。

 いずれにしても、いつの時代にも現実よりも虚構の世界を愛し、虚構に住みたくなる人というのがいるものです。
 
 今は文学の他にも映画やドラマや漫画などで、多くの物語に簡単に入り込めるので、そういう人にとっては幸せな時代かもしれません。
 私は幸せです。

 しかし、虚構のような世界を現実として生きるのは過酷なことだろうと思います。
 スターリンの娘は、何不自由なく育ちましたが、父親の死後祖国を捨て、敵である米国に飛び込んでいきます。
 米国では本を書いたりインタヴューに応じたり、やはり収入には困らなかったであろうことが想像されます。

 最晩年
「米国では一日も自由な日はなかった。米国での40年で得るものは何もなかった」などと述懐したそうです。

 切ないですねぇ。

 ドラマになるような波乱万丈な人生や燃えるような恋愛というのは、他人事として眺める分には面白いですが、自分がそれを生きるのはしんどいですねぇ。

 菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)「源氏物語」に陶酔しながらも、その時代の貴族の女性としては、ありがちな人生を送ったのでした。

 晩年に書いたと思われる
「更級日記」には、仏教への傾倒が見られるばかりで、物語と現実についての言及はありません。

 かつて源氏に夢中になった少女は、老境に達してかつての自分をどう思っていたのでしょうね。
 
 常識をわきまえ、真面目に凡庸な人生を生きながら、精神の奥深くに過激さを秘めているというのが一番楽しいような気がしますねぇ。

更級日記 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)
川村 裕子
角川学芸出版

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Japan: Tradition. Innovation. 伝統と革新の国

2011年11月30日 | 思想・学問

 カナダ文明博物館において、今年の5月20日から10月20日までの半年間、Japan: Tradition. Innovation.(伝統と革新の国)という企画展示が開かれたそうです。

 私の知り合いがこの展示を観に行ったそうで、外国人から見た日本の姿を日本人が見るという、貴重な体験ができたようです。




 上の写真はその時のものだそうで、折紙のヒーローでしょうか。

 こちらは和風な装飾を施した携帯電話ですね。

 古くは刀の柄や火縄銃に美しい装飾を施したり、最近ではデコメとか携帯ストラップとか、実用品に過剰な装飾を施すことをわが国民は好みますね。

 お箸やお茶碗を、家族それぞれ、これが自分専用、と決めて好みの装飾を施した物を使うのはわが国独特だそうです。
 西洋のお皿やフォークはどれも一緒ですもんねぇ。

 企画展示では、江戸時代の日本と現代の日本を比較しながら展示し、伝統を守りつつ新しい技術や思想を受容していくわが国柄を提示し、なかなか盛況だったようです。

 日本人が何とも思わなかったものが観光資源になったりもしています。

 築地市場のマグロの競りとか渋谷109前のスクランブル交差点とか。

 信じられないぐらい多くの人が、スクランブル交差点という、四方八方から人が思い思いに歩く無秩序な空間を、ぶつかりもぜずにまるで予定調和のように秩序正しく渡っていく姿が物珍しいようです。

 てっきりスクランブル交差点はどこぞの国のやり方を日本が真似たのかと思っていたら、日本独自のものだったんですねぇ。

 交番はKOBANとして世界中が真似するようになりましたね。

 かつてわが国は欧米の技術を真似し、それを改良した製品を大量生産して猿真似の国と揶揄されました。

  しかし、学ぶ=真似ること。

 外国の長きを真似、わが国の短きを補うのは当然のことで、それをしなかったからこそ多くの有色人種国家は長い植民地支配に耐えねばならなかったわけです。

  わが国においては、外国の美術品や骨董品を展示する企画展示は盛んですが、外国の風俗や技術、歴史を展示する企画展示にお目にかかることは滅多にありませんね。

 国名を冠した企画展示が開かれるということは、カナダ、それを敷衍して欧米世界にとって、わが国はまだまだ遠くて未知の国なのかもしれません。

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トゥエルブ

2011年11月30日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 ホラー・サスペンスかと思いきやじつは青春群像劇だった「トゥエルブ」を昨夜鑑賞しました。
 
 春休み、寄宿制の高校からマンハッタンの高級住宅地に帰宅したお金持ちの高校生たち。

 そんな中、マイクは母親を亡くしてから高校を中退し、ドラッグの売人になります。
 主な顧客は元同級生のお金持ち高校生。
 彼らは春休みの期間、親が留守のお屋敷で毎夜のようにドラッグ・パーティに耽ります。
 そんな中、ハーレムに住む貧乏な少年、ナナが射殺死体でみつかります。
 マイクの親友が殺人の疑いをかけられ、警察に拘束されますが、マイクはそんなことを知らず、いつかけても留守電の親友の携帯に不審の念を抱きつつ、商売に励みます。
 マイクはマリファナ専門で、最も人気のある劇薬、トゥエルブを扱おうとしません。
 マイクの商売仲間の黒人が、マイクが仲介した者にだけトゥエルブを売りますが、いくらお金持ちの子弟とはいえ、そこは高校生。
 お小遣いには限度があります。
 トゥエルブ欲しさにパーティの最中、黒人の売人に身を売る女子高生まで現れます。

 読者モデルをやっているイケメン。
 少年更生施設から脱出してきた少年と、優等生の弟。
 高校一の美少女で、多くの男を手玉に取る女子高生。
 その取り巻きの女子たち。
 マイクに密かに思いを寄せる少女。

 じつに多くの少年少女たちのそれぞれの孤独と闇が描かれます。
 そしてあるドラッグ・パーティーの夜、更生施設から脱出してきた少年による無差別殺人が起き、パーティは悲劇的結末を迎えます。

 射殺される瞬間、高校一の美少女が「これで新学期の話題を独占できる」というつぶやきは、上流家庭に生まれた子弟の虚飾を暗示していて、あまりにも哀切です。

 17歳の作者によって書かれたという上流家庭の高校生たちの華やかで暗い青春。

 そもそも青春時代というものはどこか暗いものですが、家庭が裕福なだけに、その暗さは現実生活のそれとはかけ離れた精神の暗闘を示していて、涙なしには見られませんでした。

トゥエルヴ [DVD]
スティーブン・フィアーバーグ,ニック・マクドネル,ジョーダン・メラメッド
ポニーキャニオン

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