昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(309)市民大学・暮らしの中の美意識(2)柳宗悦「雑器の美」

2018-11-04 05:46:09 | 三鷹通信
 
「それは貧しい<下手(げて)>と蔑まれる品物に過ぎない。奢る風情もなく、華やかな化粧もない」
「信徒が<南無阿弥陀仏>を口ぐせに何度も何度も唱えるように、彼は何度も何度も轆轤の上で同じ形を廻しているのだ」
「美が何であるか、…どうして彼にそんなことを知る知恵があろう。だが、すべてを知らずとも彼の手は速やかに動いている」
「陶工の手もすでに彼の手ではなく、自然の手だといい得るであろう」
「彼が美を工夫せずとも自然が美を守ってくれる」
「<平信徒>の無心な帰依から信仰が出てくるように、<庶民>自らの器には美が湧いてくるのだ」
 ・・・<雑器の美>より。」

 柳宗悦は1889(明治22)年、に生まれ学習院から東京帝国大学哲学科に進み、<民芸運動>を起こした思想家、美学者、宗教哲学者である。
 志賀直哉や武者小路実篤などの「白樺派」に参加<民衆・庶民>を重視した大正デモクラシーを展開した。
 
 武者小路の<新しき運動>の芸術版。
 江戸時代に洗練され、一部の家元に棚上げされた<芸術>への視点を<民衆>のもとへ戻そうという運動であった。 
 彼は、日本の宗教文化にも着目、全国に存在する<木喰仏>にも関心を持った。

 19世紀後半のイギリスの<プレラファエロ派前>・中世の芸術に戻る運動を起こした「生活の中の芸術の創始者」にも影響を受けている。
 
 <反復は熟達の母> 多くの需要は多くの供給を招き、多くの製作は限りなき反復を求める。反復はついに技術を完了の域に誘う。
 ・・・あの<雑器>と呼ばれる器の背後には、長き年と多くの汗と、限りなき繰り返しとがもたらす技術の完成があり、<自由の獲得>がある。
    それは人が作るというよりも、むしろ自然が産むとこそいうべきであろう。
 「馬の目」と呼ばるる皿を見よ。
 いかなる画家も、あの簡単な渦巻きを、かくも易々と自由に描くことはできないであろう。それは真に驚異である、と彼は述べている。

 また、柳宗悦は、朝鮮の工藝品に魅了され、朝鮮との友好関係を築いた。

 彼の業績は目黒区駒場の「日本民芸館」に見ることができる。  
 





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