昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

運が悪いことから全てが始まった(35)大学時代(18)

2013-11-06 02:55:10 | 小説、運が悪いことから全てが始まった
 3年生になると、日吉の教養課程から三田の専門課程に、つまりボクの場合経済学部だが、移る。
 当然下宿も都内に変わることになった。
 仲間もそれぞれの新しい住まいを求めて移転して行った。
 今までは今まで、これからはこれからというように、これまで培った絆はなんだったんだろうと思うくらい、みんなは元住吉の奥さんのアパートを渡り鳥みたいにあっさりと巣立っていった。
 
 お互いの新しい住所を交換することもなく・・・。

 ずっと後になって知ったことだが、ボクらが2年間過ごした奥さんのアパートは、大手企業の寮として貸し出されたそうだ。
 ・・・学生のためのアパートは我々でこりごりしたんじゃないの? 夜遅くまでがさごそとうるさいし、昼は昼で楽器の騒音を撒き散らすし、食事や洗濯もたいへんだったろうし・・・
 奥さんはそんなそぶりを微塵も見せなかったが、本心は閉口していたんだ。
 しかし、ボクらにとってはかけがえのない体験をさせてもらった。

 戦後の苦境から人々の生活も改善され、猫も杓子も大学に行く時代になっていたから、それらの需要に応えるアパートは都内に次々と新設されていた。
 しかし、元住吉のアパートみたいに朝夕賄い付き、風呂もあるし、洗濯までやってくれるアパートなんか望むべくもなかった。
 ボクが見つけた目黒、元競馬場のアパートは老夫婦が自宅の庭に建てたもので、二階建て、下と上に二軒ずつのマッチ箱みたいな木造だ。
 
 もしろん、賄いなんか付いていなくて、家主とは家賃を支払う時しか顔を合わさない、冷めた間柄だった。
 二階のボクの部屋は四畳間の一角が押し入れになっている三畳半というおかしな部屋だ。
 隣にはすでに別な大学の人の良さそうな学生が入っていた。
 彼から聞いた話では、下には新婚夫婦が住んでいて、夜な夜なそのうめき声に悩まされるぜ、なんて言われた。

 オヤジは戦地から引き揚げてきて運よく、地方では一流の企業に就職できたが裕福ではなかった。
 それでも足に障害を持つボクを何としてもいい大学へと、ムリして東京へ送り出してくれた。
 しかし、目黒の下宿は高いし、少ない仕送りの中で食事もやりくりしなければならなかった。
 朝食抜きで、昼は学食で安いカレーライス、夜は当時売り出されたチキンラーメンをお湯で戻して、ご飯と食べるなんて生活をしていた。
 
 時々、元住吉の奥さんの過剰サービスを懐かしく思い起していた。

 ─続く─
 
 
 


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