鏡の間、典型的なロココ様式の華麗な部屋。
6歳のモーツアルトがここで演奏し、神童としてのデビューを飾った。
百万の間。ローズウッドの壁に無数のインド細密画が壁にはめ込まれ、重厚ながらもきらびやか。総工費が当時の通過で百万グルデンかかったという。
部屋の中で馬車に乗ってぐるぐる回るカルーセルの間というのがある。
これが回転木馬の発祥だといわれている。
ゴブラン織りの間、陶磁器の間、金飾りの間、次々と豪華な部屋が出現する。
フランツ・カールの執務室には、偉大な女帝マリア・テレージア一家の肖像画が掲げられている。
彼女は生涯に16人の子を産んだよき妻、よき母であったが、婚姻戦略で領土拡大を図ったハプスブルグ家の伝統を守り、軍事や政治に辣腕をふるった偉大な為政者でもあった。
彼女の末娘はフランスに嫁いで、革命の露と消えたかのマリー・アントワネットである。
このシェーンブルン宮殿はハプスブルグ家の夏の離宮と呼ばれているが、その華麗なる歴史を示す栄華の残り香が色濃く漂う。
「1918年第1次世界大戦でハプスブルグ家が崩壊した後も、最後のお妃は96歳まで生き延びたそうです。そのハプスブルグ家の血を引く人が二人だけ日本にいます。近頃の若いひとには、誰それ?と言われそうですが」
黒のガイド、ヒール君はみんなの顔を見回した。
「・・・」
「鰐淵晴子、朗子姉妹です」
・・・あの天才バイオリニストとして有名になり女優としても活躍した鰐淵晴子か・・・もちろんぼくは知っていた。
・・・そういえばオーストリア帝国の最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の后になったエリザベートは抜群の美貌とプロポーションで人気があったが、鰐淵姉妹にもその面影はある・・・
─続く─
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