昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

なるほど!と思う日々(273)小保方問題から浮かび上がった科学界の病理

2014-05-13 04:11:36 | なるほどと思う日々
 もうひとつ納得いかなかった<小保方論文・改竄・捏造問題>だったが、今月発刊された<文芸春秋六月号>で腑に落ちるものがあった。

 <疑惑の細胞>立花 隆
 ・・・今回の事件、世の関心がこれほど集まったのは、STAP細胞という、山中伸弥博士のiPS細胞にも比肩する不思議な細胞が発見されたことにあった。
 あらゆる細胞はDNAにプログラムされた予定運命から逃れられないという生物学の常識に反して、iPS細胞はわずか4つの遺伝子の導入だけで予定運命を書き換えてみせた。
 STAP細胞は同じことを細胞の生育環境に一定のストレスを与えるだけで実現したとされた。

 (ここまでは、我々も納得の感動ニュースとして受け止めた。ところが、論文に改竄・捏造があるという指摘があり状況は一変する)

 私はこの一件において何より重要なのは、STAP細胞(現象)があるかないかの一点であり、それにくらべたら少々の論文の不正など(全部がでっちあげデタラメでないかぎり)大した問題ではないと思っている。なぜならSTAP現象があるとなると、細胞生物学の根幹の考え直しが迫られるくらい重大と思うからだ。論文不正の真偽をさしおいても、STAP現象の真偽の決着をつけてもらいたいと思っている。
 (ぼく自身もこの点はまったく同感である)

 ところが、もうひとつの中山敬一九州大学教授(日本分子生物学会副理事長)の特別寄稿論文が衝撃的だった。

 <実は医学論文の7割が再現不可能>
 <小保方捏造を生んだ科学界の病理>
 ・・・既に理研の調査委員会も認定しているように、ほとんどの科学者はこの論文は明らかな研究不正であると見なしており、画像の切り貼りや使い回し、他人の文章の盗用などは、理由の如何にかかわらず絶対に行ってはいけないというのは、大学生でも知っていることである。
 いくら小保方氏が「STAP細胞はありまぁす」と強弁しても論文が正しい方法に基づいていない以上、そこから得られる結論はゼロ(白紙)というのが、科学の掟である。
 (少しは分かりやすくするために手直ししたり、他人様の文章を流用したりしてもいいんじゃないの? って思っちゃうけど・・・)

 例えば「UFOを見た」と主張する人が差し出した証拠写真が、タライを糸で吊り下げたようなチープな合成写真だったら、その人がUFOを見たという主張を信じる人はいないだろう。
 現時点では「STAP細胞はない」というに等しいのである。

 (小保方氏の論文はその程度のものだと結論づけちゃっていいの?)

 ・・・研究不正は蔓延している。医学論文の7割は再現不能とか、科学者の3割は何らかの不正をしたことがあるというデータもある。・・・
 科学の世界にも競争原理が入り込み、成果を挙げた科学者が出世し、報酬を得るという業績主義がドグマとなった。そうなるとどうなるか。科学者の本文を忘れ、立身出世のためだけに科学を不正に利用する輩が出てくるのは、人間の性だろう。
 
 このような歴史の経緯を考えるとき、研究不正はスポーツ界におけるドーピングに似ているということに気がつく。スポーツも昔はアマチュアだったが、今は科学と同様に完全に職業化している。
 しかし、スポーツには<精神>と<ルール>によって初めて公正な競技が保証されるが、科学の世界は性善説に基づく不文律によって支配されている部分が大きい。科学におけるルールが明確でないことは、過ちを生み、それを許容する土壌が醸成されかねないし、過ちを装った捏造も起こりうるだろう。
 スポーツ界は必死にドーピングと闘っているが、科学界はルール違反に対して何も有効な策を打ちだせておらず、スポーツ界の足下にも及んでいないのだ。

 (なるほど! 少々不正があっても、なんて見逃しているととんでもないことになるぞ!ってことか。)

 最後に、私と共にアンチ捏造シンポの座長を務めてもらった山中教授の言葉を紹介する。
「研究って、ゴルフとすごく似ていると思うんですね。ゴルフは自分でスコアをつけますから、ごまかそうと思ったらごまかせる。でもゴルフを始めたときに『スコアじゃないんだ、立派にやることが目的なんだ』という先輩の言葉が大事だ」

 (たしかにね・・・。最近ゴルフ打数カウンターを持っているから間違いない、と言ったら押し忘れに気をつけろ!って言われた。)
 
  
 


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