昨日の講演は元武蔵野大学教授、小松奈美子さんの「生命倫理について考える─私自身の体験に基づいて」
何しろ、ご自身の体験をもとにされた講義は圧巻でした。
*<長男の入院体験>
1987年4月長男(16歳、高校2年生)の突如の大吐血。
内科に入院。付きっきりで看護、病院から何の説明もなし。
たまたまその蒼白な患者の状態を目にした外科医の進言で外科に。
重体が判明、直ちに手術。
3~4時間の手術ということだったが、実際は8時間かかって、膿盆のなかの大量の内臓に驚愕!
十二指腸潰瘍との診断。
事前に保護者の承認なしに、癌でもないのに再発の恐れがあるということで、胃の3分の2を切除。
2か月の入院、退院後は予後の悪さとの戦いでした。
ご本人は1966年お茶の水女子大学哲学科卒業後、一時高校教師となったが、育児のために10年間専業主婦生活。
1980年には非常勤の高校教師となる。1987年に筑波大学院に進学。当時、長男は高校2年、娘は中学3年だった。
そして1年後長男の大量吐血事件。
さらに、夫がうつ病になる。
娘は誰からも愛されていないと家庭内暴力を振るうようになる。
(患者や家族の気持ちを分かってほしい、患者に真実を知らせてほしい、と痛切に感じた)
*<夫の死>
ご自身は退院予後の長男、そしてうつ病の夫の面倒を見ながらも、筑波大学院修了後看護専門学校・看護大学等の非常勤講師などを経て、2004年東日本国際大学教授となる。
2007年1月初旬、大学教師で69歳になった夫はストレスによるうつ病のため「死にたい」と切望、2回首つり自殺を試みるも未遂。
某精神病院に入院。2008年8月に転院、抗精神病薬の過剰投与、重症の誤嚥性肺炎となり、一般病院の内科に緊急搬送。
ICUに1か月、点滴による栄養補給。一般病棟に移って胃ろうを勧められる。
寝たきり、オムツ、認知症の傾向があり身体拘束、認知症の重症化。
2009年4月、特別養護老人ホームに入所。ほとんどベッド上で過ごす。発語の極端な現象、体力低下、頻繁な誤嚥により入院。
2013年11月在宅介護開始。
「コーヒーが飲みたい、うま~い」「カステラが食べたい」
日経新聞を住みから隅まで読んでコメントを出すまでになる。
翌年1月8日頃より身体的衰弱が顕著になり、呼吸が浅くなる。
2014年1月15日、自宅にて逝去。79歳9か月で老衰。
(死の直前は目を輝かせて上の方に向かって手両手を大きく伸ばした。クリスチャンだったので<神>を意識したのかも)
ご自身はその間も2008年~2013年武蔵野大学教授として定年まで勤め上げた。
*<娘の死>
2014年5月末に、夫の死後の諸手続きが終えたころ、既に結婚していた娘から「とても体調が悪いので来てほしい」との電話。
すっかりやせ細った娘の姿。直ちに某病院へ入院。
41歳、スキルス胃がん・末期がんの告知。
6月7日本人が在宅を希望。7月1日から13日まで在宅介護。
7月3日キリスト教に病床洗礼。
7月13日に本人の希望で某ホスピスに入所。8月15日10時半ごろモルヒネ投与、11時半ごろ呼吸停止。
(42歳1か月、遺児長女2歳10か月、次女1歳5が月)
ご本人は壮絶な人生を送るうちに、病院の現状、介護の現状、医療倫理、生命倫理に思いを馳せ、幼い孫たちの面倒を見ながらも著作に、講演にと今も活躍されている。
さらに、日本では初めての<がん告知>で有名になったテレビアナウンサー<逸見政孝氏のDVD)の映像を使って今回の講演をドラマチックに盛り上げた。
「1993年9月6日「わたしが今冒されている病気の名前は癌です」とテレビで告知。
生命倫理の発祥地、アメリカでは1970年代の半ばには、がん告知、インフォームドコンセントは100%行われていたが、日本ではこの会見は衝撃的だった。
「戦いに行ってきます」「生還して来ましたと言えればいいな」と言っていたが遂に12月25日48歳の命を閉じた。
さらに、感銘を受けた作品を挙げられた。
1920年石飛幸三「平穏死のすすめ」
中村仁一「大往生したけりゃ医療とかかわるな」
萬田緑平「穏やかな死に医療はいらない」
これらの著作に出会って、ご自身の医療に関して対応すべきものが見えた。
また、
遠藤周作「人生に何ひとつ無駄なものはない」
五木寛之「ただ生きていく、それだけでスバラシイ」
これらの著作からは生きていくための指針、キリスト教とか仏教とかの宗教の力を感じさせられた。
ボクは敢えて質問させていただいた。
「ご自身のご体験に基づくお話は、ボク自身、父母、そして難病を抱えて生まれた孫娘のことも重ね合わせ涙しました。
ボクはかなり著名な外科医と懇意にしていて、本音を聞くことがある。『70歳を超えたら手術はできるだけ控えた方がいいね』と、『薬はできるだけ飲まない方がいい』と、本音では人間の自然治癒力とか倫理的な思考をお持ちなのだが、やってることは手術、手術と違う方向を向いている。
話を拡大して恐縮ですが、現代の医療などの発達は、科学の力、経済の力に負うところが多い。ところが男主導で進んできた現代社会にどうもひずみが出ているようだ。
イケイケドンドンで進歩してきた科学は人類を滅ぼしかねない核兵器を開発してしまったし、グローバリズムという賭博的経済により国家財政が危機に瀕している。医療でも遺伝子治療、人工臓器など最先端医療が倫理に叶うか問題となっている。
もともと人類歴史学的に見ると、<男は女の走り使いでしかなく>、イケイケドンドンでその役割を果たしてきた男の弊害のツケこのところがあからさまになってきたのでは?
政治にその弊害を取り除く役割があるのだが、自分ファーストのトランプ、習近平、プーチンなどの指導者を見ていると危険極まりない。
そろそろ政治のリーダーを男から母性の女性に変えるべき時が来たのでは?
特に先の大戦の反省から平和な世界を目指している日本の役割が期待される。適切な女性リーダーを育てなければ」と。
先生曰く「たしかに男は格好良く力強いようだが、もろくもある。一旦事が起きると頭だけで考えるから右往左往してしまう。
頭で考えるだけで足が地に着いていない。一方女性はどんと踏ん張れるという特徴がありますね」と。
みなさん、いかがお考えですか?
何しろ、ご自身の体験をもとにされた講義は圧巻でした。
*<長男の入院体験>
1987年4月長男(16歳、高校2年生)の突如の大吐血。
内科に入院。付きっきりで看護、病院から何の説明もなし。
たまたまその蒼白な患者の状態を目にした外科医の進言で外科に。
重体が判明、直ちに手術。
3~4時間の手術ということだったが、実際は8時間かかって、膿盆のなかの大量の内臓に驚愕!
十二指腸潰瘍との診断。
事前に保護者の承認なしに、癌でもないのに再発の恐れがあるということで、胃の3分の2を切除。
2か月の入院、退院後は予後の悪さとの戦いでした。
ご本人は1966年お茶の水女子大学哲学科卒業後、一時高校教師となったが、育児のために10年間専業主婦生活。
1980年には非常勤の高校教師となる。1987年に筑波大学院に進学。当時、長男は高校2年、娘は中学3年だった。
そして1年後長男の大量吐血事件。
さらに、夫がうつ病になる。
娘は誰からも愛されていないと家庭内暴力を振るうようになる。
(患者や家族の気持ちを分かってほしい、患者に真実を知らせてほしい、と痛切に感じた)
*<夫の死>
ご自身は退院予後の長男、そしてうつ病の夫の面倒を見ながらも、筑波大学院修了後看護専門学校・看護大学等の非常勤講師などを経て、2004年東日本国際大学教授となる。
2007年1月初旬、大学教師で69歳になった夫はストレスによるうつ病のため「死にたい」と切望、2回首つり自殺を試みるも未遂。
某精神病院に入院。2008年8月に転院、抗精神病薬の過剰投与、重症の誤嚥性肺炎となり、一般病院の内科に緊急搬送。
ICUに1か月、点滴による栄養補給。一般病棟に移って胃ろうを勧められる。
寝たきり、オムツ、認知症の傾向があり身体拘束、認知症の重症化。
2009年4月、特別養護老人ホームに入所。ほとんどベッド上で過ごす。発語の極端な現象、体力低下、頻繁な誤嚥により入院。
2013年11月在宅介護開始。
「コーヒーが飲みたい、うま~い」「カステラが食べたい」
日経新聞を住みから隅まで読んでコメントを出すまでになる。
翌年1月8日頃より身体的衰弱が顕著になり、呼吸が浅くなる。
2014年1月15日、自宅にて逝去。79歳9か月で老衰。
(死の直前は目を輝かせて上の方に向かって手両手を大きく伸ばした。クリスチャンだったので<神>を意識したのかも)
ご自身はその間も2008年~2013年武蔵野大学教授として定年まで勤め上げた。
*<娘の死>
2014年5月末に、夫の死後の諸手続きが終えたころ、既に結婚していた娘から「とても体調が悪いので来てほしい」との電話。
すっかりやせ細った娘の姿。直ちに某病院へ入院。
41歳、スキルス胃がん・末期がんの告知。
6月7日本人が在宅を希望。7月1日から13日まで在宅介護。
7月3日キリスト教に病床洗礼。
7月13日に本人の希望で某ホスピスに入所。8月15日10時半ごろモルヒネ投与、11時半ごろ呼吸停止。
(42歳1か月、遺児長女2歳10か月、次女1歳5が月)
ご本人は壮絶な人生を送るうちに、病院の現状、介護の現状、医療倫理、生命倫理に思いを馳せ、幼い孫たちの面倒を見ながらも著作に、講演にと今も活躍されている。
さらに、日本では初めての<がん告知>で有名になったテレビアナウンサー<逸見政孝氏のDVD)の映像を使って今回の講演をドラマチックに盛り上げた。
「1993年9月6日「わたしが今冒されている病気の名前は癌です」とテレビで告知。
生命倫理の発祥地、アメリカでは1970年代の半ばには、がん告知、インフォームドコンセントは100%行われていたが、日本ではこの会見は衝撃的だった。
「戦いに行ってきます」「生還して来ましたと言えればいいな」と言っていたが遂に12月25日48歳の命を閉じた。
さらに、感銘を受けた作品を挙げられた。
1920年石飛幸三「平穏死のすすめ」
中村仁一「大往生したけりゃ医療とかかわるな」
萬田緑平「穏やかな死に医療はいらない」
これらの著作に出会って、ご自身の医療に関して対応すべきものが見えた。
また、
遠藤周作「人生に何ひとつ無駄なものはない」
五木寛之「ただ生きていく、それだけでスバラシイ」
これらの著作からは生きていくための指針、キリスト教とか仏教とかの宗教の力を感じさせられた。
ボクは敢えて質問させていただいた。
「ご自身のご体験に基づくお話は、ボク自身、父母、そして難病を抱えて生まれた孫娘のことも重ね合わせ涙しました。
ボクはかなり著名な外科医と懇意にしていて、本音を聞くことがある。『70歳を超えたら手術はできるだけ控えた方がいいね』と、『薬はできるだけ飲まない方がいい』と、本音では人間の自然治癒力とか倫理的な思考をお持ちなのだが、やってることは手術、手術と違う方向を向いている。
話を拡大して恐縮ですが、現代の医療などの発達は、科学の力、経済の力に負うところが多い。ところが男主導で進んできた現代社会にどうもひずみが出ているようだ。
イケイケドンドンで進歩してきた科学は人類を滅ぼしかねない核兵器を開発してしまったし、グローバリズムという賭博的経済により国家財政が危機に瀕している。医療でも遺伝子治療、人工臓器など最先端医療が倫理に叶うか問題となっている。
もともと人類歴史学的に見ると、<男は女の走り使いでしかなく>、イケイケドンドンでその役割を果たしてきた男の弊害のツケこのところがあからさまになってきたのでは?
政治にその弊害を取り除く役割があるのだが、自分ファーストのトランプ、習近平、プーチンなどの指導者を見ていると危険極まりない。
そろそろ政治のリーダーを男から母性の女性に変えるべき時が来たのでは?
特に先の大戦の反省から平和な世界を目指している日本の役割が期待される。適切な女性リーダーを育てなければ」と。
先生曰く「たしかに男は格好良く力強いようだが、もろくもある。一旦事が起きると頭だけで考えるから右往左往してしまう。
頭で考えるだけで足が地に着いていない。一方女性はどんと踏ん張れるという特徴がありますね」と。
みなさん、いかがお考えですか?