昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(267)日本は井の中から顔を出したのか?

2015-05-30 02:58:06 | エッセイ
 安全保障関連法に関する審議が始まった。
 しかし、井の中の蛙が口角泡を飛ばしているようにしか見えないのはなぜだろう。
 
 井とは日本のことであり、蛙とは国会議員のことだ。
 「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉がある。

 大海とは世界の現状だ。
 戦後70年、世界第二次戦争で敗れた日本やドイツに代わって、今や中国やロシアが覇権的な姿勢を示している。
 
 
 
 

 世界が「パワーポリテクス」の下にある構図は戦前と何ら変わりない。
 <核兵器>という最終兵器を保持して他国を威圧する戦後は、戦前に増してリスキーになっている。
 その中、日本は「パワーポリテクス」の親玉とも言えるアメリカの庇護の下、「平和憲法」というお守りも頂いてぬくぬくと平和を享受してきた。
 しかし、ここへ来て親分の威光に影がさしてきた。
「お守りを与えた手前全面的にとは言わないが、少しはオレのこと手助けしろよ!」と言ってきたのだ。
 親分から言われれば子分としては従わざるを得ないだろう。

 で、<集団的自衛権>なる政策で親分をサポートすることになったのだ。
 今までのようにわが国民の血を一滴も流さずに済んだ時代は終わったのだ。
 身近には、北朝鮮のように「パワーポリテクス」を信じて<核武装に>に熱を上げる国もある。
 
 中東にはISのようなならず者集団も幅を利かしている。
 

「血を流すリスクが高まるではないか!」
「抑止力が高まるから、そういうリスクが高まることはない」
 なんてわが国のリスクについてばかり言い合っているが、血を流しあっている他国から見れば「バッカじゃなかろうか」と思えるんじゃないの?
 井の中から出て、大海を見据えた議論をしようよ。
  
 わが国が井の中から出て存在感を示すには、<核兵器>を旗印にする第二次世界大戦戦勝国クラブが牛耳る現状を打破しなければならない。
 簡単に出来ることではないが、唯一の核被爆国日本が<核兵器>を持たざる国々を糾合して「核兵器を旗印にしたパワーバランスが人類の滅亡に繋がりかねない、いかにリスキーなものか」を訴えるしかないと考えるが、いかがでしょう?
 先のNPT会議で、わが国は親分にお伺いを立てることなく、つまり井の中から出て「世界の指導者は被爆地広島、長崎を訪れるべきだ」と提案した。
 徐々にでも我が国の進むべき道の第一歩を踏み出したと思った。
 


 さらに、中谷防衛相はシンガポールで開催されたアジア安全保障会議で、中国を名指しで批判するという第二歩を踏み出した。
 
 今まで、遠慮深く井の中にいた日本が少し大海に頭を出したのだ。

 <歴史認識>という蓋で、日本が大海に顔を出すことを抑えつけてきた中韓も、そうはいかなくなってきたことを認識しだしたようだ。
 中国、習近平主席は二階総務会長率いる3000人の訪中団を熱烈歓迎した。
 
 韓国、朴大統領は未だしだが、4年ぶりで日韓防衛相が関係改善に向け会談した。
 

 戦後70年、世界はもはや日本を井の中に閉じこめておくことはできなくなった。
 日本も大海に出て、抗争の繰り返しという汚泥に満ちた大海を<積極的平和主義>で浄めることに力を発揮することを切に願う。