昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(264)世の中には<類>、<種>、<個>がある

2015-05-25 04:25:43 | エッセイ
 世の中には<類>と<種>と<個>がある。
 <類>とは人類であり、<種>とは国家、民族、組織で<個>は個人だ。

 先ず、ややこしいのは<種>である。
 昨日の「なるほど!と思う日々」で述べたように、国家や民族の対立は人類の叡知をもってもままならない。
 
 わが国内でも「大阪都構想問題」で組織の対立構造があったのは生々しい。
 
 道州制などの地方分権、小さな政府、規制緩和、官僚主義排除の推進を掲げて勇猛に戦った橋下氏も、<個>のわがままに逆らうことはできなかった。

 <個>といえば、たまたまフジテレビの「ボクラの時代」というテレビ番組を見た。
 今どきのタレントが自由奔放に語り合うのがなかなか興味深かった。
 
 ボクが知っているのはAKB48で有名な前田敦子ぐらいだったが、そのわずかなアッちゃんにたいするイメージががらりと変わるほど自由奔放なトークが交わされた。
 アッちゃんって、けっこう攻撃的なしゃべりをするんだね。
「高畑が好きだ!」と臆面もない柄本に「それで、私のことはどう思うのよ!」なんて言っている。
「ぜんぜん」なんて返されても平然としている。
「オレのおやじに明さん、なんて言わないでくれる」なんてことも言われた。
 柄本って柄本明の息子なんだ。
 高畑に猛烈なアッタックをした柄本も振られた話をあっけらかんと披露して、「でも、仲がいいのよね」なんて彼女から言われて満足している。
 彼らはなんのわだかまりもない<個>を楽しんでいるのだ。

 昨日はボクが幹事長を務める月一回の同窓麻雀会が48名で行われた。
 
 プレイ後のパーティも和気藹々とシニアのわだかまりのない<個>を楽しんだ。
 
 しかし、組織をたばねる幹事の中から「警告」が発せられた。
「みんなが楽しむためにはそれなりのマナーを守りましょう!」と。
 つまり、最近は電動の麻雀卓を使っていて、各自の持ち点が表示されるようになっている。
 それを故意に点棒の置き位置を変えて対戦相手を惑わすのはいかがなものかというわけだ。
 わだかまりを生じる<種>の問題はこんなところにも・・・。

 さて、<類>については、自然界から見た人類について、わが作品で触れている。
 
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