極個人的発言録Blog

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疲れ

2011-03-21 20:47:29 | 俺の周囲の出来事
何と言うか..... 「疲れた」という表現しかできない。
震災から交通の麻痺、停電、続く交通の混乱、生活物資不足........、それまでの日常が一変してしまって気持ちがついていかない感じだよ。
もちろん、そんな俺の環境なんて、未だ避難生活を続けている被災地の人達に比べたら天国のようなもんなんだけどね。それは重々承知。

ただ、それでもやっぱり主観的にはそこに「疲労」があるわけで、それは否応も無く自分自身にのしかかっているわけで....。
一方で「暖かい部屋で食べたいだけ食べられている立場で疲れたとか言ってる場合じゃない」と自らを戒める自分もいて。
自分なりの辛い状況を、辛いと言えないというのはやっぱりシンドイもんだよ。

被災地の人に対しては顔向けできない部分はあるけど、それでもやっぱりグッタリなんだよね。
どうしても相対的にはなりきれないんだよ。申し訳ないんだけどさ。


毎日繰り返して報道されている被災地の様子や被災者の皆さん、犠牲者のことを考えるとやりきれなさが募る。

賽の河原の石積みの光景が頭から離れないんだよね。

毎日コツコツ積み上げてきたものが、一切何の考慮もなく奪われていく。
そこに何かの意思が働いているのなら「無慈悲」と表現もできるのだろうけど。

愚かな知事が「天罰」とのたまったけど、これは絶対に罰なんかではないよ。

天は罰なんて与えない。
そのかわり、一切の慈悲もない。

人々の暮らしも、愛情も、仕事も、毎日懸命に積み上げてきたものの価値を一切認めない。
たとえそれがどんなに徳の高い善行だったとしてもだよ。

それがどうしようもなくやるせない。

自分に置き換えて考えた時に、自分の毎日が、娘達との生活が、愛情が.... 俺が何よりも大切だと思って守り続けているものの全てが、「その時」には一切認められないのだと思うとやりきれないんだよ。


賽の河原で石を積む子ども達。
もう少しで完成という時に無慈悲にもアッサリとそれを崩されてしまう。
それでも再び1つ目の石を積み始める。またすぐに崩されてしまうと分かっていても。

積み上げることしかできないんだよね。


やりきれないけど、それが生きるということなんだと思う。



とにかく疲れた。

生きていればこその疲れなんだけどさ。


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