しかし、それがどうしたというのだ。
一体、人間の価値と字の巧拙になんの関連があるというのかね。
数年前の夏、故郷の隣の家の老人が亡くなりまして、葬式を手伝うことになりました。
私くらいの年齢になると、当り前のように帳場に立たされます。
そこで問題になるのが、誰が筆をとるかということです。
そこには、私より年長の者ばかり5~6人いたのですがだれもやろうとしない。
「わしは人に見せられるような字はとてもよう書かん」
「今日は体調が悪いので」
「最近手が震えるようになって」
「目がよう見えん」
などと言って尻込みし、立候補しないのです。
「ねぎさんには学歴がある。あんたしかいない。お願いします。わしらは会計をやるけぇ」
と、伏して頼むので、気が進まないが命を取られるわけじゃなしと思いなおし渋々引き受けました。
10人くらい書いたとき背中に視線を感じふと振り変えると、彼らが腕組みをしながらじっと見つめているのです。
見られるのは嫌だなと思いながら書いていると、突然、「ねぎさん、代ろうか」と声を掛けられました。
それをきっかけに「わしもやる、わしもやる」と、帳場の奪い合いが始まり、
結局私は部屋の隅に押しやられ、会計補佐に降格させられました。
一体、人間の価値と字の巧拙になんの関連があるというのかね。
数年前の夏、故郷の隣の家の老人が亡くなりまして、葬式を手伝うことになりました。
私くらいの年齢になると、当り前のように帳場に立たされます。
そこで問題になるのが、誰が筆をとるかということです。
そこには、私より年長の者ばかり5~6人いたのですがだれもやろうとしない。
「わしは人に見せられるような字はとてもよう書かん」
「今日は体調が悪いので」
「最近手が震えるようになって」
「目がよう見えん」
などと言って尻込みし、立候補しないのです。
「ねぎさんには学歴がある。あんたしかいない。お願いします。わしらは会計をやるけぇ」
と、伏して頼むので、気が進まないが命を取られるわけじゃなしと思いなおし渋々引き受けました。
10人くらい書いたとき背中に視線を感じふと振り変えると、彼らが腕組みをしながらじっと見つめているのです。
見られるのは嫌だなと思いながら書いていると、突然、「ねぎさん、代ろうか」と声を掛けられました。
それをきっかけに「わしもやる、わしもやる」と、帳場の奪い合いが始まり、
結局私は部屋の隅に押しやられ、会計補佐に降格させられました。