平ねぎ数理工学研究所ブログ

意志は固く頭は柔らかく

わかりやすい文章

2008-02-19 21:28:14 | 雑学
丸谷才一氏絶賛の文章を紹介しましょう。それは、佐藤春夫の『好き友』です。
この文章は、複雑な人間関係の襞のところを丁寧におさえながら書いているのに、そうしたことを感じさせないほど、抵抗無く頭の中にスーッと入ってきます。名文とはこういうものを言うのでしょう。

丸谷才一:「文章読本」中央公論社、から引用
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私の交友は誰々かとお尋ねになるのですか。貴問は私を怏々とさせます。私には友だちといふものがないからです。それは私の孤獨な、人と和しがたい性格から來てゐるのでせう。どうもさうらしい。
考えて見ると、私には少年時代の昔から友達といふべき者はなかったやうな氣がします。私が十二歳の時、私はちょうど、今日貴社から與へられたと全く同じ質問を、小學校の先生から與へられたことがありました。その時も私は今日と同じやうな不愉快を感じました。
その時先生の質問といふのは、生徒たちの學校外でもの生活を知るために、各の生徒たちが持ってゐる友達を五六人上げよ、といふのであった。雨の日の體操の時間で、雨天體操場などのあるべき筈もない田舎の小學校では時をり、そんな機會にそんな事をする時間があったのです。先生が紙をくばってくれると、生徒はそれへ返答するのです。人に見られないやうにと肘でしっかりと圍をして、それぞれに小さな頭と胸とを働かせながら書くのです。割合に自由な時間なので、いつものこんな時には、私も楽しかったものです。一番好きな歴史上の人物は誰だとか、或は誰でも教壇へ出て面白い話をしてみよとか、つまり雨の體操の時間といふのは遊びの時間だった。それだのに、その日は何だか試験の日のやうに緊張した感じがあった。私はといふと、試験ならば即座に答えてしまへるものを、この日のこの質問には本當に悩まされた。答えようにも私にはひとりも友達らしきものはなかったからである。
しかし、ひとりも友達がなかったからと言って、私は人に馬鹿にされて相手になって貰へなかったのではない。却って私は人に畏れられてゐたのである。私は大人びた子供で學科も不出來ではなかったし、私の家は醫者だといふので田舎町の純朴な人たちは尊敬してゐてくれた。さういうわけで、小さな我々の仲間までが、私をへんに畏敬する風があった。それに私は、いつも一人で遊んでゐる無口な子供ではあったし、誰も用事の外には、氣軽に口を利いてもくれなかったのである。それを、私はふだんは大して不幸にも思ったのではない。しかし今日かうして、お前の友達は誰々だと問はれると、直ぐに答え得る名のないのを淋しく思ったのです。その上、私は先生に向ってきっぱりと友達はひとりもいないと書くことは出來なかったのです。どうしてだか知りません。いろいろ考えた末で私は、教室に於ける自分の座席のぐるり四五人の子供の名を順々に書き並べたのです。何故かといふのに、その子供たちが、さういふ位置に置かれた自然の關係として、自然と、最も多く私と口を利く機會が多かったからでした。
その時間が過ぎてしまって、自由な時間が來た時、子供たちは、今さっきの先生の質問をさも重大な事件のやうに話し合ってゐた。彼等は皆、人々に、俺はお前のことを書いたといふやうなことを言ひ合ってゐた。しかし、私に向ってそんなことを言ひかけた者はひとりもなかった。すると、いつものやうに黙ってゐる私のところへ來て、ひとりの子供が話しかけた――
「あんた。誰書いたんな?」
その子は快活な口調で言った。それは教室で私のすぐうしろに居た子供であった。きさくな性格で、氣むずかしげな私に對しても常から最も多く口を利いてゐた。彼に對して私は答へた――
「おれはあんたの名を書いたんぢや」
その答えとともに、彼のはしゃいでゐた顔は一刹那にがらりと變化した。しばらく無言だった彼は、やっと私に言った。――
「こらへとおくれよ。なう、わあきやあんたをわすれたあった。わあきやあ、ぎやうさんつれがあるさか」
二十年經た今日、彼のその言葉を、私はそっくりとその田舎訛のままで思ひだす。さうして私はこの正直な一言に、今も無限の友情を見出すのです。ひょっとすると、これが私のうけた第一の友情ではないかとさへ思はれるくらゐです。
質問に對して私は、假に三四の名を擧げることも出來るでせう。しかし、その人たちが數え上げた名の中には私が無かった時に、彼等は私に對して、果して、
「恕せ、友よ、予は君を失念しゐたり。予は多くの友を持つが故に」
と、さうはっきりと私に言ってくれるだらうか。どうも覚束ないやうな氣がするのです。
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或る時、私は、或る雑誌社から『吾が交友録』といふ題で一文を求められた時、それに答へようと思つて以上のやうな文を書いた。しかし、あまりにひねくれた言ひ分だと人が思ひはしないかと思つて、書いたままでそれをまるめて、屑籠のなかへ入れてしまつた。
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