気ままに三百六十五日

気ままな三百六十五日趣味に没頭したいけれど?

沖縄の島守と呼ばれた人

2017-08-06 | とちぎ

相変わらず今日も曇り
今日は気温も30度越え、湿度も高い
蒸し暑い日です
部屋にいて何もしなくても汗ばみます


先日7月30日
友人と
宇都宮市立南図書館で開催された
沖縄・兵庫・栃木トライアングルパネル討論会
「荒井退造の生きざまから何を学ぶべきか」
に行ってきましました


戦後72年
沖縄戦において沖縄の方たちの受けられた惨禍
私達も色々聞く機会も有り知って居ます

その沖縄で、沖縄の人たちが沖縄の島守として
終戦後6年に島守の塔を建てたそうです


沖縄の県知事だった兵庫出身の島田叡、そして栃木県出身の警察部長荒井退造の2人を
沖縄の島を守ってくれた人として語り継いでいると言う事です

1944年7月サイパン陥落以来
沖縄が戦場に成ると言う事で
沖縄県民の疎開計画が持ち上がり
警察部長の荒井退造が県民疎開の任に当たる
でも、沖縄では疎開に消極的で疎開は進まないので
警察署員たちに疎開の重要性を村民に説明させたり手伝いをさせたり
疎開の重要性を根気強く説得

対馬丸撃沈の悲劇も有り思うように疎開は進まず当時の県知事も非協力的で
疎開を阻止するようなことも有り
苦労も多かったそうです

県民のために働かず我が身を守る事だけの知事が逃げ出した後
その後任に島田叡県知事が赴任

島田叡県知事は、県民のために奮闘
荒井退造と共に県民の疎開を推し進め
島外疎開が無理になると島北部に疎開するようにはからい
合わせて20万余の沖縄島民の疎開を実現させました


沖縄島民の3分の1の人たちはこの疎開によって助かったのだそうです

島田知事は戦況悪く県庁維持できなくなった時、県庁解散
職員には生きろと訓示したそうです

島田知事も荒井部長も死ぬな、生きろと言う言葉を残し
沖縄で殉死しました

荒井退造については、沖縄での働きを世に語られること無く時が過ぎ
栃木県人でも知る人は少ない現状です

私も最近知ったことです
こんな偉大な先人が栃木にも居たんだと言う事を
栃木県人の誇りとしてもっと多くの人に知って欲しいです

沖縄の方たちは
戦後直ぐ(6年後)島守の塔を建立
語り継がれているそうです


今回は沖縄から、兵庫から関係者の方たちが参加されていました
あの時代に命の尊さを説き、生きろと
伝えた2人の生きざまに深い感銘を受けました

これからの人達にも伝え継いで行かなければならない事ですね

荒井退造の働きをもっと紹介したいのですがつたない文で伝えきれません
申し訳有りません





コメント (10)
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